江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年6月10日祈祷会(ユダ1章、混乱する教会の人々へ)

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1.教会の混乱の中で

 

・ヤコブ・ペテロⅠ・Ⅱ、ヨハネⅠ・Ⅱ・Ⅲ、ユダの七書は公同書簡と呼ばれる。いずれも、新しく興り始めた異端に対する警告の書である。福音が異教世界に広がるにつれ、福音がその地の哲学の影響を受けて変質していった。公同書簡という概念は新約文書の正典化が進んだ古代末期に成立した。文書自体は伝承では1世紀末までに成立したとされるが、現代の研究では2世紀半ばから末に成立したものも含むと考えられている。「ユダの手紙」はわずか25節の短い書簡であり、異端に対して厳しい批判を展開するとともに、信徒に正しい信仰を守ることを勧めている。

・著者は主の兄弟ヤコブの弟ユダとされている。イエスの兄弟たちはイエス生前にはイエスをキリストとは認めなかったが、ヤコブは後にエルサレム教会の指導者になっている。イエスの兄弟ユダも同じように活躍したのかもしれない。

-ユダ1:1-2「イエス・キリストの僕で、ヤコブの兄弟であるユダから、父である神に愛され、イエス・キリストに守られている召された人たちへ。憐れみと平和と愛が、あなたがたにますます豊かに与えられるように」。

・著者は「私たちは共にあずかる救い」と語る。救いは個人の出来事ではなく、共同体の出来事である。最近の教会においては、「私の救い」が強調され、「私たちの救い」が軽視されている。イエスも「主の祈り」において、「私の救い」ではなく、「私たちの救い」を願えと語られている。教会の主体は「私たち」なのである。

-ユダ1:3「愛する人たち、私たちが共にあずかる救いについて書き送りたいと、ひたすら願っておりました。あなたがたに手紙を書いて、聖なる者たちに一度伝えられた信仰のために戦うことを、勧めなければならないと思ったからです」。

・ナチスへの抵抗運動の中で投獄されたボンヘッファーは、1944年、獄中からの書簡で語る「われわれがキリスト者であるということは、今日ではただ二つのことにおいてのみ成り立つだろう。すなわち、祈ることと、人々の間で正義を行うことだ」(ボンヘッファー「抵抗と信従」p213)。ユダヤ人が強制収容所で殺されている時、私たちが「自分の平安だけを祈ることはできない」と彼は語る。他者の救済なしに私の救済もない、これが聖書が教える信仰者の在り方だ。

・共同体に入り込んだ偽教師たちの活動により、ユダの管轄する諸教会が混乱した。その人々に対して、使徒の教えに固く立って迷わされるなと書簡は警告する。

-ユダ1:4「なぜなら、ある者たち、つまり、次のような裁きを受けると昔から書かれている不信心な者たちが、ひそかに紛れ込んで来て、私たちの神の恵みをみだらな楽しみに変え、また、唯一の支配者であり、私たちの主であるイエス・キリストを否定しているからです」。

・著者は神に背く者は神が滅ぼされることを、旧約聖書を引用して語る。出エジプトで共に出立した数万人のうち、約束の地に到達できたのはわずか三人だった。洗礼を受けても脱落する人が多い。その痛みを私たちはかみしめなければいけない。

-ユダ1:5-7「主は民を一度エジプトの地から救い出し、その後、信じなかった者たちを滅ぼされたのです。一方、自分の領分を守らないで、その住まいを見捨ててしまった天使たちを、大いなる日の裁きのために、永遠の鎖で縛り、暗闇の中に閉じ込められました。ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受け、見せしめにされています」。

・神にそむくものは神が処罰して下さる。私たちは彼らの処罰は主に委ね、偽教師たちとは争わない。

-ユダ1:8-11「同じようにこの夢想家たちも、身を汚し、権威を認めようとはせず、栄光ある者たちをあざけるのです。大天使ミカエルは、モーセの遺体のことで悪魔と言い争ったとき、あえてののしって相手を裁こうとはせず、『主がお前を懲らしめてくださるように』と言いました。この夢想家たちは、知らないことをののしり、分別のない動物のように、本能的に知っている事柄によって自滅します。不幸な者たちです。彼らは『カインの道』をたどり、金もうけのために『バラムの迷い』に陥り、『コラの反逆』によって滅んでしまうのです」。

・カインは高ぶりから自分の兄弟を殺し、バラムは金銭欲のためにイスラエルの民を背教へと誘い、コラはモーセの権威に反抗して滅ぼされ、分裂をもたらす者として非難されている。それらの者たちが集会の中に紛れ込んできても彼らの話を聞くなと勧告される。

-ユダ1:12-13「こういう者たちは、厚かましく食事に割り込み、わが身を養い、あなたがたの親ぼくの食事を汚すしみ、風に追われて雨を降らさぬ雲、実らず根こぎにされて枯れ果ててしまった晩秋の木、わが身の恥を泡に吹き出す海の荒波、永遠に暗闇が待ちもうける迷い星です」。

・14節からはユダヤ教黙示文学であるエノク書から引用されている。

-ユダ1:14-16「アダムから数えて七代目に当たるエノクも、彼らについてこう預言しました。『見よ、主は数知れない聖なる者たちを引き連れて来られる。それは、すべての人を裁くため、また不信心な生き方をした者たちのすべての不信心な行い、および、不信心な罪人が主に対して口にしたすべての暴言について皆を責めるためである』。こういう者たちは、自分の運命について不平不満を鳴らし、欲望のままにふるまい、大言壮語し、利益のために人にこびへつらいます」。

 

2.悪を善に変えられる方に拠り頼む

 

・教会は人の集団であるゆえに、分派活動や、異なる福音を述べるものが出てくる。あなた方は彼らに迷わされてはいけない。

-ユダ1:17-18「愛する人たち、私たちの主イエス・キリストの使徒たちが前もって語った言葉を思い出しなさい。彼らはあなたがたにこう言いました。『終わりの時には、あざける者どもが現れ、不信心な欲望のままにふるまう』」。

・あなたがたは、彼らによって傷つけられ、教会を出て行った者たちの世話をしなさい。

-ユダ1:19-23「この者たちは、分裂を引き起こし、この世の命のままに生き、霊を持たない者です。しかし、愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、私たちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。疑いを抱いている人たちを憐れみなさい。ほかの人たちを火の中から引き出して助けなさい。また、ほかの人たちを用心しながら憐れみなさい。肉によって汚れてしまった彼らの下着さえも忌み嫌いなさい」。

・最後に著者は教会に祝福を送る。

-ユダ1:24-25「あなたがたを罪に陥らないように守り、また、喜びにあふれて非のうちどころのない者として、栄光に輝く御前に立たせることができる方、私たちの救い主である唯一の神に、私たちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン」。

 

3.ユダ書の黙想

 

・教会は神の国ではないから、人間的な争いは必ず起こる。初代教会も人が増えるに従い、ユダヤの伝統に忠実なヘブライ派と、自由なヘレニスト派(海外居住のユダヤ人たち)の間に対立が起こってきた。

-使徒言行録6:1「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシャ語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである」。

・ヘレニストたちはユダヤ教の伝統を軽視し、神殿礼拝もしなかった。そのためにユダヤ教徒からの迫害でエルサレムを追われて行った。

-使徒言行録8:1「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った」。

・しかし彼らは追われた先で伝道を始め、この結果、福音はエルサレムを越えて伝えられた。

-使徒言行録8:4「散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた」。

・悪を善に変えることの出来る神に私たちは信頼を置く。神は教会内部の対立をも宣教の手段として用いられる。

-創世記50:19-20「ヨセフは兄たちに言った『恐れることはありません。私が神に代わることができましょうか。あなた方は私に悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです』」。

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