江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年2月12日祈祷会(ヤコブ4章、おのれを知りなさい)

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1.世の友となるな

 

・ヤコブ書は手紙の形を取るが、内容は教会生活の実践についての訓告集だ。ヤコブの関心は「人はキリストを受け入れても、なぜ神の子となれないのか」という問題だ。彼は、人は心の中に本能的欲望があり、他者を押しのけてでも自分の願いを満たそうとするから、人と人との争いが生まれると彼は語る。
-ヤコブ4:1-3「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです」。

・ここにあるのは一般論ではない。教会の中に派閥や異なるグループ間の対立がある現実を踏まえた言葉だ。教会も人の集団だから、そこに派閥が生まれ、争いが起こる。コリント教会でも派閥争いがあった。

-第一コリント1:11-13「私の兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると・・・知らされました。あなたがたはめいめい、『私はパウロにつく』『私はアポロに』『私はケファに』『私はキリストに』などと言い合っているとのことです。キリストは幾つにも分けられてしまったのですか」。

・どの教会もこの様な争いを経験している。教会の人びとも世の人々と同じものを求めて争っている。ヤコブは「どこにあなたがたの信仰があるのか」と問いかける。
-ヤコブ4:4「神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです」。
・彼は教会の人々を「神に背いた者たち」と呼ぶ。「神の建てられた教会の中に対立、争いがあるとしたら、それは神に従っていないことのしるしではないか」と彼は語る。世の中と同じ悪が教会にあるとしたら、それは信仰の在り方が間違っている。教会に求められるのは「平和」であり、それは「隣人を大切にする信仰」から生まれる。「私たちがどれだけ隣人のことを愛する教会になるかが基本だ」と彼は語る。

-ヤコブ4:11-12「悪口を言い合ってはなりません。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟を裁いたりする者は、律法の悪口を言い、律法を裁くことになります。もし律法を裁くなら、律法の実践者ではなくて、裁き手です。律法を定め、裁きを行う方は、お一人だけです。この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか」。

・教会の中で対立する相手方を罵り、サタン呼ばわりする人々がいたのであろう。私たちは他人の欠点はよく見えるが、自分の欠点は見えない。イエスが戒められた通りだ。

-マタイ7:3-4「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか」。

・ヤコブの言葉は真実をついている。他人を批判しながら、自分の誤りに気付こうともしない者こそ私たちだ。世の幸福は他者の犠牲の上に立つ。イエスは、「人は貧しさ、悲しさの中にいるからこそ神を求める」と言われた。主を求めなさい。主は求める者を拒まれない。
-ヤコブ4:8-10「神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます」。

2.生きているのではなく、生かされていることを知りなさい

・神に生かされていることを忘れ、自分の力に頼る人は愚かだ。ヤコブは「明日の命もわからないのに、1年先の利益を勘定する愚かさ」を取り上げる。明日のことはわからない。今回の新型インフルエンザのパニック的混乱を1年前どころか、3カ月前にさえ、予想した人は誰もいない。

-ヤコブ4:13-14「よく聞きなさい。「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と言う人たち、あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません」。

・ヤコブは将来の計画を立てることに反対しているのではない。計画を立てるのは人間の務めだが、その成就は神の手に委ね、自分の務めを精一杯果たすことを求めている。

-ヤコブ4:15「むしろ、あなたがたは、『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう』と言うべきです」。

・その謙虚さが亡くなれば、人は傲慢になる。

-ヤコブ4:16-17「ところが、実際は、誇り高ぶっています。そのような誇りはすべて、悪いことです。

人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です」。

・申命記も警告する。あなたが働いて富を築いたと自慢するが、その働く能力と健康を与えて下さったのは神ではないか。神はその気になればあなたを病気にし、餓死させることもできるのだ。

-申命記8:17-18「あなたは、『自分の力と手の働きで、この富を築いた』などと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにして下さったのである」。

・神に生かされていることを忘れ、自分の力に頼る人は愚かだ。明日の命もわからないのに、1年先の利益をあなたは求めるのか。富を与えて下さったのは主だ。それを忘れたとき、あなたの富は消える。
-ルカ12:16-21「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめと』。しかし神は『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた」。

 

3.神を忘れた現代人の末路

 

・NHK特集「資本主義の未来 、巨大格差、その果てに」 (2016年10月25日放映)によれば、アメリカでは上位3%の人々が全体の54%の資産を保有している。富の格差が生まれ、少数の富裕層は豊かな生活を楽しみ、その他大勢の人々は貧困の中にあえいでいる。そのため、社会の活力がそがれ始め、過剰な富の追求は「社会全体の幸福度を下げ」ている。アダム・スミスは「資本主義の精神」の中で、「資本主義の最大の要素は利己心であるが、同時に共感(compassion)がなければ維持できない」と語る。「共感」とは相手の不利益にも考えを及ぼすことだ。現代の資本主義が病み始めたのは、この共感が薄れてきて、格差が広がっているためであろう。

・神学者・栗林輝夫はそれを「マタイ効果」と呼ぶ。彼は語る「今日我々が目撃しているのは、経済のグローバル化によって、『持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる』(マタイ13:2)というマタイ効果であり、一部の企業家がとてつもない報酬を得る一方、大勢の若者がワーキング・プアに転落していく光景である。資本のグローバル化は生産拠点を労働力の安い地域に移動させ、人々を結びつけてきた地域の文化を根こぎにし、地方の中小都市の街を軒並みシャッター・ストリートにした。かつて日本は一億総中流の経済格差のない社会であったが、今では先進国の中でアメリカに次ぐ格差社会になってしまった」(福音と世界、2014年1月号)。経済格差拡大に伴う社会の不平等化が人々を生きづらくしている。

・その中で私たちは何をすべきなのだろうか。初代教会の礼拝の中心は聖餐式、イエスの肉を食べ、血を飲む行為だった。この行為がクリスチャンたちを新しい生き方に、「パンを共に分け合う」生活へと変えていった。彼らは「パンを共に分け合う」ことを通して、人生の不条理を克服していった。これは現代の教会でも再現しうる事柄ではないか。

-「ユスティノスの第一弁明」から「日曜日と呼ばれる日には、町や村に住む者たちが一つの場所に集まる。そして使徒たちの回想録や預言者たちの文書の朗読が行われ・・・司式者が教えを説き、このような優れたことがらに倣うように勧告し促す。次に皆立ち上がり、共に祈りを唱える。祈りが終わるとパンとぶどう酒と水が運ばれる。司式者は祈りと感謝を捧げ、会衆はアーメンと言う言葉で唱和する。一人一人に感謝された食物が与えられ、これに預かる。欠席者の下には執事がそれを届ける。次に富裕で志のある人々は、各人が適切とみなす基準に従って定めたものを捧げる。このようにして集められたものは司式者の下に保管され、彼は孤児や寡婦、そして病気やその他の理由で困窮している人々、獄にいる人々、そして私たちの間で生活している人々のために配慮する。すなわち彼は窮乏の下にある全ての人々の面倒を見る役割を果たすのである」。

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