江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2019年12月25日祈祷会(ヘブル11章23-40節、信仰の先人たちに学ぶⅡ)

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1.モーセの信仰

 

・著者は11章から信仰の先人たちを語る。前半ではアベル、エノク、ノア、そしてアブラハムの信仰が語られた。11章の後半でも著者は信仰の先人たち(主にモーセと迫害された人々)の事跡をたどる。信仰によりモーセの両親は「生まれてくる男の子は殺せ」とのエジプト王の命に背き、信仰によりモーセは王宮を捨てて荒野に赴いた。

-ヘブル11:23-26「信仰によって、モーセは生まれてから三か月間、両親によって隠されました・・・信仰によって、モーセは成人した時、ファラオの王女の子と呼ばれることを拒んで、はかない罪の楽しみにふけるよりは、神の民と共に虐待される方を選び、キリストの故に受けるあざけりをエジプトの財宝よりまさる富と考えました」。

・モーセは王宮に留まることも出来た。そうすれば平穏な日々が待っていた。しかし、彼は神の召命に応え、荒野に出て行く。そのことを著者は「キリストのゆえに受ける嘲りをエジプトの財宝に勝る富と考えた」と表現する。

-ヘブル11:13-16「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、遥かにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです・・・彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです」。

・信仰によって、イスラエルの民は過越しの子羊の血を門柱に塗って死を免れ、開かれた海を渡って救われた。著者はキリストが十字架上で「過越の子羊」として死なれ、続く者も「水と血」のバプテスマを受けることによって救われると理解している。

-ヘブル11:28-29「信仰によって、モーセは滅ぼす者が長子たちに手を下すことがないように、過越の食事をし、小羊の血を振りかけました。信仰によって、人々はまるで陸地を通るように紅海を渡りました。同じように渡ろうとしたエジプト人たちは、おぼれて死にました」。

・モーセ以降の人たちの信仰も同じだと著者は言う。旧約の英雄たちもまた信仰によって、「弱かったのに強く」された。

-ヘブル11:32-34「ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。信仰によって、この人たちは国々を征服し、正義を行い、約束されたものを手に入れ、獅子の口をふさぎ、燃え盛る火を消し、剣の刃を逃れ、弱かったのに強い者とされ、戦いの勇者となり、敵軍を敗走させました」。

 

2.マカベヤ時代の人々の信仰

 

・35節以降は紀元前2世紀のマカベヤ時代の苦難を念頭において記事が書かれている。読者の父や祖父の時代に起こった迫害である。

-ヘブル11:35-38「女たちは、死んだ身内を生き返らせてもらいました。他の人たちは、更にまさったよみがえりに達するために、釈放を拒み、拷問にかけられました。また、他の人たちはあざけられ、鞭打たれ、鎖につながれ、投獄されるという目に遭いました。彼らは石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠き、苦しめられ、虐待され、荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよい歩きました。世は彼らにふさわしくなかったのです」。

・マカベヤ時代、シリヤ王アンティオコスはユダヤのギリシャ化を意図して、神殿にゼウス像を建てて拝むように強制し、従わない者は処刑した。彼は旧約聖書を燃やし、割礼を禁止し、幼児に割礼を施した母親を子もろとも殺し、幼児の死体を母親の首にかけてさらした。迫害の中で書かれたダニエル書は神に訴える「あなたは何故、このような暴虐の振舞いを許されるのか、何時までこのような苦しみは続くのか」。ダニエルの問いに答えて幻が示され、勝ち誇るアンティオコスやがて滅びると啓示される。

-ダニエル7:11-12「この角は尊大なことを語り続けていたが、ついにその獣は殺され、死体は破壊されて燃え盛る火に投げ込まれた。他の獣は権力を奪われたが、それぞれの定めの時まで生かしておかれた」。

・地上の権力は、神が許して置かれる期間だけ、生き長らえる。今、地上で猛威をふるう圧制者アンティオコスでさえ、人間に過ぎない。神を信じる時、どのような圧制者、権力者も恐れるに足らぬ存在になる。

-ダニエル3:17-18「私たちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手から私たちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知ください。私たちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」

・この信仰こそが今あなたがたが模範にすべき信仰だとヘブル書の著者は語る。

-ヘブル11:39-40「この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。神は、私たちのために、更にまさったものを計画してくださったので、私たちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです」。

・この信仰こそがアウシュビッツにおいて、ユダヤ人が見出した信仰だ。今、彼等の前に、ヒトラーとその配下がいる。多くの仲間が殺され、自分たちも殺されようとしている。それにも関わらず、ヒトラーの上にも神の支配が厳然としてあり、「定めの時が満ちた時」、ヒトラーは裁かれるであろうとダニエル書は告げる。彼らはこの信仰に立って、「神の平安がありますように」とお互いを祝福して、ガス室の中に入って行った。人間にとって恐ろしいのは、苦しみに圧倒されて、目の前の問題だけが大きくのしかかり、その苦難の意味や自分が今、どこに立っているのかがわからなくなった時だ。人が山に上る時、頂上が見えていれば現在の苦しみにも耐えられる。神は私たちに「地上ではなく天を見よ、天ではこの苦難を終らせるための会議が既に開かれている」と示される。

 

3.苦難の中での信仰と希望(モーセ黙想)

 

・マルティン・ルーサー・キング牧師は暗殺される前日、「私は山の頂に登ってきた」と説教した。

-1968年4月3日説教から「一体これから何が起ころうとしているのか、私には分からない。ともかく、私たちの前途が多難であることは事実である。しかしそんなことは、今の私には問題ではない。なぜなら、私はすでに山の頂に登ってきたからである。従って、もう何も心配していない。私だって、ほかの人と同じように長生きしたいと思う。長寿にはそれなりの意味があるから。だが、もうそういうことも気にしていない。神の御心を全うしたいだけである。神は私に山に登ることをお許しになった。そこからは四方が見渡せた。私は約束の地も見た。私は皆さんと一緒にその地に到達することは出来ないかもしれない。しかし今夜、これだけは知っていただきたい。すなわち、私たちは一つの民として、その約束の地に至ることが出来る、ということである。だから、私は今夜、幸せである。もう何も不安なことはない。私はだれも恐れてはいない。この目で、主の再臨の栄光をみたのだから」。

・彼は翌日、テネシー州メンフィスで白人民族主義者の凶弾に倒れ、39歳でこの世を去った。キングの説教は昔、モーセがネボ山に登り、神が約束されたカナンの地を前にして、イスラエルの民を祝福してから息絶えたという旧約聖書の記事を背景にしている。

-申命記32:48-52「主はモーセに仰せになった。『エリコの向かいにあるモアブ領のアバリム山地のネボ山に登り、私がイスラエルの人々に所有地として与えるカナンの土地を見渡しなさい。あなたは登って行くその山で死に、先祖の列に加えられる。兄弟アロンがホル山で死に、先祖の列に加えられたように。あなたたちは、ツィンの荒れ野にあるカデシュのメリバの泉で、イスラエルの人々の中で私に背き、イスラエルの人々の間で私の聖なることを示さなかったからである。あなたはそれゆえ、私がイスラエルの人々に与える土地をはるかに望み見るが、そこに入ることはできない。」

・モーセはイスラエルの民をエジプトから救い出すために神により指導者に任ぜられ、40年の苦闘の末に約束の地カナンまで民を導いてきたが、罪を犯したため約束の地を前にして死ぬ。この時の情景を歌ったものが新生讃美歌430番(教団賛美歌310番)「しずけき祈りの」である。

-しずけき祈りの・3番「しずけき祈りの時はいと楽し、そびゆるピスガの山の高嶺より、ふるさと眺めてのぼりゆく日まで、なぐさめを与え喜びを満たす」

-申命記34:1-5「モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた・・・主はモーセに言われた『これがあなたの子孫に与えると私がアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。私はあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。』主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ」。

・モーセもキングも志半ばにして死んだ。人間的に見れば無念な死に思えるが、二人とも心満ちて死んだ。クリスチャンにとって死は終わりではなく、この世の働きを終えた後の休息の時だ。天の国を目指す者として、私たちはこの世では寄留者であり旅人だ。パウロは語る「この世の有様は過ぎ去るからです」(1コリント7:31)。「この世の有様は過ぎ去る」ゆえに、世の出来事に重きを置いた生き方を私たちはしない。人の評価ではなく、神の評価を求めて生きる。

-イザヤ49:4「私は思った。私はいたずらに骨折り、うつろに、空しく、力を使い果たした、と。しかし、私を裁いてくださるのは主であり、働きに報いてくださるのも私の神である。」

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