1.偽善に気をつけさせる
・12章前半にはイエスがエルサレム途上で弟子たちに語られたことがまとめられている。最初の「ファリサイ派のパン種」は11章からのファリサイ派批判に続くものだ。聖書ではパン種は悪の象徴として用いられる。「パリサイ派のパン種に気をつけよ」とは、「パリサイ派の悪い慣習に染まるな」という意味だ。ほんの少しのパン種が全体を膨らませるから「パン種は取り除け」(第一コリント5:6)と言われる。
−ルカ12:1-3「数えきれないほどの群衆が集まって来て足を踏み合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。『ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。覆われているもので現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。』」
2.迫害に会う時
・4節以降に展開されるのは、迫害時における弟子の在り方である。これから行くエルサレムでイエスは殉教され、弟子たちも迫害される。弟子たちは迫害者の前にどう立つべきかをイエスは教えられる。ここでは、「例え殉教で死ぬことがあっても恐れるな」とのイエスの言葉が聞こえてくる。
−ルカ12:4-5「『友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄へ投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。』」
・イエスの弟子として生きていこうとすれば世から憎まれるだろう。その弟子たちに、イエスは「神が共におられるから心配するな」と言われる。
−ルカ12:6-7「『五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかに勝っている。』」
・ルカは次第に「教会の人々への警告」に力点を移していく。「あなた方がユダヤ教の会堂で、あるいは異邦人の法廷で審問されることも出てくる。しかし、権力者の前で私を否認すれば、天国に入ることは出来ない」と。これはイエスの言葉というよりも、迫害に直面する教会の信徒への呼びかけの言葉であろう。
−ルカ12:8-10「『言っておくが、だれでも人々の前で自分を私の仲間であると言い表す者は、人の子も神の天使の前で、その人を自分の仲間であると言い表す。しかし、人々の前で私を知らないと言う者は、神の天使の前で知らないと言われる。』」
・イエスのことを受け入れない者を赦すことができても、神が遣わされた聖霊(復活のキリスト)を冒涜する者は赦されない、それは神を直接冒涜したことになり、救い(命)を失うだろう。これもイエスの言葉というよりも、後の教会で語られた言葉であろう。
−ルカ12:10-12「『人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されない。会堂や役人、権力者のところに連れて行かれた時は、何をどう言い訳しようか、何をどう言おうかなどと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がその時に教えて下さる。』」
・ここでのルカはイエスの言葉を用いながら、迫害に苦しむ信徒に、会堂や法廷で審問された時の心構えを語る。紀元70年以降、教会はユダヤ教とローマ官憲の双方からの迫害に苦しむようになっていた。
-マタイ10:17-20「人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。また、私のために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。引き渡された時は、何をどう言おうかと心配してはならない。その時には、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。」
3.「愚かな金持ち」の譬え
・ラビは律法の教師であり、法律家として、事件や争いの調停も求められた。イエスもラビとして、相談を受けるが、相続の調停を求めて来た者に、「金で買えない命の大切さ」を教えられた。
−ルカ12:13-15「群衆の一人が言った。『先生、私にも遺産を分けてくれるように兄弟に言って下さい。イエスは言われた。『だれが私をあなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。』そして一同に言われた。『どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほどの物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。』」
・「命は金で買えない」という真理を示すために、イエスは「愚かな金持ちの譬え」を話される。ある金持ちがいた。彼にとって金がすべての人生だった。ある年、彼に幸運が訪れ、倉に納められないほど作物が収穫された。彼は有頂天になり、倉を増築したが、皮肉にも彼の寿命は尽きていた。
−ルカ12:16-19「それからイエスは譬えを話された。『ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、「どうしょう。作物をしまっておく場所がない」と思い巡らしたが、やがて言った。「こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ、『さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして食べたり飲んだりして楽しめ』と。」
・「人は物や金が自分の命を支えると思っているが、命の支配権は人にはない」。そして「人は財産を墓の中に持っていくことは出来ない」とイエスは語られた。
−ルカ12:20-21「『神は、「愚かな者よ。今夜お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったい誰のものになるのか」と言われた。自分のために富を積んで神の前に豊かにならない者はこの通りだ。』」
・日本で「老後アンケート」の心配の上位三項目は「年金制度、老後資金、病気・怪我」であり、その対策は「老後資金の貯蓄、生活費の見直し、年金額の確認」である。いずれもお金の心配であり、愚かな金持ちの譬えの主人公と同じだ。将来を神に委ねることができない者は自分に頼るしかない。私たちはどうなのだろうか。私たちは「富を天に積んで」、自分の老後を神に委ねる生き方をしているだろうか。いつの間にか、「すべては金目(かねめ)でしょう」というこの世の生き方に慣れているのではないだろうか。
4.思い悩むな
・「愚かな金持ちの譬え」のギリシャ語原文では、短い話の中に、私(ムー)と言う言葉が4回も出てくる。「私の作物、私の倉、私の財産、私の魂」、彼の関心は私だけだ。しかし、命が終る時、「私の倉も、私の穀物も、私の財産も、私の魂」も終る。故にイエスは言われる「何が一番大切なものか、知らなかったのか」。人はいつも将来を思い悩むが、イエスは弟子たちに「思い悩むな」と教え始められる。
−ルカ12:22-24「それからイエスは弟子たちに言われた。『だから言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養って下さる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。』」
・マタイでは「空の鳥」と変えられているが(5:26)、ルカでは「空の烏」(12:24)である。ルカが原文に近いと言われる。イエスは嫌われる烏でさえ、神の養いの中にあると語られる。また野の花は自然に従って咲き、かつ散るが、それでも栄華を極めたソロモン王より美しい。神が養っておられるからだ。
−ルカ11:25-28「『あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからと言って寿命を僅かでも延ばすことができようか。こんなごく小さいことさえできないのに、なぜ、他のことまで思い悩むのか。野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった。今日は野にあって明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたはなおさらである。信仰の薄い者たちよ。』」
・「思い悩む人々よ、あなたがたは、空の烏や野の花より大きな存在である。神が忘れるわけがない。神はあなたがたが生きて行くに必要なものは、すべてご存知である」とイエスは語られる。
−ルカ12:29-31「『あなたがたも何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また思い悩むな。それはみな世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをよくご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。』」
・「自分の命を救いたいと思う」人は、自分の蓄え、自信、自負、そういった自分の力で自分の命を救おうと思い、また救うことができると思っている。金持ちは穀物を倉に貯め込んで「もう安心だ」と思った。それが「自分の命を救いたいと思う」人の姿なのだ。しかし私たちの命は、私たちの力や努力、所有によって支えられるのではなく、神が導いておられる。その神の守りと支えをいただくことこそが、本当に命を得ることになる。
―ルカ12:32-34「『小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国を下さる。自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦りきれることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなたがたの富のある処に、あなたがたの心もあるのだ。』」