江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2015年5月20日祈祷会(ヨハネ福音書11:45‐12:19、イエスへの油注ぎとエルサレム入城)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.イエスを殺す計略

・ラザロ復活に対して二つの反応があった。多くの人々はイエスの奇跡の業に敬意と信頼を示し、他の人々はイエスに反発してファリサイ派に訴えた。復活の生命が、遠い未来ではなく、今信じている者に、イエスを通して与えられた。しかし、この奇跡が権力側の結束を固めてしまった
−ヨハネ11:45‐46「マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くはイエスを信じた。しかし、中には、ファリサイ派の人々のもとへ行き、イエスのなさったことを告げる者もいた。」
・祭司長たちやファリサイ人は、イエスの奇跡の業が民衆の心を捉えたので驚いた。彼らは自らの権威失墜を恐れ、狼狽した。民衆の反応が彼らの脅威となったのである。
−ヨハネ11:47‐48「そこで、祭司長たちとファリサイ派の人々は、最高法院を召集して言った。『この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。』」
・その年の大祭司カイアファは、彼らの狼狽を制して、「一人が死ぬことで、全てを失わなくて済む」と説き、イエス殺害を提案した。一人が全体のために死んで、全体が守られる。スケープ・ゴート(犠牲の羊)である。それは野獣の多い荒野に入る時に、一匹の雄山羊を荒野に放ち、野獣が山羊を食べている間に、群れを安全な所へ導く牧羊者の知恵であった(レビ記16:20-22)。
−ヨハネ11:49‐50「彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った。『あなたがたは何も分っていない。一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。』」
・ヨハネは、カイアファの提案の中に、彼の意図を越えた神の摂理を見ていた。イエスの殺害=十字架こそが、諸国民を解放する契機になる。十字架がなければ、イエスは弟子たちの記憶にのみ残る良き師(ラビ)に過ぎなかった。しかし、十字架と復活を通して、イエスは彼らの「救い主=キリスト」になって行く。歴史は神の業が働いていることを明白に示す。
−ヨハネ11:51‐54「これは、カイアファは自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬと言ったのである。国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるために死ぬと言ったのである。この日から彼らはイエスを殺そうとたくらんだ。それで、イエスはもはや公然とユダヤ人たちの間を歩くことはなく、そこを去り、荒れ野に近い地方のエフィライムという町に行き、弟子たちとそこに滞在された。」
・過越祭が始まり、巡礼のユダヤ人が大勢エルサレムへ集まった。彼らはイエスを捜し、祭りには来ないだろうと噂した。イエスは権力側のお尋ね者になってしまったのである。
−ヨハネ11:55‐57「さて、ユダヤ人の過越祭が近づいた。多くの人が身を清めるために、過越祭の前に地方からエルサレムに上った。彼らはイエスを捜し、神殿の境内で互いに言った。『どう思うか。あの人はこの祭には来ないのだろうか。』祭司長とファリサイ派の人々は、イエスの居所が分かれば届け出よと、命令を出していた。イエスを逮捕するためである。」

2.ベタニアで香油を注がれる

・ユダヤ人たちはイエスの人気の高まりを嫉妬し、殺そうとしていた。そこに、マルタとマリアからラザロの回復を祝う食事の招待が来た。イエスは危険を承知で、再び、エルサレム郊外のベタニアに行かれた。−ヨハネ12:1‐2「過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕していた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々のなかにいた。」
・イエスがベタニアで食事の席につかれたのは、過越祭の六日前、十字架の1週間前である。そこにマリアがナルドの香油を持ってきて、イエスの足に塗った。部屋は香油の香りで満ちた。香油は数百万円もする高価なものだった。マリアは弟ラザロのよみがえりを感謝して、最善の物を捧げた。それは愛のない人から見れば浪費である。
−ヨハネ12:3‐6「そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。『なぜ、この香油を売って、貧しい人々に施さなかったのか。』彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中味をごまかしていたからである。」
・高価なナルドの香油を、惜しげもなく注ぐマリアのもてなしを、イエスは快く受け止め、マリアを非難するイスカリオテのユダをたしなめた。イエスはマリアの「聖なる浪費」を喜ばれた。彼女の最善を捧げてくれたからだ。私たちが自分の持つ最善の物を献げる時、神はこれを受入れて下さる。香油は、マリアが結婚の準備として、大切に蓄えていたものであろう。彼女はそれを感謝としてイエスに捧げた。ひたむきな愛は見返りを求めない。だから、人を動かす。
−ヨハネ12;7‐8「イエスは言われた。『この人のするままにさせておきなさい。私の葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけではない。』」
・蘇ったラザロへの好奇心もあり、人々はイエスのもとへ引き寄せられた。それを知った大祭司たちはイエスに殺意を燃やし、ラザロをも殺そう考えた。
−ヨハネ12:9‐11「イエスがそこにおられるのを知って、ユダヤ人の大群衆がやって来た。それはイエスが目当てではなく、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロを見るためであった。祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行ってイエスを信じるようになったからである。」

3.エルサレムに迎えられる

・その後、イエスはエルサレムに入城され、群衆は歓呼で迎えた。イエスがラザロを死から蘇らせた噂がイエスの行く先々に流れていたからである。群衆はイエスをまるで凱旋将軍のように迎えた。しかし、イエスは軍馬にまたがる将軍ではなく、驢馬の背にまたがる平和の主としてエルサレムへ入った。
−ヨハネ12:12‐15「その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。『ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。』イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。次のように書いてあるとおりである。『シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる。ろばの子に乗って。』
・民衆はメシアを待ち望む詩篇を歌ってイエスを迎えた(詩篇118編、ホサナ=私たちに救いを)。イエスの弟子たちは、群衆がなぜ詩編を歌うのか分からなかった。彼らが、その詩がイエスについて書かれたのであると気づいたのは、イエスが復活した後のことだった。
−ヨハネ12:16‐17「弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光を受けられた時、それがイエスについて書かれたものであり、人々がイエスにその通りにしたということを思い出した。イエスがラザロを墓から呼び出して死者の中からよみがえらせた時一緒にいた群衆は、その証しをしていた」。
・エルサレムの群衆が、イエスを歓呼で迎えたのは、ラザロを蘇らせた奇跡を聞いたからであった。イエス歓迎を目撃したファリサイ人は、自らの無力を感じさせられ、落ち込んだ。
−ヨハネ12:18‐19「群衆がイエスを出迎えたのも、イエスがこのようなしるしをなさったと聞いていたからである。そこで、ファリサイ派の人々は互いに言った。『見よ、何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ったではないか。』」
・イエスは通常は歩いて旅をされた。しかし、このたびのエルサレム入城においては、あえてろばに乗って、エルサレムに入られた。マタイ21章では、イエスがエルサレム入城の時にろばに乗られたのは、聖書の預言の成就であったとして、ゼカリア書を引用している。それは、イエスが、ゼカリア書に象徴されるような「平和の主」である事を人々に示されるためだった。
-ゼカリア書9:9-10「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って。私はエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ」。

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