1.エルサレム教会に対する迫害
・ステファノの殉教がきっかけとなり、エルサレム教会への迫害が起こり、信徒たちはユダヤやサマリアへ散らされた。しかし、迫害でエルサレムを追われたのはギリシア語系ユダヤ人(ヘレニスト)たちだけであり、ペテロたち伝統主義者たち(アラム語系ユダヤ人)に対する迫害は起きていない。ヘレニストたちの自由な律法理解がファリサイ派からの迫害を招いた。サウロ(後のパウロ)も熱心なファリサイ派だった。
―使徒8:1−3「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方へ散って行った。しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた」。
・この信徒への迫害と、信徒の離散があることをイエスはすでに預言されていた。
―使徒1:7−8「イエスは言われた。『父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期はあなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、私の証人になる。』」
2.サマリアで福音が告げ知らされる
・迫害によりエルサレムを追われた人々による地方伝道が始まった。彼らは行く先々で福音を伝え、信徒への迫害は逆に福音をエルサレムの外へ拡大するきっかけとなった。フィリポはその宣教者の一人だった。
―使徒8:4−8「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はフィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話しに聞き入った。実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人々も癒してもらった。町の人々は大変喜んだ」。
・当時のユダヤ人はサマリア人とは交際しなかった(ヨハネ4:9)が、フィリポは聖霊の働きにより民族の確執を乗り越えた。彼は癒しや不思議な業を通して人々の回心を導き、多くの者がバブテスマを受けた。その中に魔術師シモンもいた。
―使徒8:9−13「ところで、この町に以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた。それで、小さな者から大きな者に至るまで皆、『この人こそ偉大なものといわれる神の力だ』と言って注目していた。人々が彼に注目したのは、長い間その魔術に心を奪われていたからである。しかし、フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女もバプテスマ(洗礼)を受けた。シモン自身も信じてバプテスマ(洗礼)を受け、いつもフィリポにつき従い、すばらしいしるしと奇跡が行われるのを見て驚いていた」。
・サマリア伝道の進展が、母教会エルサレムがペトロとヨハネをサマリアへ派遣する契機となった。
―使徒8:14−16「エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。二人はサマリアへ下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。人々は主イエスの名でバプテスマ(洗礼)を受けていただけで、聖霊はまだ誰の上にも降っていなかったからである」。
・魔術師シモンは世の中のものは何でも金で買えると思いこんでいた。だから、使徒たちの聖霊授与の力も金で買えると考えた。
―使徒8:17−19「ペテロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。シモンは、使徒たちが手を置くことで、“霊”が与えられるのを見、金を持って来て、言った。『私が手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、私にもその力を授けてください。』」
・ペトロはシモンの誤った考えを、仮借ない厳しい態度で戒めた。
―使徒8:20−25「すると、ペトロは言った。『この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。この悪事を悔い改め、主に祈れ・・・ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。」
・古代世界にはシモンのような占星術師、占い師、魔術師がたくさん居て、盲信的な人々に支持されていた。シモンにとって癒しは生計の手段だった。後日、聖職売買が彼の名をとって「シモニア(ラテン語Simonia)」と呼ばれるようになる。教会がお金や名声を求め始めたとき、教会もまたシモン主義になっていく。人々は現代でも魔術を求めている(新聞や雑誌には、占星術などによる運勢判断が、必ずというほど掲載されている)。現代人も迷信と真の信仰の違いを、認識できていない。
3.フィリポとエチオピアの高官
・フィリポはサマリアで福音を宣べ伝えていた、彼は主の天使から、「ガザへ行け」と命じられ、出かける。そこは寂しい道であったが、フィリポは何も問わずに行く。どこが伝道の適地かを判断するのは、私たちではなく神である。
―使徒8:26−29「さて、主の天使はフィリポに、『ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ向かう道に行け』と言った。そこは寂しい道である。フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。」
・ガザに着いたフィリポは、エチオピア人の宦官に、福音を伝える使命を与えられる。
―使徒8:30−31「すると、”霊“がフィリポに、『追いかけて、あの馬車と一緒に行け』と言った。フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、『読んでいることがお分かりになりますか』と言った。宦官は、『手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう』と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。」
・聖書は解き明かしを必要とする書だ。だから、共に読むことを必要とする。宦官が朗読していたのはイザヤ書53:7−8だった。
―使徒8:32−33「彼が朗読していた聖書の個所はこれである。『彼は羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。』」
・イザヤが預言した「苦難の僕」こそ、メシアとして来られ、十字架で死なれたイエス・キリストであるとフィリポは宦官に説き、彼にバプテスマを授けた。
―使徒8:34−38「宦官はフィリポに言った。『どうぞ教えてください。預言者は誰についてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。誰か他の人についてですか。』そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説き起こして、イエスについて福音を告げ知らせた。道を進んで行くうちに、彼らは水のある所へ来た。宦官は言った。『ここに水があります。バプテスマ(洗礼)を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。』そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官にバプテスマ(洗礼)を授けた。」
・何故、このエチオピア人はフィリポの説明でこんなにも簡単に受洗を希望したのだろうか。彼は宦官(去勢された男性)であり、ユダヤ教では会衆からは除外されていた(申命記23:2「睾丸のつぶれた者、陰茎を切断されている者は主の会衆に加わることはできない」)。その除外に対して「宦官もまた神の愛の中にある」と述べたのはイザヤであった。だから彼はイザヤ書を熱心に読み、イザヤが指し示す預言者がキリストであることを知り、キリストを救い主として受けいれた。
-イザヤ書56:3-5「主のもとに集って来た異邦人は言うな、主は御自分の民と私を区別される、と。宦官も、言うな、見よ、私は枯れ木にすぎない、と。なぜなら、主はこう言われる、宦官が、私の安息日を常に守り、私の望むことを選び、私の契約を固く守るなら、私は彼らのために、とこしえの名を与え、息子、娘を持つにまさる記念の名を、私の家、私の城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない」。
・初代教会はイエスの出来事を聖書の成就として福音を語り、その中でイザヤ53章が中心的な位置を占めていた。義人の死を通して彼らはイエスこそメシア(キリスト)であると述べ伝えた。
-大貫隆「イエスという経験」から「イエス処刑後に残された者たちは必死でイエスの残酷な刑死の意味を問い続けていたに違いない。その導きの糸になり得たのは聖書(旧約)であった。聖書の光を照らされて、今や謎と見えたイエスの刑死が、実は神の永遠の救済計画の中に初めから含まれ、聖書で預言されていた出来事として了解し直されるのである・・・彼らはイザヤ53章を『イエスの刑死をあらかじめ指し示していた預言』として読み直し、イエスの死を贖罪死として受け取り直した」。