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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2015年4月1日祈祷会(ヨハネ福音書7:1‐31、イエスの兄弟たちの不信仰)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.イエスの兄弟たちの不信仰

・ユダヤ人たちはイエスを捕らえようとしていた。イエスは危険を避けてユダヤには行かれなかった。その時、仮庵祭が近づいた。仮庵祭は元々農耕の祭であったが、この時代には、出エジプトを記念する民族の祭りとなっていた。祭は九月末から十月初めにかけて八日間行われた。
−ヨハネ7:1‐2「その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうと思われなかった。ときにユダヤ人の仮庵祭が近づいていた。」
・仮庵祭には大勢の巡礼者たちがエルサレムに集まる。イエスの兄弟たちはイエスに「エルサレムに行って、しるしを行い、預言者として名を揚げよ」と勧告する。イエスは断った。
−ヨハネ7:3‐5「イエスの兄弟たちが言った。『ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい。兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。』」
・それに対してイエスは「私の時はまだ来ていない」と答えられる。ヨハネ福音書でいう「私の時」とはイエスの受難の時である。
−ヨハネ7:6‐9「そこで、イエスは言われた。『私の時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。世はあなたがたを憎むことはできないが、私を憎んでいる。私が、世の行っている業は悪いと証ししているからだ。あなた方は祭りに上って行くがよい。私はこの祭りには上ってゆかない。まだ、私の時が来ていないからである。』こう言って、イエスはガリラヤに止まられた。」
・イエスの兄弟たちは、イエスを信じていない。肉親だからこそ信じるのが難しいのであろう。現代でも家庭伝道が最も難しいと言われる。しかし、イエスの復活後、イエスの兄弟たちも弟子の集まりの中にいた。復活は全てを変える力を持っている。物事には時がある。時が来れば、私たちの働きは報われるであろう。
-使徒言行録1:14「彼らは(弟子たちは)皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」。

2.仮庵祭でのイエス

・しかし、イエスはエルサレムに上られる。ヨハネは何故かを説明しない。エルサレムでは、ユダヤ人たちはイエスを捕らえようと探していた。ヨハネ福音書にいう「ユダヤ人」とはファリサイ人と律法学者たちである。彼らは自分を神とするイエスを憎んでいた。
−ヨハネ7:10‐13「しかし、兄弟たちが祭りに上って行った時、イエス御自身も、人目を避け、隠れるようにして上って行かれた。祭りの時、ユダヤ人はイエスを捜し、『あの男はどこにいるのか』と言っていた。群衆の間では、イエスのことがいろいろとささやかれていた。『良い人だ』と言う者もいれば、『いや、群衆を惑わしている』と言う者もいた。しかし、ユダヤ人を恐れて公然と語る人はいなかった。」
・イエスは「私は自分の言葉ではなく、私を遣わした神の言葉を教えている」と語った。しかし、学歴や地位でしかイエスを判断できない人々に、その意味は通じなかった。
−ヨハネ7:14‐17「祭りもすでに半ばになったころ、イエスは神殿の境内に上って行って教えられた。ユダヤ人たちが驚いて、『この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう。』と言うと、イエスは答えて言われた。『私の教えは、自分の教えではなく、私をお遣わしになった方の教えである。この方の御心を行おうとする者は、私の教えが神からでたものか、私が勝手に話しているのか、分かるはずである。』」
・「私は神から託された真理を語っている。その私を何故殺そうとするのか。あなたたちこそ律法を守っていないではないか」とイエスはユダヤ人に反論した。
−ヨハネ7:18‐19「『自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。モ−セはあなたたちに律法を与えたではないか。ところが、あなたたちはだれも律法を守らない。なぜ、私を殺そうとするのか。』」
・群衆はイエスの危機感が理解できない。
−ヨハネ7:20‐22「群衆が答えた。『あなたは悪霊に取りつかれている。だれがあなたを殺そうというのか。』イエスは答えて言われた。『私が一つの業を行ったので、あなたたちは皆驚いている。しかし、モ−セはあなたたちに割礼を命じた。もつとも、これはモ−セからではなく、族長たちから始まったのだが、だから、あなたがたは安息日にも割礼を施している。』」
・「子供が生まれると、生後八日目に割礼を施さねばならない」と律法に(レビ記12:3)定められている。しかし、八日目が安息日の場合も当然起こるから、その場合の割礼は認められている。なぜ、人体の一部を切る手術行為のような割礼を認めておきながら、病の癒しを認めないのか。人が安息日に病むことも当然あるではないかとイエスは反論された。
−ヨハネ7:23‐24「『モ−セの律法を破らないようにと人は安息日であっても割礼を受けるのに、私が安息日に全身を癒やしたからといって腹をたてるのか。上辺だけで裁くのはやめ、正しい裁きをしなさい。』」

3.この人はメシアか

・人々はイエスがメシアであるかどうか、半信半疑で見ていた。彼らはイエスの出生地、成長の過程、その両親、兄弟とあまりにも知り過ぎていたから、イエスを信じることが出来なかった。
−ヨハネ7:25‐27「さて、エルサレムの人々の中には次のように言う者たちがいた。『これは、人々が殺そうとねらっている者ではないか。あんなに公然と話しているのに、何も言われない。議員たちは、この人がメシアだということを、本当に認めたのではなかろうか。しかし、私たちは、この人がどこの出身か知っている。メシアが来られる時は、どこから来られるのか。だれも知らないはずだ。』」
・自分への疑問を耳にしたイエスは、大声で彼らに向かい、証しを始められた。
−ヨハネ7:28‐29「すると、神殿の境内で教えていたイエスは、大声で言われた。『あなたたちは私のことを知っており、また、どこの出身かも知っている。私は自分勝手に来たのではない。私をお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはその方を知らない。私はその方を知っている。私はその方のもとから来た者であり、その方が私をお遣わしになったのである。』」
・イエスを預言者と信じる者が群集の中に大勢いた。そのためユダヤ人たちはイエスに手を出せなかった。
−ヨハネ7:30‐31「人々はイエスを捕えようとしたが、手をかける者はいなかった。イエスの時はまだ来ていなかったからである。しかし、群衆の中にはイエスを信じる者が大勢いて、『メシアが来られても、この人よりも多くのしるしをなさるだろうか』と言った。」
・イエスの言葉を信じる者もいたが、まだ傍観者だ。イエスがメシアなのかどうかを議論している。私たちも傍観者である限り、救いには至らない。イエスが「キリスト、救い主」になるのは、私たちが全身を持ってそれを受け入れた時だ。
―ヨハネ20:26-29「八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。・・・イエスが来て真ん中に立ち、トマスに言われた。『あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、私のわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい』。トマスは答えて『私の主、私の神よ』と言った。イエスはトマスに言われた。『私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。』」

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