1.離縁についてのイエスの教え
・イエスはヨルダン川対岸のユダヤ地方に行かれた。イエスを慕い、教えと癒しを求める人々が、大勢イエスに付き従った。イエスは行く先々で大勢の病人を癒された。
−マタイ19:1-2「イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた。大勢の群衆が従った。イエスはそこで人々の病気を癒された」。
・イエスに付き従う群れの中に、ファリサイ派の人々がいた。彼らはイエスの言葉に、何か落ち度があれば、すぐ遣り込めようと、待ちかまえていた。彼らはイエスに罠を仕掛けるために離婚問題を持ちだした。
−マタイ19:3「ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、『何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか』と言った」。
・妻に問題があれば離縁することは律法で許されていた。
−申命記24:1「人が妻をめとり。その夫となってから、何か恥ずべきことを見出し、気にいらなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる。」
・申命記の「恥ずべきことが何か」について、解釈は割れていた。シャンマイ派は「恥ずべきこと」を女性の不倫と解釈し、唯一の離婚の条件とした。ヒレル派は、夫の夕食の支度を忘れるような日常のことも、妻として「恥ずべきこと」であると解釈しで離婚の条件とした。アキバ派は条件の幅をさらに広げ、夫の気にいらない妻は夫の恥であるとして、いつでも離縁状を渡してよいと解釈した。イエスがどのように答えようとも、それに対立する解釈が必ずあり、イエスを陥れることができると彼らは考えていた。彼らの目的はイエスを試すことで、イエスから学ぼうなどは毛頭考えていなかった。イエスの答えは彼らの予想を完全に覆し、離婚を禁じる原則論であった。
−マタイ19:4-6「イエスはお答えになった。『あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった』。そして、こうも言われた『それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない』」。
・イエスは創造の段階からの、神の御意を改めて彼らに説いた。神が人を男女に造ったのは、結婚により、父母から独立し、子孫を増やし、繁栄することであった。神が結び合わせたものを人が離してはならない。イエスは神の定めた結婚の原則を彼らに教えた。物事の是非にかかわる論議が枝葉末節に流れ混乱したときは、原則に戻すことが肝要である。イエスは彼らの考えを神の定めた結婚の原則に戻されたのである。
2.男性優位だったユダヤ人の結婚
・イエスを試みようとして、逆に言い込められたファリサイ派の人々は、「では、なぜモ−セは離縁状を渡して離縁するよう命じたのですか」と反問した。
−マタイ19:7-8「すると、彼らはイエスに言った『では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか』。イエスは言われた『あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない』」。
・モ−セは不当な離婚から女性を守るため、せめて離縁状で離婚の理由を明白に示せ、と男性に責任を求めたのである。そして、イエスは離婚を禁じる厳しい言葉を付け加えた。
−マタイ19:9「言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる」。
・当時のユダヤ人の結婚の現実は、結婚の理想を裏切っていた。当時は親か結婚仲介人により、男性の社会的地位や財力により結婚相手が選ばれていた。その結果、女性の意志は無視され、女性は親か夫の所有物のように扱われることになり、本人同志の愛情で結ばれるなど考慮されなかった。女性が一度も会ったことのない男性と婚約させられることなど珍しくはなかった。そのうえ、離婚の主導権は夫側にあり、女性は自ら離婚を申し出ることはできなかった。
3.弟子たちが抱いた結婚への疑問
・イエスの教えは、傍らで聞いていた弟子たちに、「離婚がそんなに難しいものなら、もう結婚したくありません」と言わせるほど厳しいものだった。イエスはモ−セが許容した離婚の条件まで否定してしまったのである。しかし、イエスは結婚そのものを否定したのではなかった。神により祝福されている結婚を人が歪めてしまったことを批判されたのである。
・そしてイエスは「結婚しない」という選択肢もありうることを示された。生涯独身を通さねばならぬ者の、三つ例を弟子達に示して、自らの意志で決めるよう勧めた。その三つの者は生まれつきの性的不具合者、宦官にされた者、聖職者である。
−マタイ19:10−12「弟子たちは、『夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです』と言った。イエスは言われた『だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。結婚できないように生まれついた者から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい』」。
・現在でもカトリックは離婚を原則禁止とし、聖職者の結婚を認めない。イエスの言葉に従ったのであるが、この形式的順守をイエスが喜ばれるかどうかは疑問である。パウロはもっと自由な解釈を示している。
-?コリント7:8-15「未婚者とやもめに言いますが、皆私のように独りでいるのがよいでしょう。しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。情欲に身を焦がすよりは、結婚した方がましだからです。更に、既婚者に命じます。妻は夫と別れてはいけない。こう命じるのは、私ではなく、主です。既に別れてしまったのなら、再婚せずにいるか、夫のもとに帰りなさい。また、夫は妻を離縁してはいけない。その他の人たちに対しては、主ではなく私が言うのですが、ある信者に信者でない妻がいて、その妻が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼女を離縁してはいけない・・・しかし、信者でない相手が離れていくなら、去るにまかせなさい・・・平和な生活を送るようにと、神はあなたがたを召されたのです」。
4.日本の離婚問題
・近代以降、結婚・離婚の規制は教会から国家へ移り、「婚姻の還俗化」が行われた。日本では元々夫婦は共白髪まで仲良く暮らすという穏やかな結婚観はあったが、離婚の制約は少なく、西欧より、離婚条件は俗化していた。例えば夫が妻に与える離縁状「三行半」、これは離婚理由と再婚許可をたった三行半で同時に行うものだった。教会の影響下で厳しかった西欧とは比較できないほどの緩やかなものであった。
・マスコミでよく言われる「結婚した3組に1組みが離婚」というのは「全国のその年の離婚件数」を「全国のその年の結婚件数」で割ったもので、正確ではないが、離婚の多い現代の世相を示す目安になっている。離婚理由は司法統計によれば、夫側は「性格が合わない」「異性関係」「異常性格」。妻側からは「性格が合わない」「暴力をふるう」「異性関係」の順になっている。離婚理由に関する研究がある。その研究で分かったことは、離婚するカップルも、仲の良いいカップルも、夫婦喧嘩をすることに変わりがないが、仲の良いカップルが話し合いを尽して和解するのと比べ、離婚するカップルはそれができず、対立を深めたまま別れの時が来てしまう。また夫婦間の話し合いの少ない場合も、人間関係の維持ができなくなり、離婚の原因となる。
・かつては親の離婚は子供に何の影響も与えないと考えられていたが、1970年代以降の研究で離婚が子供に悪影響を与えることが分るようになった。研究者たちは親が離婚している子供らを長期追跡して、親の離婚が子供たちに及ぼす悪影響を調査している。子供たちは親の離婚過程で大きな打撃を受け、両親から見捨てられた不安を抱き、学業成績が落ち、成人後の社会生活も安定せず、自分の結婚生活まで失敗してしまうなどの例を見出している。その結果、子供に対する悪影響を減らす対策が考えられ、日本も批准した「子供の権利条約」では、「子供の処遇は、子供の年齢に応じ子供の意見を聴くこと」「両親の別居後も、両親との接触を維持すること」などが提唱されている。