1.イエス、十二使徒を選ぶ
・9章のイエスは「働き人を送ってください」と祈るよう弟子たちに命じる(9:37-38「そのとき、弟子たちに言われた『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい』」。10章ではその働き人として、イエスは十二人を使徒に選び、世に送り出す。それまでの弟子たちは、イエスに付き従い、イエスの教えを聞き、イエスの業を目前にしていたものの、傍観者に近い者たちだった。その彼らをイエスは宣教の協力者、働き人と変えた。
−マタイ10:1−4「イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。十二使徒の名は次の通りである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである」。
2.使徒たちの履歴
・十二使徒に選ばれた者たちは最初から有能な働き人ではなかった。福音書は彼らの長所より、むしろ短所のほうを多く記している。その彼らがイエスの復活後一転して、思慮もあれば、勇気もある頼もしい働き人に変身し、力強い彼らの働きにより、福音は継承され、キリスト教は世界宗教に成長していく。
・ペトロはヘブル語ではシモン、アラム語ではケファと呼ばれていた。彼はイエスからペトロ(岩)と呼ばれている(マタイ16:17−20、ヨハネ1:41−42)。ペトロはガリラヤ湖の漁師で、湖で弟アンデレと網を打っているとき、イエスから「人間をとる漁師にしょう」と招かれ弟子となった(マタイ4:18−20)。イエスが祭司長に逮捕されたとき、イエスの仲間ではないかと、ペトロは三度問われ三度否み、イエスの預言通り鶏が鳴いたので、ペトロは号泣する(マタイ26:69−75)という逸話を残す。
・アンデレはペトロの弟で、ペトロと同じガリラヤ湖の漁師だった。彼はペトロといっしょに漁をしていたとき、イエスに招かれ弟子となった(マタイ4:18−20)。ヨハネ福音書によれば、ペテロとアンデレは元来洗礼者ヨハネの弟子であり(ヨハネ1:35−42)、そこで知り合ったイエスに従って行った。
・ゼベダイの子ヤコブ(十二使徒の中にもう一人ヤコブがいるので彼は大ヤコブと呼ばれている)はガリラヤ湖の漁師であった。彼は激しい性格だったので雷の子と仇名された。ヤコブはペトロと共にゲッセマネの祈り(マタイ26:36:45)や、山上の変容(マタイ17:1−13)にイエスと同伴している。
・ヨハネはゼベダイの子ヤコブの弟で、元ガリラヤ湖の漁師だった。彼はペトロ、ヤコブと共にイエスの最初の弟子であった。彼もまたヤコブ同様に気性が荒く雷の子と呼ばれていた。二世紀後半まで遡る伝承では、「ヨハネによる福音書」「ヨハネの手紙?、?、?」及び「ヨハネの黙示録」はヨハネが執筆したとされていたが、今はヨハネの弟子たち(長老ヨハネ等)が想定されている。
・フィリポは、ガリラヤへ向かう途中のイエスから、「従いなさい」と命じられ弟子となった(ヨハネ1:43−44)。彼はエルサレムに上って来たギリシャ人たちをイエスに紹介し(ヨハネ12:20−26)、旅の途中のエチオピアの高官にイザヤ書から説き起こし、バプテスマを授け(使徒8:26−40)たことでよく知られている。
・バルトロマイは「トロマイの子」を意味し、ナタナエルとも呼ばれている。フィリポの勧めで、イエスの弟子となった時(ヨハネ1:43−51)、イエスからナタナエルと呼ばれている。
・トマスはディディモ(双子)とも呼ばれていた。「疑い深いトマス」としてよく知られている。トマスは復活のイエスが信じられず、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ信じない。この手をわき腹に入れて見なければ信じられない。」と言い張ったが、それから八日後に現れたイエスから、「あなたの手を、指をわたしに触れて確かめなさい」と言われ、信じるようになった。イエスはトマスを諭している。「私を見たから信じたのか。見ずして信じる人は幸いである」(ヨハネ20:24−29)。
・マタイは徴税人だったので、ユダヤ人同胞から嫌われていた。徴税人はロ−マ帝国から徴税業務を請け負い、ロ−マ帝国へは定められた額だけ納めれば残りを自己のものとできたので、同胞から奪う者として憎まれていた。イエスはその憎まれ者のマタイを弟子にした。イエスの包容力の大きさがマタイを変えた(マタイ9:9−13)。二世紀のヒエラポリスの司教パピアスが「マタイはヘブル語で言葉を残した」と記していることを根拠に、使徒マタイが「マタイによる福音書」の著者であると長らく信じられ、「マタイによる福音書」は新約聖書の最初に置かれ権威を保ってきた。今日ではマタイ著者説は否定されている。
・アルファイの子ヤコブは、ゼベダイの子ヤコブと区別するため、小ヤコブとも呼ばれている。彼はイエスの近親者であるとも言われているが確証はない。
・タダイは「マタイ福音書」と「マルコ福音書」の使徒群に加わっているが、それ以上のことは分からないし、小ヤコブの兄弟とも言われているが詳細も不明である。
・熱心党シモンについての記述は、名前以外なにもない。しかし、一世記の歴史家ヨセフスの著書「ユダヤ戦記」に熱心党の記述がある。ヨセフスによると、当時ユダヤに四つの党派があった(ファリサイ派、サドカイ派、エッセネ派、熱心党)。熱心党はガリラヤのユダにより始められたとヨセフスは記している。そのガリラヤのユダは、使徒言行録5:33−40に記されている。シモンは熱心党の過激さに危さを感じて、イエスに従うようになったとも考えられる。
・イエスはイスカリオテのユダを信じていたからこそ、使徒団の財務をまかせた。そのユダがイエスの信頼を裏切り、道を誤る。ユダは史上最も悪名高き裏切り者の代表になってしまった(マタイ26:14−25,47−56)。イエスの死罪が決まった後、罪を悔いたユダは祭司長に金を返そうとしたが拒否され、神殿に金を投げ込み、自殺したと伝えられる(マタイ27:3−10)。
3.十二人を派遣する
・イエスは弟子たちに異邦人の地に行くなと命じている。異邦人の地とは北のシリア、東のデカポリス、南のサマリヤである。行くなと命じたのは、イスラエル同朋の救いを優先したからである。使徒たちの第一回伝道旅行はガリラヤ地方に限定されている。イエスは弟子たちに、死者を生き返らせることと、らい病の癒しを命じている。死者のよみがえりや、らい病の癒しは、今日でいう医療伝道であろうか。彼らの宣教の旅は、金も持たず、着替えも持たず、すべてを神に委ねた旅だった。
−マタイ10:5−10「イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。『異邦人の道に行ってはならない。また、サマリヤ人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの失われた羊のところへ行きなさい。行って『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、らい病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である』」。
・イエスは弟子達に対し、宣教の拠点にふさわしい家を探し、その家に留まるよう命じている。宣教の妨げになる家には留まるなということである。その家に入ったら、まず「シャローム」(平和があるように)と挨拶を交わすよう命じている。その挨拶が返されないような家は、彼らが留まるのに、ふさわしくない。宣教はいつでも、どこでも歓迎されるわけではない。「来る者は拒まず、去る者は追わず」、伝道の基本である。
−マタイ10:11−15「町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のところにとどまりなさい。その家に入ったら、『平和が有るように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落しなさい。はっきり言っておく、裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」
・宣教者は宣教を拒む家や町には留まれない。足の塵を払って立ち去るのは、強烈な拒否表示である。パウロとバルナバも、そのようにして町を出ている。
−使徒言行録13:49−51「こうして、主の言葉はその地方一帯に広まった。ところが、ユダヤ人は。神をあがめる貴婦人たちや町の重だった人々を扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。それで二人は彼らに対して足の塵を払い落し、イコニオンに行った。」