江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2014年12月3日祈祷会(マタイによる福音書26:1−30、ベタニアでの油注ぎと最後の晩餐)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.イエスを殺す計略の進行

・ユダヤ教信仰の中核である神殿を侮辱されたと憤慨するユダヤ教指導者たちは、イエスを殺す計略を練った。しかし二日後から始まる過越祭の間は実行を見合わせようと申し合わせた。祭の間、エルサレムには各地からの巡礼者が集まり、人々に人気のあるイエス逮捕は民衆の暴動を引き起こす可能性があった。
−マタイ26:1−5「イエスはこれらの言葉を語り終えると、弟子たちに言われた『あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられるために引き渡される』。そのころ、祭司長たちや民の長老たちは、カイアファという大祭司の屋敷に集まり、計略を用いてイエスを捕え、殺そうと相談した。しかし、彼らは『民衆の中に騒ぎが起こるといけないから、祭りの間はやめておこう』と言っていた」。
・他方、十二弟子の一人ユダはイエスを裏切ろうとしていた。マルコやマタイはその理由を記さないが、ヨハネは金銭欲であると記している(ヨハネ12:4−6)。聖書は時代が経るに従い、ユダをサタン化するが、これは正当ではないだろう。ユダはメシアとして何も行動を起こさないイエスに失望したのであろう。
−マタイ26:14−16「そのとき、十二人の一人でイスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、『あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか』と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。」
・イエスは十二弟子を招かれた。その中にはイスカリオテのユダもいたし、ペテロもいた。ユダはイエスを裏切った。彼は悪人(毒麦)だったのか。福音書が示すのは、ユダはイエスならば世を救う力を持たれているとの希望を持って弟子団に入り、他の弟子たちがイエスを見捨てた後もイエスに信従して来た。彼は良い麦として招かれたのに、何時の間にか毒麦に変ってしまった。ペテロはどうだろうか。彼は十二弟子の筆頭であり、イエスのために殉教している。彼は良い麦だったのか。しかし、福音書はイエスが捕えられた時、ペテロが大祭司の邸でイエスを否認していることを記述する。ペテロはイエスを裏切った。その時の彼は毒麦であったのか。ペテロの行為とユダの行為はどこが違うのか、同じであろう。同じ人が良い麦にも毒麦にもなりうるのではないか。

2.ベタニアで香油を注がれる

・二つの裏切りの記事に囲まれるように、香油をイエスに捧げた女性の記事が描かれる。ベタニアの女は高価な香油をイエスに捧げた。イエスの弟子達は、無駄使いしたと彼女を非難した。香油の値段の三百デナリは、当時の労働者一年分の賃金に相当した。
−マタイ26:6−9「さて、イエスがベタニアでらい病の人シモンの家におられたとき、一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。弟子たちはこれを見て、憤慨して言った『なぜ、こんな無駄使いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに』」。
・祭司長たちはイエスを殺す計画を立て、弟子の一人であるユダはイエスを裏切ろうとしている。他の弟子たちはイエスの最後の時が近づいていることに気付かない。その中で、女性は持っているもの全てを捨てて香油を求め、それを自分に注いでくれた。この香油は、メシア=油注がれた者としての自分の戴冠式であり、また自分の埋葬の準備として香油が注がれたとイエスは感じておられる(香油は死者の埋葬の時に体に塗られる)。この女性のひたむきな行為が十字架を前にしたイエスを慰めた。新生賛美歌652番「ナルドの壺」はこの行為を歌った賛美歌である。
−マタイ26:10−13「イエスはこれを知って言われた。『なぜ、この人を困らせるのか。私に良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけだはない。この人は私に香油を注いで、私を葬る準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。』」

3.過越の食事をする

・過越祭の第一日目は除酵祭で、種入れぬパンを食べてエジプトを脱出した記念を行う(出エジプト12:31−34)。イエスは、弟子たちに過越の食事の用意をするように命じる。
−マタイ26:14−19「除酵祭の第一日に、弟子たちが、イエスのところに来て、『どこに過越の食事をなさる用意をいたしましょうか』と言った。イエスは言われた。『都のあの人のところに行ってこう言いなさい。「先生が、私の時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をすると言っています」。弟子たちは、イエスの命じられたとおりにして、過越の食事の準備をした。」
・夕方になり食事が始まった。その時、イエスが、「あなたがたの一人が私を裏切ろうとしている」と言われたので弟子たちは動揺した。実際にイエスを裏切ったのはイスカリオテのユダであるが、弟子たちはことごとく「まさか私のことでは」と語り始める。弟子の誰もがイエスを裏切る可能性を持っていた。
−マタイ26:20−25「夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。一同が食事をしているとき、イエスは言われた『はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている。』弟子たちは非常に心を痛めて、『主よ、まさか私のことでは』と代わる代わる言い始めた。イエスはお答えになった。『私と一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、私を裏切る。人の子は聖書に書いてあるとおりに去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方がその者のために良かった。』イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、『先生、まさか私の事では』と言うと、イエスは言われた。『それはあなたの言ったことだ。』」

4.主の晩餐

・最後の晩餐の時、イエスは弟子たちに別れの言葉を与える。後に弟子たちは、この「最後の晩餐」を記念して、礼拝の中で「主の晩餐式」を行った。
−マタイ26:26−30「一同が食事をしている時、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。『取って食べなさい。これは私の体である』。また、杯を取り、感謝の祈りを唱え彼らに渡して言われた。『皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流される私の血、契約の血である。言っておくが、私の父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。』一同は賛美の歌を歌ってからオリ−ブ山へ出かけた。』
・「主の晩餐式」は現代の教会に受け継がれ、守られている。信徒は「主の晩餐式」を、イエス・キリストが十字架で肉を裂き、血を流し、その死により私たちの罪を購って下さったことを記念する式と理解する。パウロは初代教会から伝承された「主の晩餐の式辞」を記している。
−?コリント11:23−26「私があなたがたに伝えたことは、私自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのための私の体である。私の記念のためこのように行いなさい』と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、私の血によって立てられる新しい契約である。飲む度に私の記念としてこのように行いなさい』と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むごとに、主が来られる時まで、主の死を告げ知らせるのです」。
・教会が主の晩餐式を執り行うようになった経緯については二つの流れがある。一つはイエスと弟子たちの最後の晩餐を記念するもの、もう一つはイエスが群集と共に取られた荒野の食事に起源を持つ。イエスは集まった群集が食べるものもない状況を憐れまれ、手元にあったパンと魚で五千人人を養われた。大勢のものが一つのパンを食する、今日で言えば愛餐の食事が、主の晩餐式になったと考える人もいる。初代教会では、最後の晩餐と、荒野での共食が一つになって、主の晩餐式が執り行われた。弟子たちとの会食を強調する教会では主の晩餐式をクローズで行い(受洗者のみが参加する)、荒野の共食を重視する教会はオープンで行う(だれでも参加できる)。バプテストの群れでは、「どちらも正しく、どのように行うかはそれぞれの教会の選びだ」と認める。

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