1、洗礼者ヨハネ
・ヨルダン川でイエスにバプテスマを授けたヨハネは、古代イスラエルの預言者の一人であったが、彼はそれまでの預言者の枠を越えていた。ヨハネは多くの人々に、バプテスマを授けたが、彼の授けたバプテスマは、彼によりユダヤ教に改宗した者への印という、従来の慣習を越え、自分の罪を告白し、罪を悔い改めた者への印へと変えられたのである。
−マタイ3:1−4「そのころバプテスマのヨハネが現れて、ユダヤの荒野で宣べ伝え『悔い改めよ。天の国は近付いた。』と言った。これは預言者イザヤによってこう言われていた人である。『荒野で叫ぶ者の声がする。「主の、道を整え、その道をまっすぐにせよ。」』ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。」
・マタイは公の活動をする前のヨハネについては何も述べていないが、ルカはヨハネネの誕生の経緯と、彼に託された使命を記している。ルカによればヨハネはイエスの誕生より半年早く、祭司ザカリアと、妻エリザベツの間に生まれている。彼のイエスに先立つ先駆者としての使命は、ザカリアに臨んだ主の天使により、告げられたのである。
−ルカ1:13−17「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリザベツは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。彼は主の御前に偉大な人となり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先だって行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」
・ヨハネが宣教活動したユダヤの荒野は、エルサレムの東方ヨルダン川西岸と伝えられている。その荒野で、ヨハネは世俗を断ち切り、いなごや岩に巣をなす蜜蜂の蜜で命をつなぎ、厳しい修道生活をしていた。イザヤの預言はイザヤ40:3の「呼びかける声がある。主のために、荒野に道を備え、わたしたちの神のために、荒野に広い道を通せ。」である。
−マタイ3:5−9「そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネはファリサイ派やサドカイ派の人が多勢、バプテスマを受けに来たのを見て、こう言った。『蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。「我々の父はアブラハムだ」などと思ってもみるな。言っておくが神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがお出来になる。』」
・ファリサイ派とサドカイ派の人々が、バプテスマを受けようと群れをなしてヨハネのもとに来たが、ヨハネはその彼らを「蝮の子らよ」と呼び捨てにした。ファリサイ派は律法主義者、サドカイ派は祭司集団で、当時の有力な指導層であった。その彼らがヨハネの評判を聞いて彼の粗捜しに来ていたのである。彼らにとってヨハネのような、民衆に支持される新たな人物の出現は邪魔だったのである。彼らはヨハネの前で、一応従順を装うものの、ヨハネにその下心を見透かされ、呼び捨てされたのである。「蝮の子」は「邪悪な者よ」と言われたのと同じことである。ヨハネはその彼らにも悔い改めを迫っていたのである。
−マタイ3:10−12「『斧はすでに木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水でバプテスマを授けているが、わたしより後から来る方は、わたしより優れておられる。わたしはその履物をお脱がせする値打もない。その方は、聖霊と火であなたたちにバプテスマをお授けなる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。』」
・ヨハネは悔い改めない者を、良い実を結ばない木に例え、今すぐにも切り倒されるだろうと審判のときは迫っていると警告したのである。ヨハネの後から来る方とは、もちろんイエスである。イエスの聖霊のバプテスマは祝福であるが、火のバプテスマは裁きである。麦ともみ殻に仕分けられ、もみ殻は焼き払われると、審きの厳しさを強調したのである。
2、イエス、バプテスマを受ける
・イエスのバプテスマの場所はヨルダン川西岸のアレンビ―渓谷の南、カシ−ル・アル・ヤフドと伝えられている。イエスがヨハネからバプテスマを受けた理由は、イエスがヨハネのバプテスマを神からのものと認めたことにある。それはイエスが「正しいことをすべて行うのは、我々に相応しいことです。」と言っているように、正しいこととはすなわち、神に従うことと同義語だからである。
−マタイ2:13−15「そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼からバプテスマを受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。『わたしこそあなたからバプテスマをうけるべきなのに、あなたがわたしのところへ来られたのですか。』しかし、イエスはお答えになった。『今は止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々に相応しいことです。』そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。」
・イエスがバプテスマを受けたとき、神の霊が注がれ、祝福の言葉があったとマタイは伝える。イエスの受けたバプテスマは神に認められたのである。イエスの受けたバプテスマは、わたしたちが受けるバプテスマの模範である。わたしたちが教会で授けられるバプテスマは罪人の自分が、水に沈められ十字架のキリストとともに、一度死んで葬られ、水から上がるとき、復活のキリストとともに、新しい自分に生まれ変わるのである。そのときを境に、わたしたちは、正式なキリスト教徒と認められ、新生活が始まるのである。
−マタイ3:16−17「イエスはバプテスマを受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』と言う声が、天から聞こえた。」
*話し合いのために(現代聖書学はイエスの受洗をどのように理解するか)
・マルコではイエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたことをそのまま認めるが、マタイではヨハネがイエスに洗礼を授けることを躊躇したと述べ、ルカではイエスがヨハネから洗礼を受けられた事実そのものが削除されている。ヨハネ福音書ではイエスの受洗そのものがどこにも書いていない。この間の事情について橋本滋男は述べる「イエスがヨハネから洗礼を受けたことは,初期の教会にとって大きな問題となって残った。彼がメシアであれば悔い改めるべき罪を犯しているはずはないであろうに、何故あえて悔い改めの洗礼を受けたのかという問題である・・・またイエスはヨハネの弟子であったのかという歴史的神学的な問題が生じる・・・イエスの死後ヨハネ教団と多少とも競合的な関係にあった教会にとって、またイエスの完全なメシア性を主張すべき教会にとって、イエスが洗礼を受けたという事実は解決すべき難問であった」(新共同訳聖書新約聖書注解1:p44p)。
・「ルカ福音書注解」を書いた三好迪は注記する「ヨハネによるイエスの洗礼の事実は伝承の初期段階には肯定され、後期になるほど抹消される傾向がある。これに反して,洗礼の意味を説明する付随記事(天の開き、鳩の降下)は後期になるほど具象化され客体化される傾向にある・・・罪の赦しの洗礼は神の子たるイエスとは相容れぬという考え方が原始教会にあったので、伝承史の後期になるほど,これを抹消する傾向にあったのである」(新共同訳聖書新約聖書注解1:pp280-281)。
・佐藤研は「バプテスマの元来の意味について」という論文の中で述べる「何故イエスがわざわざ家族を棄ててまでヨハネの浸礼を受けに来たのか・・・それは彼の中にあった強烈な罪責問題である。それは必ずしもイエスが何か特定の,律法に記された罪の行為を犯したため、というのではない。もっと人間学的に根源的な負い目の意識であろう」。イエス当時の神殿は民の贖い(罪の救済)の役割を担っていたにも関わらず、祭司たちは金持ちや貴族だけに目を向け、贖罪の献げものをすることの出来ない貧しい人々の救済は放置していた。また律法学者やパリサイ人は律法を守れない貧しい人々を「罪人」と断罪して切り捨てていた。その結果人々は「飼い主のいない羊」(マルコ6:34)のような状況に放置されていた。神はこのような不条理を放置されない、その決心がイエスの受洗の動機にあると思える。イエスは受洗後、故郷に帰らなかった。長男として家族を養う責務までも棄てて受洗した、イエスの受洗は決定的な行為だった。イエスを「人の子」として見たとき見えてくる真理が、イエスを「神の子」として教理的に説明することによって、行為の重大性が隠されてしまうのではないだろうか。