1.エジプトへ避難する
・イエスの誕生を祝うため、旅に出た占星術の学者たちが、旅の途中ヘロデ王を訪れたことが、幼児虐殺事件の引き金となった。思いがけずユダヤの王の誕生を、学者たちから聞いたヘロデ王は、自らの王位が脅かされる危機を感じ、心中密かにイエス殺害を企てたが、ヘロデの悪意を見抜いた神が遣わした天使により、夢の中でヨセフに危険が伝えられる。夢のお告げを受けたヨセフは、幼子イエスとマリアを伴い、エジプトへ避難した。福音書はエジプト避難の詳細を省いているが、生命を守るためエジプトへ避難することは、極めて賢明なことであった。ヘロデの暴虐も国境を越えて及ぶことはないからである。イエスのエジプトでの避難生活は、エジプトのコプト教会により伝承され、多くの記念教会、記念修道院として保存され、現代に伝えられている。
−マタイ2:13−15「占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。『起きて子を連れて、エジプトへ逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデがこの子を探し出して殺そうとしている。』ヨセフは起きて夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した』と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」
・占星術の学者たちが別れの挨拶も報告もなく、しかも往路と別の道を通り帰国したと知ったヘロデは、うかつにも学者らの言葉を信じてしまった悔しさも加わり、すっかり逆上し、怒りの赴くまま、ベツレヘムに住む二歳以下の男児を虐殺してしまった。ヘロデに接していたユダヤ教の指導者たちが、どうして神かけて許すことのできない残虐非道な、無辜の男児殺しを制止しなかったのか不思議である。「私はエジプトからわたしの子を呼びだした。」は、ホセア11:1からの引用である(「まだ幼かったイスラエルを私は愛した。エジプトから彼を呼びだし、わが子とした」)。
−マタイ2:16−18「さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。『ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。』」
・マタイの引用した預言は、ヘロデの幼児虐殺を直接表したものではない。創世記の物語をエレミヤが下敷きし、マタイがさらに引用した二重引用である。しかし、悲劇の引用を重ねたことで悲しみは、より強調されることとなった。ヤコブとラケルの一行がベテルを出発し、ラビラタへ向かう途中ラケルは産気づき難産であったため、ベニヤミンを産んだ後、命を落とし道の傍らに葬られ、ヤコブがそこに記念碑を建てた。そこがラマであった。(創世紀35:16−20)。エレミヤはその上に、バビロン捕囚に連れ去られる子を見送る、母親の悲しみを重ねあわせ、(エレミヤ31:15)、マタイはさらにその上に、ヘロデに我が子を殺されたべツレヘムの母の悲しみを重ね合わせた。
2.エジプトから帰国する
・ロ−マ帝国はヘロデを信頼して領土を一括統治させていたが、ヘロデが死ぬと、遺言により、領土は三分割され、それぞれを三人の息子が相続した。ヘロデが考えていたのは、アルケラオを王に、二人の息子をそれぞれの地方領主にすることだった。しかし、ロ−マ帝国はアルケラオの王位継承を許さず、その結果、ユダヤ地方はアルケラオに、ガリラヤ地方はヘロデ・アンティパスに、北東の地方とヨルダン川の対岸はピリポに分割され、彼らはそれぞれの領主に納まった。しかし、ヘロデの死後の問題はそれだけでは解決しなかった。アケルラオはその治世の初めに、領内の有力者三千人を計画的に殺害し、父ヘロデ以上の残虐非道を行った。ヘロデは死んだが、そんなアケルラオが支配するユダヤ地方は安全な土地ではなき、事情を知ったヨセフはユダヤに帰るのを躊躇した。そんなヨセフに主の天使のお告げがあり、一家はガリラヤに住むことになった。ガリラヤ地方を治めていたヘロデ・アンティパスは、アケルラオより穏和な領主だったからである。
−マタイ2:19−23「ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。『起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命を、ねらっていた者どもは、死んでしまった。』そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでいると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方にひきこもり、ナザレという町に行って住んだ。『彼はナザレの人と呼ばれる』と、預言者たちを通して言われてことが実現するためである。」
・マタイは、イエスがナザレ人と呼ばれると預言されたと記している。しかし、その預言の典拠は不明である。しかしイエスがナザレ人と呼ばれたことは、まぎれもない事実である。
−マルコ1:21−24「イエスがカファアルナウムの会堂で教えられたとき、汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。『ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分っている。神の聖者だ。』」
・ペテロはイスラエル人を前にして、ナザレ人イエスこそ、死に勝った復活の主であると紹介した。
-使徒2:22−24「イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と不思議な業としるしによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがたが既に知っているとおりです。このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存知のうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者の手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということはありえなかったからです」
*参考資料「マタイによるイエスの幼児物語をどう読むか」(市川喜一)
・マタイは誕生後の幼児イエスの物語の各段落を、天使のお告げで始め、聖書の成就引用で意義づけながら進めてきました。この物語全体の構想は「モーセ・ハガダー」を下敷きにしていると見られます。「ハガダー」というのは、聖書の中の「律法」ではない物語的な部分を、会堂の聴衆のために解説的に敷衍した(拡大した)物語のことです。アダム、エノク、アブラハム、ヨセフ、モーセのような聖書の主要人物については、このような解説的な物語が発達していました。ヨセフスやフィロなどヘレニズム期のユダヤ人の著作やその時期の外典や偽典文書には、このような「ハガダー」物語が素材として多く保存されています。新約聖書のユダヤ人著者も時折、このような聖書本文以外の「ハガダー」物語に親しんでいたことを示す文を残しています。
・マタイが用いている「モーセ・ハガダー」は、マタイの少し前のユダヤ人歴史家ヨセフスが「ユダヤ古代誌」に保存しているハガダーと同じだと見られます。ヨセフスがイスラエルの歴史を記述した「ユダヤ古代誌」の第二巻によると、エジプトの予言能力がある祭司がファラオに、イスラエルの民を解放する偉大な指導者の誕生を予言します。それを聞いて肝を潰したファラオが、イスラエルの民の中に生まれた男の子をすべてナイル川に投げ込んで殺すように命じます。そして、その命令を確実に実行するためにエジプト人の助産婦が出産に立ち会うように命じられ、男の子を隠して生かした家族は処刑されることになります。アムラムは妻が身ごもっていたので、苦しみ抜いて神に祈ります。主は夢の中に現れ、彼にイスラエルを解放するだけでなく、いつまでも全世界に覚えられる偉大な人物の誕生を告げます。出産は軽く、三ヶ月間ひそかに家で育てますが、ついにいっさいを神の保護に委ねて、防水したかごに寝かせてナイルの岸辺に隠します。このように、「ハガダー」は聖書本文の記事を拡大しながら、具体的に名をあげたりして語り進められます。
・マタイは、誕生の次第を詳しく物語っているモーセ・ハガダーを下敷きにして、イエスがモーセのように神のご計画によって生まれたことを示すと同時に、モーセを超える方であることを示すイエス誕生物語を構成します。しかし、幼児イエスの物語はモーセ・ハガダーと共通するところもありますが、違いも多くあります。当時抑圧と迫害の地であったエジプトが今は避難の地であり、当時イスラエルの幼児を殺したのは異邦人の王であったが今はユダヤ人の王であり、当時モーセの誕生を予言した魔術師たちが今はイエスを礼拝する賢人であり、幼児を殺す王に荷担するのはユダヤ人学者となるというように、物語は逆転しています。このように、ここで語られるイエスは新しいモーセであると同時に、「裏返しのモーセ」でもあるのです。マタイは、モーセ・ハガダーを裏返しにして用いることによって、ユダヤ教会堂から追い出され迫害されるイエスが、異邦人の全世界にあがめられる、モーセより偉大な新しい救済者であることを語っているのです。こうして、マタイは誕生物語を、これから語ろうとする福音書全体の主題を示唆するプロローグとしているのです。