江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2009年3月4日祈祷会(マルコ10:32-52、三度目の受難予告と弟子たちへの戒め)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.三度目の受難予告

・イエスはエルサレムに到着する直前に三度目の受難予告をされた。
-最初の受難予告はエルサレムに向けて旅立つ時だ。この時、ペテロは受難を予告されるイエスに「そんなことがあってはいけません」と諌め、イエスから叱責される(8:31-38)。
-二度目の受難予告はエルサレムへの途上だ。この時、弟子たちは「誰が一番偉いかと議論していた」(9:30-37)。
・今エルサレムを臨んで最後の受難予告が為される。弟子たちはそれを聞き、「驚き、恐れた」とマルコは記す。聞きたくない、考えたくない事柄だったからだ。
-マルコ10:32-34「イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。イエスは再び十二人を呼び寄せて、自分の身に起ころうとしていることを話し始められた。『今、私たちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する』」。
・弟子たちはまだイエスを「栄光のメシア」と理解し、自分たちも栄光に預かりたいと願っている。マタイはヤコブとヨハネの言葉を母親の言葉に変え、弟子の無理解を緩和し、ルカは物語そのものを削除する。ただ、そのことによって、「生前の弟子たちはイエスの本質がわからなかった」という大事な点が見えにくくなっている。
-マルコ10:35-37「ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った『先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが』。イエスが『何をしてほしいのか』と言われると、二人は言った『栄光をお受けになるとき、私どもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください』」。
・イエスは弟子たちに問い返される「あなた方は栄光の道が受難であることをまだ理解しないのか」と。
-マルコ10:38-40「イエスは言われた『あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。この私が飲む杯を飲み、この私が受ける洗礼を受けることができるか』。彼らが彼らが『できます』と言うと、イエスは言われた『確かに、あなたがたは私が飲む杯を飲み、私が受ける洗礼を受けることになる。しかし、私の右や左にだれが座るかは、私の決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ』」。
・弟子たちもイエスの受ける洗礼を受ける。ヤコブは44年ごろ殉教し(使徒12:2)、ヨハネもエペソで苦難の人生を送る。イエス生前の弟子たちは無理解だ。しかし彼らはイエスに従い続け、復活のイエスに出会い、変えられた。
-使徒5:41-42「使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた」。

2.弟子たちとバルティマイ

・イエスは弟子たちに「仕える人生」を教えられる。私たちが仕えるべき相手は、年をとり気難しくなった老親や冷淡で無関心の配偶者、問題行動を繰り返す子どもだ。人には出来ないが、信仰は私たちをできるように変える。
-マルコ10:42-45「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」。
・信仰の力が示された例がバルティマイの召命だ。彼は盲目の物乞いだったが、イエスをあくまでも求めた。
-マルコ10:46-48「 一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。ナザレのイエスだと聞くと、叫んで『ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください』と言い始めた。多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます『ダビデの子よ、私を憐れんでください』と叫び続けた」。
・弟子たちは盲人を黙らせようとしたが、イエスはこの男の叫びに耳を傾けられる。
-マルコ10:49-52「イエスは立ち止まって『あの男を呼んで来なさい』と言われた・・・盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。イエスは『何をしてほしいのか』と言われた。盲人は『先生、目が見えるようになりたいのです』と言った。そこで、イエスは言われた『行きなさい。あなたの信仰があなたを救った』。盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った」。
・私たちはイエスのように盲人の目を開けることは出来ない。しかし彼にために時間を割き、必要なら治療のためのお金を出すことは出来る。イエスに癒された者は他者を癒すことが出来るようになるのだ。
-?ヨハネ3:16「イエスは、私たちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、私たちは愛を知りました。だから、私たちも兄弟のために命を捨てるべきです」。

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