江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2009年1月7日祈祷会(マルコ6:30-56、広野の会食と湖上歩行)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.広野の会食

・イエスと弟子たちは休むために人里離れた所に退かれた。しかしそこにもイエスを求める群集が押し寄せてきた。
−マルコ6:32-33「一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた」。
・イエスは群集を見て、「飼い主のいない」ような彼らの有様を深く憐れまれた。飼い主=指導者のいない、政治不在の状況である。人々は食べるものもない状況に追込まれていた。
-マルコ6:34「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた」。
・「飼い主のいない羊」、旧約では政治の不在が民を苦しめていることがしばしば批判される。
−エゼキエル34:5-11「彼らは飼う者がいないので散らされ、あらゆる野の獣の餌食となり、ちりぢりになった・・・私の群れは略奪にさらされ、私の群れは牧者がいないため、あらゆる野の獣の餌食になろうとしているのに、私の牧者たちは群れを探しもしない・・・見よ、私は自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする」。
・弟子たちは遅くなったので、人々が食事を取れるように集会を解散させることをイエスに提案する。それに対してイエスは「あなた方が食物を与えなさい」と言われた。5000人もの人がいる、弟子たちは困惑した。
−マルコ6:35-37「弟子たちがイエスのそばに来て言った『ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう』。これに対してイエスは『あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい』とお答えになった。弟子たちは、『私たちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか』と言った」。
・弟子たちには「五つのパンと二匹の魚」があった。イエスは天を仰いで祈り、パンを裂いて人々に分け与えられた。そのパンは5000人を養った。世界の穀物生産高は人口の2倍あるのに8億人が飢える。富の偏在の故だ。その時「あなた方が食物を与えなさい」というイエスの言葉を私たちはどう聞くのか。
−マルコ6:38-44「イエスは言われた『パンは幾つあるのか。見て来なさい』。弟子たちは確かめて来て、言った『五つあります。それに魚が二匹です』・・・イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。パンを食べた人は男が五千人であった」。
・この物語は四福音書全てに記されるほど、弟子たちの印象に残った。粗末な大麦のパンと魚を共に食べることがご馳走だった。イエスは「天を仰いで祈られ、祝福してパンを裂き、弟子たちに配らせた」。今年の正月には失業者救済の「年越しテント村」に多くのボランティアが集った。ここにこそ教会の働きがあるのではないか。

2.湖上歩行

・広野の食事の後、イエスは弟子たちに向こう岸に先に生かせ、ご自身は祈るために、山に登られた。
-マルコ6:45-46「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた」。
・イエスは山に、弟子たちは湖にいる。やがてイエスは天に帰られ、弟子たちは地上に残される。
-マルコ6:47「夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた」。
・湖上では強い風が吹き、弟子たちは前に進めない。イエスは湖上を歩いて舟に行かれた。イエスは天に帰られた後も助けの手を伸ばされる。不信仰な弟子たちはイエスを見て恐れる。マルコは教会にこの物語を聞けと告げる。
-マルコ6:48-49「逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て・・・湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て幽霊だと思い、大声で叫んだ」。
・イエスが舟に乗り込まれると風は静まった。マルコは、弟子たちはパンの奇跡を理解しなかったと記す。五つのパンで5千人を養われた方は、湖を歩いて弟子たちを助けることも出来るお方だ。
-マルコ6:50-52「皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて『安心しなさい。私だ。恐れることはない』と言われた。イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである」。
・パンの奇跡は、主はどのような時でも神の民を養いたもうことを示す。湖上の奇跡は、主はどのような時にも共におられ、必要な時には助けて下さることを示す。「たといそうでなくても」という信仰を私たちは持てるだろうか。
-ダニエル3:17-18「私たちの仕えている神は、その火の燃える炉から、私たちを救い出すことができます。・・・たといそうでなくても・・・私たちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」。

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