江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2008年5月7日祈祷会(ルカ6章、神の国の新しい戒め〜愛)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.安息日にあえていやしをされるイエス

・イエスは安息日にたびたび人をいやされた。あえて安息日の戒めを破ろうとしておられるようだ。イエスがいやされた人々の病はいずれも慢性病であり、翌日に延ばしても良かったのに、あえて安息日にいやされた。
−ルカ6:6-10「安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに一人の人がいて、その右手が萎えていた。律法学者たちやファリサイ派の人々は、訴える口実を見つけようとして、イエスが安息日に病気をいやされるかどうか、注目していた。・・・イエスは彼らの考えを見抜いて、手の萎えた人に『立って、真ん中に出なさい』と言われた。その人は身を起こして立った。そして、彼ら一同を見回して、その人に『手を伸ばしなさい』と言われた。言われたようにすると、手は元どおりになった」。
・安息日は、神の創造の業を覚えるためであり(出エジプト記20:8-11)、神による救済を感謝する日であった(申命記5:12-15)。しかし、いつの間にか安息日に仕事を行う者は呪われると変えられた。
−出エジプト記31:14「安息日を守りなさい。それは、あなたたちにとって聖なる日である。それを汚す者は必ず死刑に処せられる。だれでもこの日に仕事をする者は、民の中から断たれる」。
・イエスは安息日を本来の祝福に戻そうとされた。律法の本来の解釈こそがイエスの言葉である。
−ルカ6:5「彼らに言われた『人の子は安息日の主である』」。
−ルカ6:9「イエスは言われた『あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか』」。

2.神の国の新しい戒めは愛である

・5:20から「平地の説教」が始まる。マタイでは山上で語られ(山上の説教)、ルカでは平地で語られたからだ。−ルカ6:20-22「イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた『貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる』。
・マタイは「心の貧しいものは幸いだ」というが、ルカでは「貧しいものは幸いだ」である。イエスはアラム語で語られ、その語録もアラム語だ。それをマタイとルカはギリシャ語に翻訳した。翻訳の過程で、解釈が入る。
−マタイ5:3「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」。
・貧困や飢えや泣くことが祝福なのではない。イエスに従うためにそのようにされたことこそが祝福なのだ。
−ルカ6:22-23「人々に憎まれる時、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられる時、あなたがたは幸いである。・・・この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである」。
・ルカでは富や健康や笑いが呪われている。幸福になることが呪われているのではなく、この世の富や賞賛に自己満足して、神を求めないことが不幸だと言われている。マタイにはこの呪いがない。解釈の違いが出ている。
−ルカ6:24-26「富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている。今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる。すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である」。
・戒めの中核は愛だ。この愛は感情ではなく、意思だ。感情でなく意思だからこそ、愛は「報復しない」。
−ルカ6:27-30「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい」。
・愛の本質の第二は報いを求めないことだ。愛は自己の利益ではなく他者の利益を求めるのだ。
−ルカ6:31-34「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。・・・自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。・・・返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか」。
・愛の本質の第三は裁かないことだ。神によって赦された者は他者を裁くことは出来ない。
−ルカ6:37-38「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない・・・赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる」。
・これらの教えは倫理ではなく信仰だ。だから行いが求められる。信仰は良い行いという実を結ぶのだ。
−ルカ6:44-46「木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。・・・人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。私を『主よ、主よ』と呼びながら、なぜ私の言うことを行わないのか」。

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