1.荒野の試み
・イエスがバプテスマを受けられた時、天から声があった「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」。自分がメシアであると自覚されたイエスは、何をすべきかを知るために、霊により荒野に導かれた。
−ルカ4:1-2「イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた」。
・荒野でささやく声がイエスを誘惑した「メシアであればこの石をパンに変えて、人々を養ったらどうだ。モーセは天からのパンで人々を養ったではないか」。栄光のメシアになれとの誘惑である。イエスはこれを拒否された。
−ルカ4:3-4「悪魔はイエスに言った『神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ』。イエスは、『人はパンだけで生きるものではないと書いてある』(申命記8:3)とお答えになった」。
・第二の誘惑は「王になってこの世を支配せよ」というものであった。民衆はローマからの解放を望んでいる、ローマに反乱を起こし、この世に神の国を作れとのささやきである。イエスはこれも拒否された。
−ルカ4:5-8「悪魔は言った。『この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それは私に任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もし私を拝むなら、みんなあなたのものになる』。イエスはお答えになった『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよと書いてある』(申命記6:13)」
・第三の試みは「与えられた力を自分のために用いよ」への誘惑であった。イエスは拒否された。
−ルカ4:9-12「『神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。・・・神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。また、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』。 イエスは『あなたの神である主を試してはならないと言われている』(申命記6:16)とお答えになった」。
2.ガリラヤでの宣教の始まり
・イエスはガリラヤに帰られ、カペナウムを拠点に宣教を始められた。イエスの行われた病のいやしや悪霊の追い出しに人々は驚き、イエスの評判は地方一帯に広がって行った。イエスは故郷ナザレに帰られた。人々は興奮してイエスを迎えた。イエスは安息日に会堂にお入りになり、イザヤ書61:1-2を読まれた。
−ルカ4:17-19「主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」。
・人々はイエスが奇跡を起こされるものと期待していた。しかし、イエスは静かに語られたのみであった。
−ルカ4:20-21「イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にした時、実現した』と話し始められた」。
・人々は不満だった。人々が求めたのは病のいやしであり、貧からの解放だった。しかし、イエスは神の言葉に信頼せよと言うだけで何も具体的なしるしを行わない。人々はつぶやき始めた。
−ルカ4:22「この人はヨセフの子ではないか」。
・イエスは彼らに言われた「救いは信仰によって与えられる。その信仰が無ければ救いは無い」と。
−ルカ4:23-27「カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれと言うにちがいない。・・・はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。・・・エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった」。
・人々は怒り始めた。彼らはイエスからいただくことを期待し、与えないイエスを殺そうとしたのだ。人が求めるのは“現世利益”なのだ。それを与えないイエスを人々は十字架につける。荒野の試みがここにもある。
−ルカ4:28-29「これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした」。
・私たちが求めるのは栄光のメシアであり、苦難の僕ではない。自分のために神を崇めていくのか、神のために自分が仕えていくのか。仕える時に本当の幸いがあるとイエスは言われた。
−ルカ6:20-21「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる」。