1.会堂長の娘の癒し
・イエスがガリラヤに戻られると、会堂長のヤイロが来て「娘が死にそうです。助けてください」と求めた。イエスはユダヤ教会から異端の疑いをかけられ、会堂に入る事を禁止されている。そのイエスの足元にユダヤ教の指導者がひざまずいた。「娘が死にそうだ」、懸命な父親の気持ちが世間体や打算を崩した。
−マルコ5:21-23「会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った『私の幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう』」。
・イエスは出かける準備をされた時、そこに「娘は死んだ」との知らせが会堂長の家から来る。
−マルコ5:35「イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った『お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう』」。
・しかしイエスは会堂長の家に行かれる。そして会堂長に言われる「恐れることはない。ただ信じなさい」。
−マルコ5:36-37「イエスはその話をそばで聞いて『恐れることはない。ただ信じなさい』と会堂長に言われた」。
・家に行くと、人々は大声で泣き叫んでいた。イエスは人々に「子どもは死んだのではない。眠っているだけだ」と言われた。人びとはイエスを嘲笑した。
-マルコ5:38-40「一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て・・・人々に言われた『なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ』。人々はイエスをあざ笑った」。
・イエスが死んだ子どもの手をとって「タリタ・クミ」と言われると、子どもは起き上がった。
−マルコ5:40-42「イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。そして、子供の手を取って『タリタ、クム』と言われた。これは『少女よ、私はあなたに言う。起きなさい』という意味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだした・・・それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた」。
・内村鑑三は17歳の娘ルツが危篤になった時、熱心に神に祈ったが娘は死んだ。彼は次のように言う
−内村の祈り「私の耳に響きしはただイエスの言葉であった。『恐るるなかれ、ただ信ぜよ』と。されど私の信仰はついに無効に帰した。私は非常に失望した・・・私の信仰は根底よりゆるぎだした。私は暗黒の淵へと投げ込まれた・・・しかし、私の娘の場合においても、私の祈祷が聞かれなかったのではない。聞かれつつあるのである。終わりの日において、イエスがすべて彼を信ずる者をよみがえらしたもう時に、彼は私の娘に向かっても『タリタ・クミ 娘よ起きよ』といいたもうのである(内村鑑三聖書注解全集第十五巻 ヤイロの娘より引用抜粋)。
2.長血を患う娘の癒し
・ヤイロの娘の癒しに挟まれるように、長血を患う娘の話が挿入されている。長血=慢性の子宮出血に12年間も苦しめられていた娘が藁をもつかむ気持ちで、群集の後ろからイエスに触れた。
−マルコ5:24-28「ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。『この方の服にでも触れればいやしていただける』と思ったからである」。
・出血の病気は不浄とされ(レビ記15:25)、彼女は公的な場から締め出されていた。だから彼女は前からではなく、後ろからイエスに触れる。すると出血が止まった。またイエスも自分の中から力が出て行ったことを感じられた。
-マルコ5:29-30「すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、『私の服に触れたのはだれか』と言われた」。
・イエスは娘を見出すと彼女を祝福して言われた「娘よ、あなたの信仰があなたを救った」。肉体的な病の癒しだけでは十分ではない。人は臓器の集合体ではない、全人的な癒し=救いが今日の医学にも求められている。
-マルコ5:32-34「イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた『娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい』」。
・何故マルコはヤイロの娘の癒しの物語に長血の娘の癒しを挿入したのだろう。会堂長に対する奉仕の業を中断してまでも、娘の癒しに向かわれるイエスの姿を示して、有力者に眼を向けがちな教会を批判しているのではないか。
−ヤコブ2:2-4「あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。その立派な身なりの人に特別に目を留めて『あなたは、こちらの席にお掛けください』と言い、貧しい人には『あなたは、そこに立っているか、私の足もとに座るかしていなさい』と言うなら、あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか」。