1.婦人たちの目撃証言
・十字架と復活は福音の中核的な事柄だ。復活がなければ弟子たちの宣教も私たちの信仰も全て無意味だ。
−?コリント15:17「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります」。
・十字架は歴史的な事実だ。しかし、復活は信仰者だけが認識する信仰の出来事だ。それゆえに多くの人が復活の事実を疑う。空の墓を見出した婦人たちも復活を理解していない。彼女たちは遺体に香料を塗るために墓に急いだ。
−ルカ24:1「(婦人たちは)週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った」。
・彼女たちが墓に着くと、墓の石は転がしてあり、イエスの遺体はなかった。婦人たちは当惑する。そこに二人の御使いが現われ、「イエスは復活された、ここにはおられない」と伝える。
−ルカ24:2-8「見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた・・・『なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい・・・』」。
・弟子たちは婦人たちから知らせを受けても、復活を認識できない。聖書学者ブルトマンはイエスの復活を「十字架の神話的象徴」とするが、そうではない。婦人たちの出会いは現実の出来事だ。
−ルカ24:9-12「(婦人たちは)墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。・・・婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った」。
2.エマオ途上での復活者との出会い
・エマオ途上での復活者との出会いはルカだけが記す。クレオパともう一人の弟子がエマオ(エルサレムから12キロにある村)に向かう途上で一人の旅人が同伴したが、二人はそれがイエスであるとはわからなかった。
−ルカ24:13-16「ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」。
・彼らはイエスの死に消沈していた。神はイエスを救うために介入されなかった。クレオパは旅人に事情を話す。
−ルカ24:18-21「クレオパという人が答えた『・・・ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。私たちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります』」。
・彼らはイエスの墓が空であったという報告を受けているが、それがイエスの復活だとは思っていない。彼らにはイエスが復活するという考えはなかった。ここでもルカは「復活は神話的象徴だ」という考えを否定している。
−ルカ24:22-24「ところが、仲間の婦人たちが私たちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした」。
・イエスは会話に加われられたが、二人はまだイエスと気づかない。ただその人の話をもっと聞きたいと思い、イエスに村に泊まっていくように引き止めた。彼らがイエスとわかったのは食事の時のパン裂きを見てであった。
−ルカ24:28-31「一行は目指す村に近づいた・・・二人が・・・無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」。
・イエスだとわかった時に、イエスの姿は見えなくなった。復活のイエスとの出会いは通常を越える経験であることは事実だ。しかし、現実の出来事だ。彼らの心は燃えていた。彼らはすぐにエルサレムに引き返した。消沈してエルサレムを出た二人は喜び勇んでエルサレムに戻る。復活者との出会いは人を生き返らせる力を持つ。
−ルカ24:32-35「二人は『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、私たちの心は燃えていたではないか』と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した」。