江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2007年12月26日祈祷会(使徒言行録16章、福音はヨーロッパへ)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.テモテ、ルカとの出会い

・パウロとシラスは、陸路デルベ、リストラへ行く。前回の訪問から5年が経っていた。彼らはエルサレム教会からの指針を伝えながら教会を再訪した。この旅行で、後にパウロの最愛の弟子となるテモテが与えられる。
−使徒言行録16:1-4「パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた・・・パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。 彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた」。
・彼らはその後アジア州の州都エペソに向かおうとするが、「聖霊が禁じた」ので、海岸地方のトロアスに向かう。そのトロアスで彼らはルカに出会い、ルカの導きでマケドニアに行く。
−使徒言行録16:6-9「彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、私たちを助けてください』と言ってパウロに願った」。
・「聖霊が禁じた」とは、何らかの事情で、予定の訪問が出来なくなったのであろう。ガラテヤ4:13-14、?コリント12:7をあわせて勘案すれば、パウロはおそらく病気になり、医者を求めてトロアスに行き、医者ルカに出会ったのであろう。16:10から有名な「私たち」文書が現れる。ルカが合流したのであろう。
−使徒言行録16:10「パウロがこの幻を見たとき、私たちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神が私たちを召されているのだと、確信するに至ったからである」。
・人生において、思わぬ出来事により、希望が満たされず断念し、あるいは遠回りをすることがある。しかし、後から振り返り、その遠回りこそ、神の導きだったことがわかる時がある。有名な「病者の祈り」がそれを示す。
−病者の祈り「私は神に求めた、成功をつかむために強さを。私は弱くされた、謙虚に従うことを学ぶために。私は求めた、偉大なことができるように健康を。私は病気を与えられた、より良きことをするために・・・求めたものはひとつも得られなかったが、願いはすべてかなえられた。神に背く私であるのに、言い表せない祈りが答えられた。私はだれよりも最も豊かに祝福されている」。

2.福音はヨーロッパへ

・彼らは対岸のピリピに着く。そのピリピで、パウロたちはリディアに出会う。ヨーロッパ最初の回心者である。
−使徒言行録16:12-15「マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。・・・安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。私たちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。そして、彼女も家族の者も洗礼を受けた」
・その後、パウロたちは、地元の偶像礼拝者たちとトラブルになり、鞭打たれ、投獄される。しかし、獄中で彼らは喜びの賛美をする。投獄も彼らの熱心を妨げることは出来なかった。
−使徒言行録16:23-25「何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた」。
・その時、地震が起こり、パウロたちを縛る鎖も外れた。パウロたちは、囚人脱走の責任を感じて自害しようとする看守を助け、彼を引きとめ、その結果、看守も回心し、家族一同で洗礼を受けた。
−使徒言行録16:26-34「大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。パウロは大声で叫んだ『自害してはいけない。私たちは皆ここにいる』。看守は・・・二人を外へ連れ出して言った『先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか』。二人は言った『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます』・・・看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた」。
・主にある者は囚われても自由であり、主にない者には本当の自由はないことを知った看守は、悔い改めて受洗した(参照・ピリピ1:12−14)。また一人の回心は家族の救いをももたらした(参照・使徒2:39)。牢を出たパウロたちはリディアの家に行って兄弟たちと会い、彼らを励ましてからテサロニケに向かった。
−使徒言行録16:40「牢を出た二人は、リディアの家に行って兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出発した」。

-

Copyright© 日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会 , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.