1.教会の長老と若い人たちへ
・人は世から選び出されてキリスト者になるが、世に属さないゆえに苦難を受ける。その苦難を喜びなさい。
―?ペテロ4:12-16「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。・・・キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません。むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい」。
・「キリストも苦難を受けられた。私はその証人だ。その私が命じる“神の羊の群れを正しく養いなさい”」。
―?ペテロ5:1-2「私は長老の一人として、また、キリストの受難の証人、やがて現れる栄光にあずかる者として、あなたがたのうちの長老たちに勧めます。あなたがたに委ねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい」。
・イエスはペテロに「私の羊を飼いなさい」と命じられた。ペテロはその務めを果たしてきた。世を去るに当たり、ペテロは後継の長老たちに命じる「神の羊の群れを飼いなさい」と。こうして教会は継続するものとなった。
―ヨハネ21:17「三度目にイエスは言われた「ヨハネの子シモン、私を愛しているか」。ペトロは、イエスが三度目も「私を愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った「主よ、あなたは何もかもご存じです。私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」。イエスは言われた「私の羊を飼いなさい」」。
・羊を飼うとは支配者になることではなく、仕えることだ。牧師は群れの指導者である以上に献身者である。
―?ペテロ5:3-4「ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範になりなさい。そうすれば、大牧者がお見えになるとき、あなたがたはしぼむことのない栄冠を受けることになります」。
・イエスは最後の晩餐の時に、弟子たちの足を洗い、牧会者の模範を示された。牧師も群れの足を洗っていく。
―ヨハネ13:12-15「イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた「私があなた方にしたことが分かるか。あなたがたは、私を『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。私はそうである。ところで、主であり、師である私があなた方の足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。私があなた方にした通りに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである」。
・ペテロは若い人々に「長老に従いなさい」と勧め、また「神に信頼して人生を送りなさい」と勧める。
―?ペテロ5:5-7「若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。・・・神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです」。
2.信仰に踏みとどまりなさい
・人の心に中に悪魔がいる。その悪魔は内に向かっては人を自己利益に導き、外に向かっては他者に対しては攻撃的になる。この内外の悪魔に注意し、抵抗するようにペテロは勧める。
―?ペテロ5:8-9「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです」。
・この内外の暴力にどう立ち向かうのか。キング牧師の以下の言葉は?ペテロ5章の最良の注解書だ。
―キングの言葉1「暴力の最大の弱点は、それが破壊しようとしているまさにそのものを、かえって増幅し、拡大することだ。悪を消すのではなく悪を増産してしまう。・・・暴力で憎む人を殺すことはできても、憎しみそのものを消し去ることはできない。逆に暴力は憎しみを生み出すだけだ。・・・暗闇を暗闇が消し去ることはできない。暗闇を消し去ることができるのは光だけである。憎しみが憎しみを消し去ることはできない。憎しみを消し去ることができるのは、愛だけである。」
―キングの言葉2「非暴力的アプローチが、直ちに相手の心を変えるというわけではない。非暴力は、まずそれにかかわる人の心や魂に対して、何らかの働きかけをして新しい自尊心を与える。つまり、彼らが自分にはそのようなものがあるとは気づかなかった勇気の源を呼び覚ますのである。そしてそれは、ついには相手の心に到達し、良心を動かして和解が実現することになるのである。」
・神の恵みと憐れみに寄り頼んで、この寄留の世を過ごしなさいとペテロは言う。
―?ペテロ5:10-11「しかし、あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。力が世々限りなく神にありますように、アーメン」。