江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2007年4月25日祈祷会(ヨハネ黙示録3章、七つの教会への手紙?)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.サルディス、ファイラデルフィア教会への手紙

・ヨハネはローマ帝国の迫害に苦しむ小アジアの七つの教会に宛てて手紙を書く。しかし、全ての教会が迫害の中にあったのではない。サルディスの教会には迫害はなかったが、その分、信仰が無気力化、停滞化していた。
―黙示録3:1-2「私はあなたの行いを知っている。あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。目を覚ませ。死にかけている残りの者たちを強めよ。私は、あなたの行いが、私の神の前に完全なものとは認めない」。
・人が世の現実と妥協した時、信仰は死ぬ。サルディスの人々は「皇帝を拝んでも信仰は汚れない」として妥協したのであろう。その結果、迫害はなくなったが、信仰は死んでしまった。彼らには悔い改めが迫られる。
―黙示録3:3「どのように受け、また聞いたか思い起こして、それを守り抜き、かつ悔い改めよ。もし、目を覚ましていないなら、私は盗人のように行くであろう。私がいつあなたのところへ行くか、あなたには決して分からない」。
・しかし、教会が堕落しても必ず少数のものは残る。教会はこの少数者の信仰の上に再建される。
―黙示録3:4「しかし、サルディスには、少数ながら衣を汚さなかった者たちがいる。彼らは、白い衣を着て私と共に歩くであろう。そうするにふさわしい者たちだからである」。
・フィラデルフィアの教会は迫害の中で主の言葉を守った。彼らは権力の前でキリストを否定しなかった。
―黙示録3:8「私はあなたの行いを知っている。見よ、私はあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。あなたは力が弱かったが、私の言葉を守り、私の名を知らないと言わなかった」。
・戦前の教会迫害の中で信仰を守り通したのはホーリネスのみであった。彼らは天皇を神とすることを拒否し、弾圧されていった。フィラデルフィアの教会は迫害の中で主の言葉を守ったが、日本でも守った人々がいる。
―1942年ホーリネス教団弾圧事件が起り、多くの教職者が逮捕された。予審調書は信仰とは何かを示している。
係官「信条の根拠旧新約聖書を読むと,全ての人間は罪人だと書いてあるがそれに相違ないか」。菅野「それに相違ありません」。係官「では聞くが天皇陛下も罪人なのか」。菅野「天皇陛下が人間であられる限り,罪人であることを免れません」。係官「天皇陛下が罪人なら天皇陛下にもイエス・キリストの贖罪が必要だという意味か」。菅野「天皇陛下が人間であられる限り,救われるためにはイエス・キリストの贖罪が必要であると信じます」。
・フィラデルフィア教会は、皇帝礼拝に現実的に対処していったユダヤ教徒からの迫害も受けている。妥協する人々は妥協しない人々を憎む。ホーリネス教団は日本基督教団からも除名されて、二重の苦しみを味わった。
―黙示録3:9「サタンの集いに属して、自分はユダヤ人であると言う者たちには、こうしよう。実は、彼らはユダヤ人ではなく、偽っているのだ。見よ、彼らがあなたの足もとに来てひれ伏すようにし、私があなたを愛していることを彼らに知らせよう」。

2.ラオデキア教会への手紙

・ライデキアは商業都市として栄え、豊かさを誇ったが、経済的な豊かさの中で、教会の信仰は自己満足的な、生ぬるい信仰に堕していった。平和と繁栄は信仰を生ぬるくする。
―黙示録3:15「私はあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい」。
・キリストと出会いながら、服従も奉仕もせず、無関心と不徹底な信仰生活を送る教会に対して、主は「私はあなたを口から吐き出そうとしている」と言われる。
―黙示録3:16-17「熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、私はあなたを口から吐き出そうとしている。あなたは、私は金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はないと言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない」。
・自己満足の信仰生活、礼拝を守りさえすれば良いという人々に、主は「私はあなたを知らない」といわれる。
―マタイ7:21-23「私に向かって、主よ、主よと言う者が皆、天の国に入るわけではない。私の天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者が私に、主よ、主よ、私たちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんかと言うであろう。そのとき、私はきっぱりと稿言おう。あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、私から離れ去れ」。
・主は戸口に立っておられる。私たちが心を開けば、主は来られる。心を開けと主は言われる。
―黙示録3:20「見よ、私は戸口に立って、たたいている。誰か私の声を聞いて戸を開ける者があれば、私は中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、私と共に食事をするであろう」。

-

Copyright© 日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会 , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.