1.教会の若い教役者への手紙
・テモテ・テトスへの手紙は、牧会書簡と呼ばれる。パウロが弟子テモテ、テトスへ牧会上の諸注意を書き送った形式をとる。内容から、使徒の第一代は終わり、教会が組織化されていった2世紀の手紙といわれている。
・挨拶に続いて、異なる教えに対する警告が書かれる。教会が拡大するにつれ、使徒の教えとは異なる様々の解釈が教会の中に出てきた。それは教会を内側から壊すものであり、警戒するように教える。
−?テモテ1:3-4「マケドニア州に出発するときに頼んでおいたように、あなたはエフェソにとどまって、ある人々に命じなさい。異なる教えを説いたり、作り話や切りのない系図に心を奪われたりしないようにと。このような作り話や系図は、信仰による神の救いの計画の実現よりも、むしろ無意味な詮索を引き起こします」。
・当時の異端は、再臨を強調するグノーシスや律法を重視するユダヤ主義であった。再臨主義者は世からの離脱を説き、律法主義者は律法を守らない者を排除した。共にキリストの愛から逸脱して無益な議論を重ねていた。
−?テモテ1:5-7「私のこの命令は、清い心と正しい良心と純真な信仰とから生じる愛を目指すものです。ある人々はこれらのものからそれて、無益な議論の中に迷い込みました。彼らは、自分の言っていることも主張している事柄についても理解していないのに、律法の教師でありたいと思っています」。
・人々はどうすれば自分たちは救われるかを議論し、教会は他者に対して何をなすべきかを忘れていた。パウロはこのような議論はキリストの教会にとって何の益もないとかつてコリント教会に書き送った。
−?コリント13:2「たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」。
・律法は正しく用いれば、人を救いに導く。しかし、良い教えも、律法化すれば人を縛る桎梏となる。
−マタイ23:23「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。・・・十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである」。
・律法は、人の罪を明らかにし、人を悔い改めに導くとパウロは教える(ローマ7:7)。著者も同じ事を教える。
−?テモテ1:9-10「律法は、正しい者のために与えられているのではなく、不法な者や不従順な者、不信心な者や罪を犯す者、神を畏れぬ者や俗悪な者、父を殺す者や母を殺す者、人を殺す者、みだらな行いをする者、男色をする者、誘拐する者、偽りを言う者、偽証する者のために与えられ、そのほか、健全な教えに反することがあれば、そのために与えられているのです」。
2.信仰の戦いを戦い抜くように
・困難の中にある若い牧会者を励ますために、著者はパウロの信仰の戦いを例に出す。
−?テモテ1:13-16「以前、私は神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし・・・憐れみを受けました。・・・主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛と共に、あふれるほど与えられました。『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。私は、その罪人の中で最たる者です。しかし、私が憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずその私に限りない忍耐をお示しになり、私がこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした」。
・「私は罪人の頭だ」と著者は現在形で言う、罪は赦されても消え去るわけではない。しかし、その罪人を用いて、主は業を遂行される。だからあなたも、信仰の戦いを雄々しく戦いなさいと著者は勧める。
−?テモテ1:18「私の子テモテ、あなたについて以前預言されたことに従って、この命令を与えます。その預言に力づけられ、雄々しく戦いなさい」。
・盲目的な、感情的な信仰ではなく、正しい良心に裏打ちされた信仰を保ち続けなさい。信仰の脱落者とならないように気をつけなさい(ヒメナイ:?テモテ2:16-18、アレキサンデル:?テモテ4:14‐15参照)。
−?テモテ1:19-20「信仰と正しい良心とを持って。ある人々は正しい良心を捨て、その信仰は挫折してしまいました。その中には、ヒメナイとアレクサンドロがいます。私は、神を冒涜してはならないことを学ばせるために、彼らをサタンに引き渡しました」。
・彼らは過激な教えの故に教会を追放されたのであろう。信仰の基本は愛であり、それは自分の利益ではなく、相手の利益を優先することだ。その基本から外れない限り、道から外れることはない。
−?コリント10:23-24「全てのことが許されている。しかし、凡てのことが益になるわけではない。全てのことが許されている。しかし、すべてのことが私たちを造り上げるわけではない。だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい」。