1.人の知恵である異端と訣別せよ
・パウロはコロサイ教会を訪問したことは無い。そのパウロがまだ会ったことのないコロサイ教会の人々の為に祈る。何故会ったことも無い人々の為に祈るのか、それは彼らもまた神の民であるからだ。
−コロサイ2:1-5「私が、あなたがたとラオディキアにいる人々のために、また、私とまだ直接顔を合わせたことのないすべての人のために、どれほど労苦して闘っているか、分かってほしい。・・・私は体では離れていても、霊ではあなたがたと共にいて、あなたがたの正しい秩序と、キリストに対する固い信仰とを見て喜んでいます」。
・「コロサイ教会は過った福音のために苦しんでいる、助けて欲しい」との要請をパウロはエパフラスから受け、パウロは手紙を書く。人を見ずに、キリストを見よ、人を見るから惑わされるのだ。
−コロサイ2:2-4「人々が心を励まされ、愛によって結び合わされ、理解力を豊かに与えられ、神の秘められた計画であるキリストを悟るようになるためです。知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。私がこう言うのは、あなたがたが巧みな議論にだまされないようにするためです」。
・巧みな議論、人間の知恵、そのようなものに振り回されるな。割礼を受ければ救われる、善行を積めば天国にいける、禁欲すれば清められる、それはこの世の知恵に過ぎない。救いは人間の行為ではなく、神の恵みなのだ。
−コロサイ2:21-23「『手をつけるな。味わうな。触れるな』などという戒律に縛られているのですか。これらはみな、使えば無くなってしまうもの、人の規則や教えによるものです。これらは、独り善がりの礼拝、偽りの謙遜、体の苦行を伴っていて、知恵のあることのように見えますが、実は何の価値もなく、肉の欲望を満足させるだけなのです」。
・断食をする、苦行をする、禁欲する、そこから生まれるのは自己満足のみだ。戒律主義は、守らない人を攻撃する事を通して、他者の救いを閉じる。正しい信仰は常に他者に向かって開かれていくのだ。
−?ヨハネ4:20-21「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です」。
2.キリストに結ばれた生活をしなさい
・あなたがたは、かつては罪の中に死んでいた、闇の中にいたとパウロは述べる。
−ローマ7:18-23「私は、自分の内には、つまり私の肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。私は自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、私が望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはや私ではなく、私の中に住んでいる罪なのです。それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。『内なる人』としては神の律法を喜んでいますが、私の五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、私を、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります」。
・私たちの中に闇がある。その闇が他者に向かう時、妬みや憎しみや怒りとなり、自己に向かう時、傲慢や絶望になる。そういう罪の縄目から、キリストは私たちを解放して下さった。
−コロサイ2:13-15「肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです。神は、私たちの一切の罪を赦し、規則によって私たちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。そして、もろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストの勝利の列に従えて、公然とさらしものになさいました」。
・私たちはキリストに出会った。出会って、罪から解放された。キリストに従うために、バプテスマを受けた。このバプテスマを通して、私たちは根本から変えられた。その私たちが何故また肉の割礼を受けようとするのか。
−コロサイ2:11-12「あなたがたはキリストにおいて、手によらない割礼、つまり肉の体を脱ぎ捨てるキリストの割礼を受け、洗礼によって、キリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです」。
・キリストにつながれたのだから、キリスト者として生きる。それはキリストに根を下ろした生活、感謝して生きる生活だ。それが行為として現れる。行為が私たちを救うのではなく、救われたから行為する。
−コロサイ2:6-7「あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい」。