江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2006年1月18日祈祷会(コロサイ1章、異なった福音に迷うな)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.コロサイ教会の問題点

・コロサイ教会はエペソ東部にあり、パウロの弟子エパフラスの宣教によって立てられた。エパフラスはローマの獄中にいるパウロを訪ね、コロサイ教会の問題について相談を行い、パウロはその要請を受けて手紙を書いた。
−コロサイ1:7-8「あなたがたは、この福音を、私たちと共に仕えている仲間、愛するエパフラスから学びました。彼は、あなたがたのためにキリストに忠実に仕える者であり、また、霊に基づくあなたがたの愛を知らせてくれた人です」。
・コロサイは「異なる福音」に混乱していた。一つは、肉は悪であり霊的に救われるためには禁欲しなければいけないというギリシャ主義(グノーシス)であり、他は律法なしに人は救われないとするヘブライ主義であった。
−コロサイ2:16-18「あなたがたは食べ物や飲み物のこと、また、祭りや新月や安息日のことでだれにも批評されてはなりません。・・・偽りの謙遜と天使礼拝にふける者から、不利な判断を下されてはなりません」。
・これは現代の教会でも起こる。禁欲しなければ救われないとする人々は「禁酒禁煙」を救いの要件とし、律法を重視する人々は「洗礼」なしに救いは無いと主張する。救いは神からの恵みであって人が勝ち取るものではない。救いを自分の力で得ようとする時に、人は異なった福音に曲がっていく。
−コロサイ1:13-14「御父は、私たちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。私たちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです」。
・救いは恵みであり、私たちはこの恵みを神からいただいた。その事を感謝するから応答として行為が生まれる。行為が人を救うのではなく、救われたから行為するのだ。恵みと感謝が信仰・希望・愛を生んでいく。
−コロサイ1:9-12「霊によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り、すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。そして、神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶように。喜びをもって、光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝するように」。

2.御子を通して示された神の恵みをただ受けなさい

・神は御子を通して、その恵みを示された。神は見えない故に、御子キリストを通して、私たちは神を知る。
−コロサイ1:15-17「御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています」。
・神は御子を十字架につけ、その血により私たちを贖われた。その贖いによって死ぬべき私たちが生きるものとされた。十字架と復活の中に、神の愛は十全に示されている。
−コロサイ1:18-20「御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました」。
・この和解によって、闇の中にいたものが光の中を歩む事を赦された。私たちは教会に集められ、この教会こそが神の国を先取りするものとして示された。だから、この福音から離れてはいけない。
−コロサイ1:21-23「あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、傷のない者、とがめるところのない者としてくださいました。ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません」。
・そのために私が苦しむ必要があるなら、私は喜んで苦しもう。キリストのために苦しむことこそ、キリストに従うことなのだ。パウロは獄中にある事を、キリストの故に喜ぶ。讃美歌73番を書いたボンヘッアーも同じだ。
−コロサイ1:24「今や私は、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています」。
・キリストは私たちを救って下さった。だから私たちはキリストの業に参加する。
−マタイ25:37-40「『主よ、いつ私たちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか』。・・・『はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである』」。

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