1.父祖の不従順に習うな
・イスラエルは、救いの招きを受けたのに不従順によって救いから脱落した。エジプトを救い出された民の大半は約束の地に入れなかった。新しいイスラエルであるあなた方は旧約の民の過ちを繰り返してはならない。
―ヘブル4:1-3「神の安息にあずかる約束がまだ続いているのに、取り残されてしまったと思われる者があなたがたのうちから出ないように、気をつけましょう。というのは、私たちにも彼ら同様に福音が告げ知らされているからです。けれども、彼らには聞いた言葉は役に立ちませんでした。その言葉が、それを聞いた人々と、信仰によって結び付かなかったためです。信じた私たちは、この安息にあずかることができるのです」。
・神は約束を果たされる方である。罪を犯した父祖たちは約束の地に入ることは出来なかったが、その子や孫はヨシュアに導かれてカナンの地に入った。その民に神は語られている「もうかたくなであってはならない」と。
―申命記10:12-16「イスラエルよ。今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、私が今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸いを得ることではないか。・・・心の包皮を切り捨てよ。二度とかたくなになってはならない」。
・この言葉はあなた方にも語られている。神の救い=安息はまだ約束されているのだ。
―ヘブル4:8-9「もしヨシュアが彼らに安息を与えたとするのなら、神は後になって他の日について語られることはなかったでしょう。それで、安息日の休みが神の民に残されているのです」。
・しかし、地上のカナンは本当の約束の地ではなかった。民はまたも罪を犯し、地を追われてしまった。そのため、神は私たちに新しい約束(キリスト)を与えてくださった。今度こそこの約束から脱落してはいけない。
―ヘブル4:11「だから、私たちはこの安息にあずかるように努力しようではありませんか。さもないと、同じ不従順の例に倣って堕落する者が出るかもしれません」。
2.キリストにつながり続けよ
・神の言葉は生きている。それは私たちの心や考えを貫く力を持つ。私たちはこの神の前で生きるのだ。
―ヘブル4:12-13「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、私たちは自分のことを申し述べねばなりません」。
・神の言葉は信じるものには命の言葉となるが、信じないものには無益な言葉である。その御言葉が自分に語られた事柄であることがわかる時に、御言葉がその人の人生を変える言葉となっていく。
―イザヤ55:10-11「雨も雪も、ひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、私の口から出る私の言葉も、むなしくは、私の元に戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす」。
・救いの約束としてイエスが来られた。このイエスを「主」と告白することは、あなたの身に迫害や弾圧を招くかもしれない。しかし勇気を出しなさい。主は戦いに勝たれて既に天におられるではないか。
―ヘブル4:14「私たちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、私たちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか」。
・あなた方は苦しんでいるが、その苦しみはイエスも経験された。イエスはあなた方の苦しみを知っておられるのだ。
―ヘブル4:15「この大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、私たちと同様に試練に遭われたのです」。
・大胆にこの大祭司に対する信仰を告白しようではないか。その結果、迫害されて、殺されても良いではないか。イエスが復活されたように、私たちの人生も死で終わらないのだ(参照:ヨハネ黙示録6:9-11)。
―ヘブル4:16「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」。
・ヨシュアは地上のカナンを求めてイスラエルの民を導いた。しかし、神の国はこの地上には無いのだ。だからイエスは私たちの先駆者として天のカナンを目指して進まれた。この方に従っていこうではないか。
―ヘブル11:13-16「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。・・・彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです」。