江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2006年7月12日祈祷会(ピレモンへの手紙、壊れた人間関係の修復のために)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.壊れた人間関係の修復のために

・ピレモンへの手紙は、パウロがコロサイ教会のピレモンにあてた個人書簡である。オネシモはかつてピレモンの奴隷であったが、逃亡し、今はローマの獄中にいるパウロに仕える者となっている。そのオネシモをコロサイに返すときに、ピレモンにあてた執り成しの手紙である。
―ピレモン1:1-2「キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、私たちの愛する協力者フィレモン、姉妹アフィア、私たちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ」。
―コロサイ4:7-9「私の様子については、ティキコがすべてを話すことでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟、忠実に仕える者、仲間の僕です。・・・また、あなたがたの一人、忠実な、愛する兄弟オネシモを一緒に行かせます。彼らは、こちらの事情をすべて知らせるでしょう」。
・ピレモンはエペソ伝道中のパウロからバプテスマを受け、家族一同教会員となり、今では自宅を開放して家の教会とし、人々の世話をしていた。コロサイ教会の柱となっていた人物であった。
―ピレモン1:4-7「私は、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつも私の神に感謝しています。主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。・・・兄弟よ、私はあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです」。
・パウロはピレモンにオネシモの件で、懇願の手紙を書く。オネシモはピレモン家の奴隷であったが、主人の財産を盗んで逃亡し、その後ローマのパウロに出会い、悔い改め、今では熱心にパウロに仕えるものとなった。
―ピレモン1:8-10「それで、私は、あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、むしろ愛に訴えてお願いします、年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが。監禁中に設けた私の子オネシモのことで、頼みがあるのです」。
・パウロは使徒であり、ピレモンを信仰に導いた恩師である。そのパウロが命令ではなく、頭を下げてオネシモのことをピレモンに懇願する。「私の心」、「私の生んだ子」であるオネシモを赦し、迎え入れて欲しいと。
―ピレモン1:11-14「私の心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。本当は、私の元に引き止めて、福音のゆえに監禁されている間、あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思ったのですが、あなたの承諾なしには何もしたくありません」。

2.他者の負債を引き受ける愛

・彼は、かつてはあなたの奴隷であったが、今は奴隷以上のものとして、信仰の兄弟として、彼を受け入れて欲しいとパウロは頼む。主が私たちを赦してくださったように、あなたもオネシモを赦して欲しいと。
―ピレモン1:15-16「恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特に私にとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです」。
・パウロはピレモンの授洗者、恩師であった。「その恩人を迎えるように、あなたを裏切ったオネシモを迎えて欲しい」と依頼する。更に彼は言う「オネシモがあなたに損害を与えたのであれば、私が払う」と。
―ピレモン1:17-20「私を仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモを私と思って迎え入れてください。彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それは私の借りにしておいてください。私パウロが自筆で書いています。私が自分で支払いましょう。あなたがあなた自身を、私に負うていることは、良いとしましょう。兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、私の心を元気づけて下さい」。
・伝承では、オネシモはその後エペソ教会の監督になっている。そして、新約聖書の編集に当たり、「ピレモンへの手紙」をパウロ書簡の中に入れた。自分はかつて逃亡奴隷として死刑になるはずだったのに、キリストに出会って救われたことを証しするためである。キリストに出会って救われた者は、もう以前の生活には戻れない。
―ヨハネ8:10-11「イエスは、身を起こして言われた『婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか』。女が『主よ、誰も』と言うと、イエスは言われた『私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない』」
・ルターは言った「私たちはみな神のオネシモである」。私たちの負うべき負債をイエスが代わりに負って死んで下さった。このことを知るとき、私たちも他者の負債を負って生きるものになりたい。
―エペソ1:7「私たちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです」。

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