江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2006年5月24日祈祷会(?テモテ1章、信仰者の務め)

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1.恐れずに証ししなさい

・パウロはローマの獄中からこの手紙を書いている。彼は死を予期し、「命の約束」である福音の宣教を、弟子テモテに委ねる。?テモテ書はパウロの遺書と言われている。
―?テモテ1:1-2「キリスト・イエスによって与えられる命の約束を宣べ伝えるために、神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、愛する子テモテへ」。
―?テモテ4:6「私自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました」。
・彼は獄中にあっても、テモテのことを思い、祈り続ける。死ぬ前に一度会いたいと使徒は願う。
―?テモテ1:3-4「私は、昼も夜も祈りの中で絶えずあなたを思い起こし・・・神に、感謝しています。私は、あなたの涙を忘れることができず、ぜひあなたに会って、喜びで満たされたいと願っています」。
・パウロはテモテに按手して、福音の宣教を委ねた。按手は聖霊の降臨を取り次ぐ行為だ。
―?テモテ1:6-7「私が手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。神は、臆病の霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊を私たちに下さったのです」。
・ローマ帝国は皇帝を神として礼拝することを求め、キリスト教徒はこれを拒否したため迫害された。イエスを主と証しすることは命の危険を伴っていた。証しする=(ギ)マルチュリアは同時に殉教するという意味も持つ。
―?テモテ1:6-7「私たちの主を証しすることも、私が主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のために私と共に苦しみを忍んでください」。
・キリストは十字架の死を超えて復活された。この福音は命の約束である。だから、恐れるな。
―マタイ10:28「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」。
・この福音を宣べ伝えたために、私は捕らわれの身となったが、それを恥じていない。
―?テモテ1:11-12「この福音のために・・・私はこのように苦しみを受けているのですが、それを恥じていません。というのは、私は自分が信頼している方を知っており、私に委ねられているものを、その方がかの日まで守ることがおできになると確信しているからです」。
・だからあなたも負けるな。委ねられた信仰を伝え続けなさい。
―?テモテ1:13-14「キリスト・イエスによって与えられる信仰と愛をもって、私から聞いた健全な言葉を手本としなさい。あなたに委ねられている良いものを、私たちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい」。

2.信仰の脱落者となるな

・パウロがアジア州で捕らえられた時、フィゲロとヘルモゲスは彼を見捨てて逃げた。しかし、オネシフォロは危険を承知で、パウロをローマまで訪ねてくれた。信仰から脱落する者もいるが、固く立つ者もいる。
―?テモテ1:15-18「あなたも知っているように、アジア州の人々は皆、私から離れ去りました。その中にはフィゲロとヘルモゲネスがいます。どうか、主がオネシフォロの家族を憐れんでくださいますように。彼は、私をしばしば励まし、私が囚人の身であることを恥とも思わず、ローマに着くと私を熱心に探し、見つけ出してくれたのです。どうか、主がかの日に、主のもとで彼に憐れみを授けてくださいますように」。
・イエスは言われた「あなた方は世に属さないゆえに、世から憎まれる。しかし私は既に世に勝っている。だから恐れるな」(ヨハネ16:33)と。パウロはこの体験をしている。迫害の中で信仰者の心はゆり動く。しかし、主の約束を信じていけばよい。その約束が私たちの生きているうちに実現しなくとも良いではないかと聖書は言う。
―ヘブル11:13「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです」。
・私たちは既に約束の地を見たのだから、それでよいとキングも言う(以下は1968年4月3日死の前日の説教抜粋)。
「一体これから何が起ころうとしているのか、私には分からない。ともかく、私たちの前途が多難であることは事実である。しかしそんなことは、今の私には問題ではない。なぜなら、私はすでに山の頂に登ってきたからである。従って、もう何も心配していない。私だって、ほかの人と同じように長生きしたいと思う。・・・だが、もうそういうことも気にしていない。神の御心を全うしたいだけである。神は私に山に登ることをお許しになった。そこからは四方が見渡せた。私は約束の地も見た。私は皆さんと一緒にその地に到達することは出来ないかもしれない。しかし・・・私たちは一つの民として、その約束の地に至ることが出来る、ということである。だから、私は今夜、幸せである。もう何も不安なことはない。私はだれも恐れてはいない。この目で、主の再臨の栄光をみたのだから。」

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