江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2006年3月15日祈祷会(?テサロニケ5章、喜び・祈り・感謝しなさい)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.終末を迎えるにあたっての現在の生き方

・テサロニケの信徒たちは迫害の中にあり、主イエスが一日も早く来られて、その苦しみの時を終わらせてくれるように祈っていた。パウロも主の再臨の日=終末を待望しているが、それがいつかを求めない。
−?テサロニケ5:1「兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません」。
・終末は神の出来事であり、私たちの時ではない。時=クロノスこの世の時間、時期=カイロスは神の時の意味だ。神の時がこの世の時に押し寄せてくる=神が人間の歴史に介入される、それが十字架であり、終末だ。
−?テサロニケ5:2-3「盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。・・・ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません」。
・私たちにとって最初に来る終末は自分たちの死だ。信仰者は死を恐れる必要はない。何故なら、信仰者にとって、死は慰めであり、救いの時だからだ。死を支配しておられるのは、サタン=虚無ではなく神だからだ。
−?テサロニケ5:4-9「兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。私たちは、夜にも暗闇にも属していません。・・・私たちは昼に属していますから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう。神は、私たちを怒りに定められたのではなく、私たちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです」。
・終末=死とはキリストと共にいる生活に入ることだ。心配したり、歎いたりする時ではなく、待ち望む時だ。
−?テサロニケ5:10-11「主は、私たちのために死なれましたが、それは、私たちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい」。

2.毎日を励んで生きなさい。

・主にあって労苦している人を重んじ、敬いなさい。テサロニケ教会の中にも、自由人もいれば奴隷もいたが、そのような、社会的な上下関係を教会に持ち込むな。教会にあっては、仕える者こそ、尊ばれるべきである。
−?テサロニケ5:12-13「兄弟たち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒めている人々を重んじ、また、そのように働いてくれるのですから、愛をもって心から尊敬しなさい」。
・教会は「神の家族」だ。怠けている者(=務めを果たさない者)がいれば戒め、落胆している者(=気落ちしている者)がいれば励まし、信仰の弱い人には配慮しなさい。教会は裁きの場ではなく、赦しと和解の場だ。
−?テサロニケ5:14「兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい」。
・教会の奉仕をしようとしない人、文句ばかり言う人、評論するが働こうとしない人が教会内にいるかもしれない。彼らを恨むまず、彼らに仕えなさい。報いを期待せずにやるべき事をしなさい。
−?テサロニケ5:15「だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい」。
・いつも喜びなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさいとパウロは勧める。
−?テサロニケ5:16-22「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。霊の火を消してはいけません。預言を軽んじてはいけません。すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい」。
・いつでも=順調な時も、そうでない時も喜べと言われている。喜べない時も喜ぶ、それが信仰だ。
−ヘブル12:5-12「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。・・・およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい」。
・テサロニケの手紙では、兄弟と言う言葉が繰り返し、用いられている。教会は「神の家族」であり、教会員は相互に兄弟姉妹なのだ。この「神の家族」の形成こそ、神の国のしるしである。
−マルコ3:34-35「見なさい。ここに私の母、私の兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ」。

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