1.聖なる民となった人々への手紙
・ペテロ書は、ペテロが弟子シラスに口述筆記させて書いた手紙と言われている。ペテロはローマから、アジア州に住む異邦人改宗者にあてて手紙を書いた。彼らはキリスト者になったために迫害され、うめいていたからだ。
―?ペテロ1:1-2「イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、“霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように」。
・異教社会の中でクリスチャンになることは、地域共同体から孤立し、寄留者になる。何故ならば信仰者の生き方は世と異なるものになり、世は仮住まいの場となる。ペテロはこの試練こそ救いのしるしだと説く。
―?ペテロ1:6-7「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです」。
・あなた方の受ける試練が天に宝を積む。キリスト者はこの世で寄留者となり、天を目指して生きる者となる。
―?ペテロ1:3-5「神は豊かな憐れみにより、私たちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています」。
・私たちは今、仮住まいをしているのか。私たちは信仰者となることによって何を捨てたのだろうか。もし何も捨てていない、この世が定住の場であるとしたら、私たちの信仰のあり方はどこかおかしいかもしれない。
―?ペテロ1:8-9「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです」。
2.聖なるものになれ
・異教社会にあってどのように生きるのか。ペテロは「神が聖であるからあなたがたも聖となれ」と勧める。
―?ペテロ1:13-16「いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。無知であったころの欲望に引きずられることなく、従順な子となり、召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。あなたがたは聖なる者となれ、私は聖なる者だからであると書いてあるからです」。
・具体的には、清い生活をすることだ。そのことを通して私たちは地の塩になる。塩は塩味を失ってはいけない。
―?ペテロ2:11-12「愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。また、異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります」。
・あなたがたはキリストの血によって贖われたのだ。キリストを与えてくださった父を畏れて生活しなさい。
―?ペテロ1:17-21「あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。・・・あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、傷や汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。・・・あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです」。
・この世は支配・従属の関係で動く。しかし、あなた方を規律するものはただ愛であるべきだ。
―?ペテロ1:22-23「あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい。あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです」。
・愛するとは捨てることだ。親は子どもために多くのものを失うがそれを喜ぶ。あなたがたもキリストに倣え。
―?ペテロ2:20-21「罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。あなたがたが召されたのはこのためです。キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです」。