1.試練と誘惑を区別しなさい
・ヤコブ書はイエスの兄弟・ヤコブが書いたと言われる。彼はイエスの死後、エルサレム教会の指導者になった。内容的には手紙ではなく、教会生活の実践についての訓告集である。
―ヤコブ1:1「神と主イエス・キリストの僕であるヤコブが、離散している十二部族の人たちに挨拶いたします」。
・ヤコブは試練と誘惑を区別する。試練は神から与えられる鍛錬であり、忍耐を通して信仰を成長させていく。
―ヤコブ1:2-4「私の兄弟たち、いろいろな試練に出会う時は、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります」。
・他方、誘惑は、人間の心の中から、彼自身の罪の思いから起こり、それは人を破壊する。サタンは人の心に住む。
―ヤコブ1:12-15「試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。誘惑に遭う時、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」。
・試練と誘惑の中で信仰生活を送るには、知恵が必要だ。物事を洞察し識別することの出来る知恵は神から与えられる。―ニーバーの祈り「変えることの出来るものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることの出来ないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることの出来るものと、変えることの出来ないものとを、識別する知恵を与えたまえ」
・富のはかなさを知りなさい。祝福されているのは貧しい者であり、富んでいる者は祝福の外にあることを知りなさい。
―ヤコブ1:9-11「貧しい兄弟は、自分が高められることを誇りに思いなさい。また、富んでいる者は、自分が低くされることを誇りに思いなさい。富んでいる者は草花のように滅び去るからです。日が昇り熱風が吹きつけると、草は枯れ、花は散り、その美しさは失せてしまいます。同じように、富んでいる者も、人生の半ばで消えうせるのです」。
2.聞くことと行うこと
・聞くに早く、話すに遅くありなさい。怒りで自制心を失うようなことがあってはならない。
―ヤコブ1:19-20「私の愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。人の怒りは神の義を実現しないからです」。
・御言葉を受け入れ、それを行いなさい。御言葉は行ってこそ力になりうる。
―ヤコブ1:21-22「だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません」。
・信仰は人を行為に駆り立てる。行為を伴わない信仰はどこかに問題を持つ。
―ヤコブ2:14-17「私の兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです」。
・礼拝は神に自己を捧げる行為だ。神を愛するとは隣人を愛すことであり、困っている人に手を差し出していくことだ。
―?ヨハネ3:17-18「世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう」。
・信仰が生活化された時、それは自分に対しては聖化へと、他者に対しては救済へと向かっていく。
―ヤコブ1:25-27「自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。・・・孤児や、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です」。
・律法が人を救うのではない。しかし、信仰に基づく愛は律法を完成させる。
―ローマ13:8-10「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです」。