江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2005年3月2日  ?コリント2章  神の知恵と人の知恵

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1.知恵によらないパウロの宣教(2:1‐5)

・コリント教会は知恵を誇った。だから、コリントでは党派争いが起き、教会が分裂しようとしていた。
−?コリント1:11-13「あなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。あなたがたはめいめい、『私はパウロにつく』『私はアポロに』『私はケファに』『私はキリストに』などと言い合っているとのことです。キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。」
・この世の知恵は人を支配することを目的とする。だから知恵と知恵がぶつかり合い、争いが生まれる。神の知恵は人に仕えることを目的とする。故に知恵が人を一致に導く。パウロが求めたものはこの神の知恵であった。
−?コリント2:1「兄弟たち、私もそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした」。
・神の知恵は十字架として私たちに示された。だから、私はこの十字架以外は語るまいとパウロは言う。
−?コリント2:2「何故なら、私はあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」。
・パウロは学問を修めた知者だった。しかし、彼はそれら一切を捨てて、ただ神から示されたことだけを語った。その時、人の言葉が神の言葉になりうることを知っていたからだ。
−?コリント2:4-5「私の言葉も私の宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。 それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした」。

2.隠された奥義としての神の知恵(2:6‐16)

・パウロは神の知恵を語る。それは信仰に成熟した人でなければ、理解するのは難しい。何故ならば、それは神秘としての神の知恵=奥義なのだと彼は言う。
−?コリント2:6-7「私たちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。私たちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神が私たちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです」。
・神の深い知恵とは「神が、罪人を救うために、自らが罪人として処刑される」道を選ばれたということだ。神の知恵=十字架による救いの計画は,人間の期待や予測をはるかに超えており、人の知恵では理解できない。
−?コリント2:8「この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう」。
・神の知恵は,神が信仰者に与えて下さった聖霊によってのみ理解できる。人間の心が本人の霊によってしか知られないように,神の御心も、神の御霊によってしかわからない。
−?コリント2:10-12「私たちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。私たちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それで私たちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです」。
・生まれながらの人間は自分の欲によって動かされる。神の愛を知るためには、この欲の断絶=人生における挫折、世からの見捨てが必要だ。だから、神の霊を受けるためには、自らが十字架を背負うことが必要になる。
−マタイ16:24-25「私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のために命を失う者は、それを得る」。
・人がこの世に死んだ時=自分の無力や限界を知らされた時、人は神の助けを求める。求めざるを得ない。その時、十字架の底の底まで降りられたキリストの愛がわかり、人は肉の存在から霊の存在に変えられる。
−?コリント2:14-16「自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません。・・・しかし、私たちはキリストの思いを抱いています」。
・肉から霊の人に変えられた者は、もはや自分の正しさを争わない。彼が求めるのは神の栄光であり、自分の栄光ではない。しかし、現実には、教会の中に罪がある。教会形成は、肉=自分の思いをどのように霊=神の思いに変えて行く戦いである。私たちは教会の中に争いがあっても絶望しない。神が変えて下さると信じるからだ。
−?コリント3:3「相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか」。

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