1.愛における一致
・ローマ教会では、何をしても良い・何を食べても良いと言う自由主義者と、肉は食べてはいけない・安息日は守らなければいけないと言う禁欲主義者との争いがあった。争うのは止めなさいとパウロは戒める。
−ローマ14:6-10「特定の日を重んじる人は主のために重んじる。食べる人は主のために食べる。神に感謝しているからです。また、食べない人も、主のために食べない。そして、神に感謝しているのです。・・・なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。私たちは皆、神の裁きの座の前に立つのです」。
・キリストは自分の満足のために十字架で死なれたのか。もしキリストが自分を殺す者のために死なれたのでれば、あなた方は何故、自己主張を止められないのか。
−ローマ15:1-3「私たち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした」。
・自分の正しさを主張するのは止めなさい、違う人を受入れなさいとパウロは勧める。何故ならば、キリストもあなたを受入れて下さったからだ。
−ローマ15:7「神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」。
・真珠貝は自分の中に異物を入れられ、その痛みから免疫反応を起こし、美しい真珠を形成する。他人を受入れる時、その痛みが信仰の実となっていく。キリストは自分を受入れないユダヤ人のために死なれたではないか。
−ローマ15:8-9「キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです」。
2.お別れの言葉
・パウロは激しい言葉で手紙を書いたことをわびる。教会に争いがあったからだ。しかし、教会はその争いを超えて、一致できることをパウロは信じている。私の言葉が、私の永光のためでなく、神の栄光のために、話されたことを信じて欲しい。真の牧会者と偽者を分けるものは、自分の永光を求めるか、神の栄光を求めるかである。
−ローマ15:18-19「キリストが私を通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは異邦人を神に従わせるために、私の言葉と行いを通して、また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。こうして私は、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました」。
・パウロは帝国の首都であるローマに行きたいと思いながら、行けなかった。しかし、今、エルサレム教会への責務を果たせば自由になるから、あなた方の所へ行きたいと願うと書き送る。
−ローマ15:22-25「あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに行きたいと切望していたので、イスパニアに行くとき、訪ねたいと思います。・・・しかし今は、聖なる者たちに仕えるためにエルサレムへ行きます」。
・パウロは異邦人教会からの献金を持ってエルサレムに行く。彼はそこで敵に捕らえられ、囚人としてローマに護送されて行くことになる。彼のローマ行きは思いもかけない方法で実現される。これが神の摂理だ。
−創世記45:4-8「私はあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、私をここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのです。この二年の間、世界中に飢饉が襲っていますが、まだこれから五年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神が私をファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです」。
・私たちの神は希望の神だ。神は人の悪をも善に変えてくださる力をお持ちの方だ。
−ローマ15:13「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」。
・そして、全ての争いをも平安へと導いてくださる平和の神でもある。
−ローマ15:33「平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン」。