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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2004年1月7日 ヨハネ6:60-71 イエスに躓く弟子たち

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1.イエスに躓く弟子たち

・イエスは人々に言われた「私こそ命のパンだ。命を求めるなら、私を食べよ」と。生命の源は神であり、イエスこそ神から遣わされた子であるからだ。
−ヨハネ6:53-57「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を得、私はその人を終わりの日に復活させる。私の肉はまことの食べ物、私の血はまことの飲み物だからである。私の肉を食べ、私の血を飲む者は、いつも私の内におり、私もまたいつもその人の内にいる。生きておられる父が私をお遣わしになり、また私が父によって生きるように、私を食べる者も私によって生きる。」
・「肉を食べ、血を飲む」とは、弟子たちもイエスが負われた十字架を負って従えとのイエスの招きだ。
―ルカ9:23-24「私について来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のために命を失う者は、それを救うのである。」
・民衆がイエスに期待したことは、彼らを導き、政治的独立を果たし、経済的充足を得ることだった。しかし、イエスは十字架の死を通して救いを与えようとしておられる。多くの人がイエスに躓いて去っていった。
−ヨハネ6:60「弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。『実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。』」
・イエスが言われたのは、人間を根源的に生かすのは、肉ではなく、神の霊であるということだった。人にとって肉のパンは必要だが、単なる動物以上の存在である人にとって、人格的な愛の応答は最も必要なものだからだ。
―ヨハネ6:61-63「イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。『あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。私があなたがたに話した言葉は霊であり、命である。』」

2.去る者と残る者

・弟子たちの多くはイエスの言葉に躓いて去っていった。
―ヨハネ6:66「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。」
・イエスは12人の弟子たちにも問われた「あなた方も離れて行きたいか」と。それに対してペテロは「私たちは従います」と信仰告白をする。
―ヨハネ6:67-69「イエスは十二人に『あなたがたも離れて行きたいか』と言われた。シモン・ペトロが答えた。『主よ、私たちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じ、また知っています。』」
・しかし、この残った者からも脱落者が出た。
―ヨハネ6:70-71「イエスは言われた。『あなたがた十二人は、私が選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ』。イスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのである。このユダは、十二人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしていた。」
・教会はこの残された少数の者で構成される。
―ヨハネ1:11-13「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」
・誰がこの少数者であるのか、私たちは知らない。それは神の業であり、私たちは知ることは許されない。
―ヨハネ6:65「(イエスは)言われた。『こういうわけで、私はあなたがたに、父からお許しがなければ、だれも私のもとに来ることはできないと言ったのだ。」
・この残された者から福音が伝えられていく、これが教会の使命だ。
―使徒行伝1:6-8「使徒たちは集まって『主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか』と尋ねた。イエスは言われた。『父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。』」

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