1.ラザロのよみがえりの出来事の波及
・イエスは死んで葬られていたラザロをよみがえらせた。このことがユダヤ当局者に大きな衝撃を与えた。
−ヨハネ12:9-11「イエスがそこにおられるのを知って、ユダヤ人の大群衆がやって来た。それはイエスだけが目当てではなく、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロを見るためでもあった。祭司長たちはラザロをも殺そうと謀った。多くのユダヤ人がラザロのことで離れて行って、イエスを信じるようになったからである。」
・イエスの人気の高まりは、当局者達の権力を危うくするばかりでなく、反ローマ的なマシア運動が、ローマに武力介入の機会を与えかねないと危惧したからである。
−ヨハネ11:47-48「祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集して言った。『この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。』」
・大祭司カヤパは言った「イエスを殺せば、問題は無くなる」。
−ヨハネ11:49-50「その年の大祭司であったカイアファが言った。『あなたがたは何も分かっていない。一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。』」
・一人が全体のために死んで、全体が守られる。スケープ・ゴートとは、野獣の多い荒野に入る時に、一匹の雄山羊を荒野に放ち、野獣が山羊を食べている間に、群れを安全な所へ導く牧羊者の知恵であった。
−レビ記16:20-22「雄山羊を引いて来させ、アロンは・・・雄山羊の頭に両手を置いて、イスラエルの人々の全ての罪責と背きと罪とを告白し、これら全てを雄山羊の頭に移し、人に引かせて荒れ野の奥へ追いやる。雄山羊は彼らの全ての罪責を背負って無人の地に行く。雄山羊は荒れ野に追いやられる。」
・こうして、イエスを殺すことが政治的に決定され、イエスの身は危うくなった。
−ヨハネ11:53-57「この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ。・・・祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスの居どころが分かれば届け出よと、命令を出していた。イエスを逮捕するためである。」
2.カヤパの言葉を超えて
・カヤパは自分達の利益を守るためにイエスを殺そうと提案した。ヨハネはこのカヤパの言葉の中に、人間の思いを超えて働かれる神の意思を見る。
−ヨハネ11:51-52「これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである。」
・カヤパのよこしまな思いから、イエス殺害が決意された。このイエスの殺害=十字架こそが、諸国民を解放することになる。人間の悪が、神の良き業と変えられた。
−創世記45:4-8「私はあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。・・・私をここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのです。この二年の間、世界中に飢饉が襲っていますが、まだこれから五年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく神です。』」
・十字架がなければ、イエスは弟子たちの記憶にのみ残る良き師(ラビ)に過ぎなかったであろう。しかし、十字架を通して、イエスは彼らの「救い主=キリスト」になって行く。
・歴史が示すことは、イエスを十字架で殺すことによってユダヤの国は滅亡し(紀元70年にエルサレム陥落)、初代教会はエルサレムを逃れて、ローマ各地に広まっていく。歴史は神の業が働いていることを明白に示す。
−ルカ21:20-24「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。・・・人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。」
・世は全体のために個人を殺す。神は全体を捨てても、個を求められる。
−マタイ18:12-14「ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。・・・もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。・・・これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」