1.パンの奇跡の後で
・イエスは空腹の人々を憐れまれ、パンで養われた。その業を見て、人々はイエスを王にしようとした。
―ヨハネ6:14-15「人々はイエスのなさったしるしを見て『まさにこの人こそ、世に来られる預言者である』と言った。イエスは、人々が来て自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、一人でまた山に退かれた。」
・イエスは父が必要なものは与えて下さることを人々に示すために、パンの奇跡を行われた。しかし、人々はパンだけを見て、その背後にある神の力を見なかった。
―ヨハネ6:26-27「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく・・・永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」
・イエスは神の働きを理解しようとしない人々を悲しまれ、ご自身は祈るために山に登られた。
―マルコ6:45-46「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。」
・弟子たちはイエスを乗せないまま船出したが、強い逆風にあおられ、行き悩みはじめていた。
―ヨハネ6:16-18「夕方になったので、弟子たちは湖畔へ下りて行った。そして、舟に乗り、湖の向こう岸のカファルナウムに行こうとした。既に暗くなっていた・・・強い風が吹いて、湖は荒れ始めた。」
・イエスは弟子たちを助けるために、歩いて船のところに行かれたが、弟子たちはイエスを見て恐れた
―ヨハネ6:19「イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。」
・イエスが「私だ、恐れることはない」と言われると、弟子たちは安心し、イエスを迎え入れた。するとまもなく船は目的地に着いた。
―ヨハネ6:20-21「イエスは言われた。『私だ。恐れることはない。』そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。」
2.この物語が伝えるもの
・弟子たちだけで海を渡り、嵐に苦しめられる。それはイエス亡き後の教団がたどった道であった。
―ヘブル11:37-38「彼らは石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠き、苦しめられ、虐待され、荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよい歩きました。世は彼らにふさわしくなかったのです。」
・イエスが来られても外部状況は変わらない。しかし、船が目的地に着くように、苦難の意味が変わる。
―ヘブル11:39-40「この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。神は、私たちのために、更にまさったものを計画してくださったので、私たちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです。」
・マタイはこの時、ペテロがイエスを見て海に乗り出し、イエスを見ている間は歩くことが出来たが、波や風を見たとたんに沈み始めたと付記する。
―マタイ14:28-31「ペトロが答えた。『主よ、あなたでしたら、私に命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。』イエスが『来なさい』と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので『主よ、助けてください』と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』と言われた。」
・神は私たちを強いて海の上に導かれる。海の上でないとわからない人生の真実があるからだ。私たちが苦難を自分の力で解決しようと思うとき、不測の事態に驚き、イエスを見て幽霊と思い込む。
―マタイ14:26「弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、『幽霊だ』と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。」
・与えられる全ての出来事の背後に神の御手を見て、これを信じ、委ねる。その時、人生の意味が違ってくる。
―ヨブ記42:1-6「ヨブは主に答えて言った。あなたは全能であり、御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。『これは何者か。知識もないのに、神の経綸を隠そうとするとは。』その通りです。私には理解できず、私の知識を超えた、驚くべき御業をあげつらっておりました。『聞け、私が話す。お前に尋ねる、私に答えてみよ。』あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、私は塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます。」