1.神殿での出来事
・過越の祭りにイエスはエルサレムに行かれた。共観福音書ではイエスのエルサレム訪問は一度のみであるが、ガリラヤからは3日の行程であり、ヨハネの伝えるように毎年エルサレムに行かれたのかもしれない。
―ヨハネ2:13「ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。」
・神殿の境内では人々が家畜を売り、両替をしていた。イエスはそれを見て、縄で鞭を作って、商売人たちを境内から追い出された。
―ヨハネ2:14-16「神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。『このような物はここから運び出せ。私の父の家を商売の家としてはならない。』」
・神殿で家畜を売るのは、犠牲を捧げるための動物を必要とする参拝者のためであり、両替をするのは、神殿税をユダヤ通貨で納めるために、流通していたギリシャやローマの貨幣と交換するためであった。イエスはこのような商取引を否定されたのではなく、神殿税や境内での商売が祭司の権益源になっていた事実に対してであった。
―マタイ21:13 「『私の家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている。」
・弟子たちはそれを見て「神を思う熱心がイエスにこのような行為をさせた」と感じた。神殿に参れば救われるという形式主義にイエスは警告された。
―エレミヤ7:2-4「主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして言え。『主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、私はお前たちをこの所に住まわせる。主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。』」
・宗教が金儲けの手段に堕すことが多い。その時神を拝するのではなく、人間のために神を利用するものになる。
―マタイ23:13「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。」
2.しるしと信仰
・神殿を警備する人々はこのようなイエスの態度に怒り、何の権威で行うのか。預言者であるならば「しるし」を見せよとイエスに迫った。
―ヨハネ2:18「ユダヤ人たちはイエスに『あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしを私たちに見せるつもりか』と言った。」
・イエスはそれに対して「この神殿を壊してみよ。3日で立て直す」と言われた。
―ヨハネ2:19「イエスは答えて言われた。『この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。』」
・これはユダヤ人には神殿を冒涜する言葉だった。後にイエスが捕らえられた時、この言葉が訴追理由になる。
―マルコ14:57-58「数人の者が立ち上がって、イエスに不利な偽証をした。『この男が、私は人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせると言うのを、私たちは聞きました。』」
・弟子たちでさえ、この言葉がイエスの十字架と復活を示すものであることが、その時にはわからなかった。
―ヨハネ2:21-22「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。」
・この神殿はヘロデが紀元前20年に工事を始め、完成したのは紀元後64年であった。紀元70年に神殿はローマに焼かれて消失する。福音書記者たちはこの事実を知っている。
―マルコ13:2 「大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」
・イエスはしばらくエルサレムに滞在され、いやしや悪霊追放をされた。人はそれを見てイエスを信じたが、イエスは「しるしを見て信じた」人々を信用されなかった。しるし、ご利益で集まる人は、ご利益が無くなると離れていくからである。
―ヨハネ2:23-24「イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。」