江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2024年9月19日祈祷会(エレミヤ5章、イスラエルの限度をわきまえない罪)

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1.悲哀の人

 

・ユダが支配者アッシリアの衰退の中で、政治的独立を果たし、経済的にも繁栄していた時、エレミヤはその中に他者を顧みず、自己の利益だけをはかる罪を見た。彼は「主はユダの罪を罰せられる」と預言した。

-エレミヤ5:1-3「エルサレムの通りを巡り、よく見て、悟るがよい。広場で尋ねてみよ、一人でもいるか、正義を行い、真実を求める者が。いれば、私はエルサレムを赦そう。『主は生きておられる』と言って誓うからこそ、彼らの誓いは偽りの誓いとなるのだ。主よ、御目は真実を求めておられるではありませんか。彼らを打たれても、彼らは痛みを覚えず、彼らを打ちのめされても、彼らは懲らしめを受け入れず、その顔を岩よりも固くして、立ち帰ることを拒みました」。

・豊かさはそれを享受する人に感謝をもたらすはずであるのに、逆に人々の欲望を刺激し、彼らは更なる消費、さらなる楽しみを求めた。彼らの欲望は止まることを知らない。

-エレミヤ5:7-8「どうして、このようなお前を赦せようか。お前の子らは、私を捨て、神でもないものによって誓う。私は彼らに十分な食べ物を与えた。すると、彼らは姦淫を犯し、遊女の家に群がって行った。彼らは、情欲に燃える太った馬のように、隣人の妻を慕っていななく」。

・現代社会も同じ構図の中にある。現代の資本主義は「貪欲資本主義」と呼ばれる。人々は自分の利益のみを求め、他者の窮状を見ようともしない。そのような社会はいつか破綻する。不満が爆発するからだ。

-エレミヤ5:15-17「見よ、私は遠くから一つの国を、お前たちの上に襲いかからせる、イスラエルの家よ、と主は言われる。それは絶えることのない国、古くからの国、言葉は理解し難く、その言うことは聞き取れない。その矢筒は、口を開いた墓、彼らは皆、勇士だ。お前たちの収穫も食糧も食い尽くす。更に、息子、娘を食い尽くし、羊や牛を食い尽くし、ぶどうやいちじくを食い尽くす。お前が頼みとする砦の町々を、剣を振るって破壊する」。

・18節以下でエレミヤは審判の臨む理由を再度指し示す。海はその定められた境界線を越えないのに、人の悪は際限なく拡大する。「神などいない」、その思いが、人を、限界を超えた悪に走らせる。

-エレミヤ5:22-24「私は砂浜を海の境とした。これは永遠の定め、それを越えることはできない。波が荒れ狂っても、それを侵しえず、とどろいても、それを越えることはできない。しかし、この民の心はかたくなで、私に背く。彼らは背き続ける。彼らは、心に思うこともしない『我々の主なる神を畏れ敬おう・・・』と」。

 

2.限度を超えたイスラエルの罪

 

・際限なく肥大した悪は神から離れた罪の故だ。

-エレミヤ5:26-29「わが民の中には逆らう者がいる・・・罠を仕掛け、人を捕らえる。籠を鳥で満たすように、彼らは欺き取った物で家を満たす。こうして、彼らは強大になり富を蓄える。彼らは太って、色つやもよく、その悪事には限りがない。孤児の訴えを取り上げず、助けもせず、貧しい者を正しく裁くこともしない。これらのことを、私が罰せずにいられようか、と主は言われる。このような民に対し、私は必ずその悪に報いる」。

・しかし民はエレミヤの言葉を聞かず、うそぶく「主は何もなさらない。飢饉や外国軍の侵略も起こらないではないか」。

-エレミヤ5:12-13「彼らは主を拒んで言う『主は何もなさらない。我々に災いが臨むはずがない。剣も飢饉も起こりはしない。預言者の言葉はむなしくなる。『このようなことが起こる』と言っても実現はしない」。

・矢内原忠雄はエレミヤを「悲哀の人」と呼んだ。彼は言う「混沌の中にあって真実を見据え、真実を語る人は悲哀の人であります。世間の人は神などあるものかと神を無視してわがまま勝手に行動していました。その中で『神は目を開けておられる』、そのことをエレミヤ一人が見抜いたのです」。「審きを、審きと感じない」、そこに罪がある。情勢は変わり、アッシリアからの独立を掲げたヨシヤ王はメギトでエジプト軍に敗れて戦死し(前609年)、危機が目に見え始めているのに、人々に危機感はない。指導者たちさえ、自分たちの罪を認識していない。

-エレミヤ5:4-5「私は思った『これは身分の低い人々で、彼らは無知なのだ。主の道、神の掟を知らない。身分の高い人々を訪れて語り合ってみよう。彼らなら主の道、神の掟を知っているはずだ』と。だが、彼らも同様に軛を折り、綱を断ち切っていた」。

・神を見失った人間の犯す悪は限度がない。ドストエフスキー「悪霊」の主人公スタブローギンは言う「神がいなければすべてのことは赦される」。ルターは言う「最も恐ろしいのは審きのない世界、神が放置される世界だ」。

-ローマ1:28-32「彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました・・・彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています」。

 

3.神を信じ、従うことの意味

 

・それでも世に従わず、主の道を行う人々がいる。平塚バプテスト教会巻頭言は2016年1月1日朝日新聞の赦しの記事に感動したと語る。

-「2016年元旦の朝日新聞朝刊に「オバマが歌った赦す心」の記事があった。昨年6月、米南部サウスカロライナ州チャールストンで白人至上主義の男に射殺された牧師ら黒人9人の追悼式があった。そこに参列したオバマ大統領がスピーチの途中10秒ほどの沈黙の後、突然伴奏なしで賛美歌「アメージング・グレース」を歌い始めた、という。「アメージング・グレース/なんと甘美な響き/人でなしの私を救って下さった」。たちまち総立ちの大合唱に。天を見上げ、涙を流す人もいた、とある。「米国ってすごいな」と感じ入った。日本の指導者が大勢の聴衆の前で歌いだすとたちまち大合唱になる、なんてことはまずない。そんな共感・共有できる歌がそもそもないのでは。

・追悼式の一週間前に、遺族は一人ひとり、容疑者に語りかけたという。「あなたは私から大切な人を奪いました。もう彼女(母)と話し、抱きしめることもできません。でも私はあなたをゆるします」「私は自分がとても憤っていることを告白しますが、憎むことはありません。ゆるさねばなりません。あなたの魂のために私は祈ります」。地元の教会で23年、ゆるすことの意味を説いてきたブレイルスフォード牧師もその言葉に圧倒されたという。米国の信仰の底力をみる思いだ。

・この賛美歌の作詞者はジョン・ニュートン(1725-1807)。奴隷貿易に長年携わった後、牧師になった英国人。彼は大勢のアフリカ人奴隷の売買に手を染めた。罪の贖いとゆるしを求め、この歌を作ったとされる。歌は海を渡り、米国で広く親しまれるようになった。この歌は差別にあがらう歌として歌われ、アフリカ系米国人に、苦難に耐える勇気と強さを与えたと言われる。サウスカロライナ州コロンビアの黒人教会のローリック牧師の言葉を紹介する「我々の歴史は、痛みの歴史。何か被害を受けた時、赦せなければ、いつまでも憎しみに心を支配される。赦すことは、自らを解放することなのです」。元旦の朝から素晴らしい言葉を頂いた。

・世の多くの人はこの世的な生き方に染まり、自己の利益追求に走る。しかし少数の者は神を信じ、信仰者にふさわしい行為を行う。神は「バアルにひざまずかなかった七千人を残された」。私たちもこのような「残りの者」になりたい。

-ローマ11:2-5「エリヤについて聖書に何と書いてあるか、あなたがたは知らないのですか。彼は、イスラエルを神にこう訴えています。「主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇を壊しました。そして、私だけが残りましたが、彼らは私の命をねらっています。」しかし、神は彼に何と告げているか。「私は、バアルにひざまずかなかった七千人を自分のために残しておいた」と告げておられます。同じように、現に今も、恵みによって選ばれた者が残っています」。

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