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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2024年9月12日祈祷会(エレミヤ書4章、北からの脅威を説くエレミヤ)

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  1. 北からの脅威を説くエレミヤ

 

・4章はエレミヤが北からの異民族侵略を預言する個所だ。

-エレミヤ4:5-8「ユダに知らせよ、エルサレムに告げて言え。国中に角笛を吹き鳴らし、大声で叫べ、そして言え。『集まって、城塞に逃れよう。シオンに向かって旗を揚げよ。避難せよ、足を止めるな』と。私は北から災いを、大いなる破壊をもたらす。獅子はその茂みを後にして上り、諸国の民を滅ぼす者は出陣した。あなたの国を荒廃させるため、彼は自分の国を出た。あなたの町々は滅ぼされ、住む者はいなくなる。それゆえに、粗布をまとい、嘆き、泣き叫べ。主の激しい怒りは我々を去らない」。

・エレミヤ4章の「北からの災い」は、当時活発な活動を見せていた騎馬民族スキタイ族の侵略を想定している。紀元前7世紀半ばごろ、約半世紀にわたって当時の世界に秩序と繁栄をもたらしていたアッシリアの支配もかげりを見せ、新興勢力の進出に脅かされるようになる。メソポタミア南部には、新バビロニア帝国が起こり、ペルシャの北側にはメディア王国が台頭していた。またコーカサスの北から侵入して、世界を荒らしまわった騎馬民族であるスキタイ人はアッシリアに入り、メディアにも侵入し、あるいはエジプトを目指し、シリア・パレスチナにまで略奪の遠征を行なった。エレミヤの「北からの災い」に関する預言は、このスキタイ人の乱暴な攻撃と略奪の噂を聞いて、ユダとエルサレムの人々に警告を発するために行なわれたのではないかと考えられている。

・エレミヤが北からの異民族侵略により滅びが来ると預言する。しかし、祭司や宮廷預言者たちは、神の住まわれるエルサレム神殿があり、神が祝福されたダビデ王家がある限り、エルサレムは滅びないと預言した。しかしエレミヤは、その神がエルサレムを撃たれるのだと警告する。

-エレミヤ4:9-10「その日が来れば、と主は言われる。王も高官も勇気を失い、祭司は心挫け、預言者はひるみ、言うであろう『ああ、主なる神よ。まことに、あなたはこの民とエルサレムを欺かれました。あなたたちに平和が訪れると約束されたのに、剣が喉もとに突きつけられています』」。

・エレミヤは侵略された都の惨状を描写する。

-エレミヤ4:23-26「私は見た。見よ、大地は混沌とし、空には光がなかった。私は見た。見よ、山は揺れ動き、すべての丘は震えていた。私は見た。見よ、人はうせ、空の鳥はことごとく逃げ去っていた。私は見た。見よ、実り豊かな地は荒れ野に変わり、町々はことごとく、主の御前に、主の激しい怒りによって打ち倒されていた」。

・大地は混沌となった。「混沌」(トーフー・ワボーフ)という言葉は、聖書の中に、創世記1章2節とここしか出てこない。創世記がバビロン捕囚の中で書かれたことを示す個所だ。神による創造は、混沌とした無秩序な世界に秩序を与え、その秩序は生ける者に命をもたらす。しかし神に背き、罪を犯し続ける者の上に下される神の審判は、混沌である。世界の秩序は神の御手により保たれるが、その御手の守りがなくなる時、世界は混沌としたものになる。光がなく暗くなり、山々は揺らぎ、大地には人も動物もいなくなり、肥沃な土地は荒野に変わり、町々は破壊されるようになるとエレミヤは預言する(鳥井一夫、エレミヤ書講解から)。

 

2.預言者の悲劇

・ギリシャ人はこの世界はコスモス(秩序)の中にあるとみた。旧約聖書は神の創造の業によって、カオス(混沌)がコスモス(秩序)に変わったと説いた。しかしエレミヤの見た幻は、神の裁きによって、この世界が創造前のカオスに戻される世界だった。この世界は神の忍耐のゆえに維持されており、いつでもカオスに戻りうるとエレミヤは預言した。しかし、エレミヤの預言は外れ、スキタイ人の侵略はなかった。それにも関わらず、エレミヤの預言は今日的な意味を持つ。現代文明は地球を何度でも破壊できる核兵器を持つ。人の罪は世界を再びカオスに戻す危機を内包している。

・初期の「北からの災い」の預言は実現しなかった。しかし彼の預言には価値がないといって退けることはできない。「地震予知がしばしばはずれ、人々が地震学者を非難し始めた時に、大地震が来る」ように、である。大地震は必ず来る。それは地球の波動であり、規則性を持つ。ただそれが今か、10年後か、誰にも分らない。同じように敵軍の侵略は必ず起こる。強国が争い続ける結果、エルサレが滅ぼされる日は来る。その時期がいつかは人にはわからない。エレミヤは主から示された言葉を繰り返し預言する。

-エレミヤ4:13-14「見よ、それは雲のように攻め上る。その戦車はつむじ風のよう、その馬は鷲よりも速い。ああ、災いだ。我々は荒らし尽くされる。エルサレムよ、あなたの心の悪を洗い去って救われよ」。

・それは愛国者エレミヤの叫びだ。彼は祖国の滅亡を、はらわたをねじれさせ、心臓をうめかせながら預言する。

-エレミヤ4:19「私のはらわたよ、はらわたよ。私はもだえる。心臓の壁よ、私の心臓は呻く。私は黙していられない。私の魂は、角笛の響き、鬨の声を聞く」。

・預言者は現在ではなく、将来を見る。まだ戦乱の兆しもない時に、国の滅亡を幻に見る。そこに預言者の悲劇が生れ、人々はエレミヤを「大ぼら吹き、災いの預言者」として嘲笑した。洪水を信じない人々がノアを嘲笑したようにである。

-ルカ17:26「ノアの時代にあったことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった」。

・イスラエルはその悲痛な叫びを聞かない。彼女はこれまでアッシリアやエジプトに媚を売って生きながらえてきた。しかし、この最後の時に、彼女は滅ぼされる。罪を認めよ、滅びるなとエレミヤは叫ぶ。

-エレミヤ4:30-31「辱められた女よ、何をしているのか。緋の衣をまとい、金の飾りを着け、目の縁を黒く塗り、美しく装ってもむなしい。愛人らはお前を退け、お前の命を奪おうとする。まことに、産みの苦しみのような声が聞こえる・・・あえぎながら手を伸べる娘シオンの声が『ああ、殺そうとする者の前に私は気を失う』」。

・信仰には二つの形がある。一つは「親鳥がその雛を翼の下に守られるように、神は私たちを守られる」という信仰だ。しかしこの信仰は、祈りが聞かれず、滅びが迫ると崩壊する。もう一つは神の裁きを受けて、その中で神の名を呼び求めていく信仰だ。主は語られる「私は滅ぼし尽しはしない」。いつでも残りの者が与えられ、再生が始まる。

-エレミヤ4:27「まことに、主はこう言われる。『大地はすべて荒れ果てる。しかし、私は滅ぼし尽くしはしない』」。

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