江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2024年12月26日祈祷会(エレミヤ書19章、陶器を砕く象徴預言)

投稿日:

 

 

1.陶器を砕くエレミヤ

 

・エレミヤは陶器師のところに行く。彼がそこで見たのは、陶器師が粘土を用いて自分の思う通りに器を造り、気に入らない器は壊して別のものに造り変える姿だった。エレミヤに主は言われた「私がこの陶器師のようにふるまうことは許されないのか」と。エレミヤは壺を買い、その壺をベン・ヒノムの谷で砕くように命じられる。

-エレミヤ19:1-11「主はこう言われる『行って、陶器師の壺を買い、民の長老と、長老格の祭司を幾人か連れて、陶片の門を出たところにある、ベン・ヒノムの谷へ出て行き・・・あなたは、共に行く人々の見ているところで、その壺を砕き、彼らに言うがよい。万軍の主はこう言われる。陶工の作った物は、一度砕いたなら元に戻すことができない。それほどに、私はこの民とこの都を砕く』」。

・預言者の象徴行為と言われるものだ。壺が粉々に砕けるようにエルサレムは主に依って砕かれる。神の言葉がこの象徴行為を通して目に見えるものとなる。

-エレミヤ19:6-9「それゆえ、見よ、と主は言われる。このところがもはやトフェトとか、ベン・ヒノムの谷とか呼ばれることなく、殺戮の谷と呼ばれる日が来る。私はユダとエルサレムの策略をこのところで砕く。私は彼らを剣によって、敵の前に倒し、その命を奪おうとする者の手に渡し、彼らの死体を空の鳥、野の獣の餌食とする。私はこの都を恐怖の的とし、嘲られるものとする・・・彼らの敵と命を奪おうとする者が彼らを悩ますとき、その悩みと苦しみの中で、私は彼らに自分の息子や娘の肉を食らい、また互いに肉を食らうに至らせる」。

・この記述は前587年におこったバビロン軍のエルサレム侵略の預言だ。預言の通り、人々は殺され、その死体は谷に捨てられて、鳥や獣の餌食となり、飢えに苦しむ人々はその子を煮炊きして食べた。

-哀歌2:20-21「主よ、目を留めてよく見てください。これほど懲らしめられた者がありましょうか。女がその胎の実を、育てた子を食い物にしているのです。祭司や預言者が主の聖所で殺されているのです。街では老人も子供も地に倒れ伏し、おとめも若者も剣にかかって死にました。あなたは、ついに怒り、殺し、屠って容赦されませんでした。」。

 

2.象徴預言の示すもの

 

・象徴預言が示すことは深刻だ。出来そこないの器でも、まだろくろの上にある時は造り直すことができる。しかしイスラエルが造り直される時は過ぎた。イスラエルは砕かれる以外に用をなさない、その砕きの象徴がベン・ヒノムの谷だ。かつてそこでは異教の幼児犠牲が捧げられていた。その厭わしさゆえに、その場所が殺戮の谷、死体が捨てられる場所になると預言されている。

-エレミヤ7:31「彼らはベン・ヒノムの谷にトフェトの聖なる高台を築いて息子、娘を火で焼いた。このようなことを私は命じたこともなく、心に思い浮かべたこともない。それゆえ、見よ、もはやトフェトとかベン・ヒノムの谷とか呼ばれることなく、殺戮の谷と呼ばれる日が来る、と主は言われる。そのとき、人々はもはや余地を残さぬまで、トフェトに人を葬る」。

・「ベン・ヒノム」のギリシャ語読みが「ゲヘナ」、新約聖書で地獄を意味するものになる。聖書が示すのは、地獄は死んだら行くところであるよりも、今現在の地上において存在する場所だ。

-マルコ9:43「もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄(ゲヘナ)の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。地獄(ゲヘナ)では蛆が尽きることも、火が消えることもない」。

・エレミヤは神殿崩壊預言を行った。彼の言葉は神殿警備長を怒らせ、彼は捕えられ、拘束される。

-エレミヤ19:14-20:2「エレミヤは・・・主の神殿の庭に立ち、民のすべてに向かって言った『イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ、私はこの都と、それに属するすべての町々に、私が告げたすべての災いをもたらす。彼らはうなじを固くし、私の言葉に聞き従おうとしなかったからだ』。主の神殿の最高監督者である祭司、イメルの子パシュフルは、エレミヤが預言してこれらの言葉を語るのを聞いた。パシュフルは預言者エレミヤを打たせ、主の家の上のベニヤミン門に拘留した」。

・エレミヤは恐れずに主の言葉を伝える。信じられない行為だ。

-エレミヤ20:4-6「主はこう言われる。見よ、私はお前を『恐怖』に引き渡す。お前も、お前の親しい者も皆。彼らは敵の剣に倒れ、お前は自分の目でそれを見る・・・パシュフルよ、お前は一族の者と共に、捕らえられて行き、バビロンに行って死に、そこに葬られる。お前も、お前の偽りの預言を聞いた親しい者らも共に」。

 

3.エレミヤ19章の黙想(地獄は存在するのだろうか)

 

・ダンテ「神曲」の描く死後の世界の中核になるのが地獄だ。それによれば、地獄はエルサレムの真下の地下深く、堕天使ルシフェルが天界から堕とされた際にできた大穴で、9つの円があり、下にいくにつれて狭く、すり鉢状の層になっている。2人は洗礼を受けていない者が罰せられる第一層「辺獄(リンボ)」を皮切りに、犯した罪とそれに応じた罰の苛烈さが高まる下層へ下りていく。第五層「憤怒に駆られた者」と第六層「異端の者」の間には炎に包まれた「悪魔の城塞」があり、そこから刑罰はさらに激化の一途をたどる。極寒の第九層「コキュトス」の最深部を超えるとそこは地球の中心、つまり重力の中心であった。そこで3つの顔をもつ悪魔大王を目にした一行は、「すべてを見た」として重力の反対側、煉獄へ上っていく。

・ヨハネ黙示録では、最後の審判で「命の書」に名前のない人は地獄に落とされ、名前のある人は天国に昇ることができるとする。識者は語る「ヨハネの黙示録に書かれていることはすべて真実で、書かれている通りに世界の終末が遠からず来ると信じる人々が今でも後を絶ちません。核兵器やテロの恐怖、地球温暖化などの環境問題、HIVや鳥インフルエンザなどの新しい疫病など、現在、世界が抱える問題は、その証拠だと考えるのです。聖書の一字一句が文字通り真実で、誤りや矛盾は決してないと考える、キリスト教根本主義者などがその例です」(ナショナル ジオグラフィック記事より)。

・それに対して、カール・バルトの神学においては、「イエス・キリストを信じる者も信じない者もすべて神の怒りから救い出される」とする。彼は語る「地獄は存在するかもしれないが、最後には空き家になる」。神は「人の滅びではなく、救いを望んでおられる」と考えた時、バルトの考え方に共感できる。黙示録その他の断片的な言葉をそのまま読むのではなく、聖書全体から釈義すべきだ。

 

4.脅迫説教から憐れみの言葉へ

 

・洗礼者ヨハネは「神の国は近づいた」、「終末の裁きの時が近づいた」と宣言し、人々に悔改めを迫った人々はヨハネの宣教に心動かされ、ナザレにおられたイエスも、ヨハネが「世の終わりが来た」として宣教を始めたのを聞かれてユダに来られ、彼から洗礼を受けられた。イエスは受洗後も、故郷には戻られず、ヨハネの下で学びを深められた。しかし、イエスは次第にヨハネの言動に違和感を持たれるようになる。ヨハネのように「罪びとを断罪し、悔い改めに至らせる」ことが、果たして「神の国の知らせなのか」という疑問である。やがてヨハネはガリラヤ領主ヘロデ・アンテイパスを批判して捕えられ、死海のほとりのマケロス要塞に幽閉され、イエスはそれを契機にヨハネ教団から独立して、宣教を始められた。

・イエスの評判が獄中のヨハネに届く。ヨハネの使信は、「裁きの時は近づいた、悔改めなければおまえたちは滅ぼされる」というものだった。ヨハネが期待したメシアは、不信仰者たちを一掃し、新しい世を来たらせる裁き主だった。しかし、イエスは罪びとと交わり、貧しい人を憐れみ、病人を癒されている。裁きの時に罪びとは滅ぼされる運命にあるのに、イエスは罪びとの救いのために尽力されている。だからヨハネはイエスに尋ねた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」「来るべき方」とは、終末に来ると期待されたメシアのことを指す。

・そのヨハネにイエスは答えられた「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」(ルカ7:22)。イエスは天の父が彼らを愛し、養い、導いて下さることを告げ知らせ、喜ばしい知らせのしるしとして、病や悪霊に苦しんでいる者を癒された。しかし、ヨハネは理解しなかった。ヨハネが宣べ伝えた宣教は、「悔い改めよ、そうしなければお前たちは滅ぼされる」というものだった。彼は語る「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ・・・斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」(ルカ3:7-9)。神の怒りは限界に達している、だから悔い改めよ。ヨハネの宣教の基本は裁きである。

・それに対してイエスは荒野を出てガリラヤに行かれ、神の国の福音を説かれた「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」。ヨハネの宣教とイエスの宣教の違いを理解することは大事なことだ。多くの場合、私たちはヨハネの宣教を宣べ伝えている「罪を認めなさい。悔い改めなしには救いはない」、「信じなさい、信じない者は地獄に行く」。これは良い知らせ、福音ではない。「天国は信じる者にのみ開かれているのか」、イエスは信じない者のために活動された、そこに「良い知らせ」がある。

-

Copyright© 日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会 , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.