1.申命記革命とエレミヤ
・エレミヤ書は11章から新しい部分が始まる。これまでの詩文(預言)から散文(物語)への転換である。この11章ではユダの裁きという審判の告知にエレミヤの個人的体験が織り交ざって物語が展開する。エレミヤはユダ王ヨシヤの行った申命記に基づく礼拝改革に賛同していた。人々がエジプトから解放された主を忘れ、偶像の神々に取り込まれていたからだ。
-エレミヤ11:2-5「この契約の言葉を聞け・・・イスラエルの神、主はこう言われる。この契約の言葉に聞き従わない者は呪われる。これらの言葉は私があなたたちの先祖を、鉄の炉であるエジプトの地から導き出したとき、命令として与えたものである。私は言った。私の声に聞き従い、あなたたちに命じるところをすべて行えば、あなたたちは私の民となり、私はあなたたちの神となる。それは、私があなたたちの先祖に誓った誓いを果たし、今日見るように、乳と蜜の流れる地を彼らに与えるためであった」。
・申命記は「神に従わない者は呪われる」と記す。しかし民はその戒めに従わず、偶像の神々を求めた。偶像の神々は拝めば「豊作と安逸」を与えると約束したからだ。ヨシヤ王は偶像礼拝の温床となっていた地方聖所を破壊し、礼拝をエルサレム神殿に統一することを求めた。
-申命記12:1-5「これから述べる掟と法は、あなたの先祖の神、主があなたに与えて得させられる土地で、あなたたちが地上に生きている限り忠実に守るべきものである。あなたたちの追い払おうとしている国々の民が高い山や丘の上、茂った木の下で神々に仕えてきた場所は、一つ残らず徹底的に破壊しなさい。祭壇を壊し、石柱を砕き、アシェラ像を火にくべ、神々の彫像を切り倒して、彼らの名をその場所から消し去りなさい・・・必ず、あなたたちの神、主がその名を置くために全部族の中から選ばれる場所、すなわち主の住まいを尋ね、そこへ行きなさい」。
・エレミヤは町々で悔い改めを迫り、そうしなければ滅びることを伝えよと命じられる。
-エレミヤ11:6-8「ユダの町々とエルサレムの通りで、これらの言葉をすべて呼ばわって言え。この契約の言葉を聞き、これを行え。私は、あなたたちの先祖をエジプトの地から導き上った時、彼らに厳しく戒め、また今日に至るまで、繰り返し戒めて、私の声に聞き従え、と言ってきた。しかし、彼らは私に耳を傾けず、聞き従わず、おのおのその悪い心のかたくなさのままに歩んだ。今、私は、この契約の言葉をことごとく彼らの上に臨ませる」。
・しかし民はエレミヤの言葉を聞かず、悔い改めようとしない。必然的に神の怒りが民の上に臨む。その時、彼らが慕う「偶像の神々は何もできないだろう」と神はいわれる。
-エレミヤ11:11-12「見よ、私は彼らに災いをくだす。彼らはこれを逃れることはできない。私に助けを求めて叫んでも、私はそれを聞き入れない。ユダの町々とエルサレムの住民は、彼らが香をたいていた神々のところに行って助けを求めるが、災いがふりかかるとき、神々は彼らを救うことができない」。
2.エレミヤの命を狙う人々
・すべての礼拝をエルサレムに統一し、地方聖所を廃止しようとするヨシヤ王の計画は地方聖所の祭司たちの権益を侵すものであり、彼らは反対した。エレミヤの出身地アナトトは地方聖所のあった場所であり、エレミヤも祭司の出身だった。ヨシヤ王の改革に賛同するエレミヤは郷里の人々から、裏切り者としてその命を狙われた。
-エレミヤ11:18-19「主が知らせてくださったので私は知った。彼らが何をしているのか見せてくださった。私は、飼いならされた小羊が屠り場に引かれて行くように、何も知らなかった。彼らは私に対して悪だくみをしていた。『木をその実の盛りに滅ぼし、生ける者の地から絶とう。彼の名が再び口にされることはない』」。
・既得権益の侵害はいつの時代も大きな反発をもたらす。日本の公共工事は年間50兆円(国・地方・公団等の合計)に達し、国家予算200兆円の1/4を占める。また日本の建設業従事者は690万人であり、農業人口250万人の3倍近い。異常な状態であり、自民党政権が変わり、「コンクリートから人へ」が言われると、各地で大反対が起きる。人が求めるのは自己の利益だ。
-エゼキエル34:2-3「災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。お前たちは乳を飲み、羊毛を身にまとい、肥えた動物を屠るが、群れを養おうとはしない」。
・エレミヤは自分を殺そうとする人々への報復を神に祈る。しかし彼が報復を自分の手で行おうとしないことに注目すべきだ。信仰者も怒り、報復を願うこともあるが、その報復は主に委ねる。
-エレミヤ11:20「万軍の主よ、人のはらわたと心を究め、正義をもって裁かれる主よ。私に見させてください、あなたが彼らに復讐されるのを。私は訴えをあなたに打ち明け、お任せします」。
・9.11を体験したアメリカ人がエレミヤと同じ信仰(自分で報復しない、報復は主に委ねる)を持てたら、アフガンやイラクの戦争はなかったであろう。彼らの不信仰が戦争を、多くの人々の死を招いた(9.11の死者は3千人、イラク・アフガンの死者合計は10万人を越える)。
-ローマ12:19「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐は私のすること、私が報復する』と主は言われると書いてあります」。
3.ヨシヤ王の申命記改革とエレミヤ(鳥居和夫:聖書の部屋から、要約)
・ヨシヤ王は、異教的礼拝の影響によって堕落し、契約の民を結びつける力を失っていた神殿を、当初の目的に戻すために、根本的な宗教改革を遂行した。列王記は、ヨシヤ王の神殿改革が、律法の書発見以前から始められていたことを示し、その中で律法の書の発見がなされ、改革の方向を決定づけ、徹底させる拍車をかけることになった事実を、ありのまま報告している。
・ヨシヤ王の改革は神殿の偶像除去に留まらないで、律法の書を発見し、それを後の世代における持続的な信仰を育てるものとしたことにある。紀元前587年のエルサレムの滅亡、祖国の喪失、バビロン捕囚後も、民の中に永続的な希望が、律法の書と共に残った。
・ヨシヤの治世の時代、即ち前7世紀後半は、2世紀以上にわたりメソポタミヤを支配したアッシリアの勢力が急速に衰退し、バビロンが反逆してアッシリア帝国を滅ぼし、新バビロニヤ王国を建設し、メソポタミヤを支配した。アッシリアの衰退、新バビロニヤとの覇権争いは、パレスチナ周辺の国にとって、行動の自由が与えられた、束の間の平和な時代であった。ヨシヤはこの間隙を縫って政治改革を行い、ベテルやサマリアという古い北方の領土の権利を主張し、ダビデ・ソロモンの統一王国を回復する戦いを繰り広げた。
・ヨシヤのこれらの政策は失敗に終わる。ヨシヤ王の神殿改革は、最初は国家主義的政策の一環として、企図された。列王記下23章4節におけるベテルの言及や、19節のサマリアの町々における高台にある神殿の除去の言及は、ヨシヤ王が実際上これらの地域を支配するに至っていたことを証する。これらの地域にまで改革を徹底し、イスラエルの契約共同体としての信仰の一致を求めるヨシヤ王の熱情は、律法の書の発見による、ヨシヤ自身の信仰的覚醒がもとになっている。
・このとき発見された「律法の書」は、「申命記」の基幹部分をなすものであった。ヨシヤ王は、書記官シャファンから、祭司ヒルキヤが主の神殿で律法の書を発見したこと、その発見した律法の書を聞いた時、ヨシヤは語る「この見つかった書の言葉について、私のため、民のため、ユダ全体のために、主の御旨を尋ねに行け。我々の先祖がこの書の言葉に耳を傾けず、我々についてそこに記されたとおりにすべての事を行わなかったために、我々に向かって燃え上がった主の怒りは激しいからだ」(列王記下22:13)。
・ヨシヤは、数々の偶像除去による神殿改革を断行した。第一はエルサレム神殿からすべての異教的要素を排除し、祭儀をヤハウエ礼拝のためのものと純化したこと。第二にエルサレム以外の地方聖所をすべて廃止し、祭儀をエルサレム神殿に限定する祭儀集中をおこなったこと。第三に、ヨシヤはこれらの改革を、ユダ国内に止まらず、当時アッシリア領であったベテルやサマリアにまで拡大したことである。このように、ヨシヤ王は律法の書による信仰覚醒を促す努力をしたが、彼の後継者たちは、彼の改革を否定し偶像への道に逆行する歩みをした。
・同時代を生きたエレミヤについて、列王記に記述はないし、エレミヤもヨシヤ王について言及しないが、エレミヤがヨシヤ王の改革を支持した。ヨシヤ王の後継者の時代に、エレミヤがその預言者としての職務を担い、その反動に対し警告を発し、重要な働きを果たしている。しかし、改革の土台であった律法が、新しい正当主義の土台となり、その結果、律法さえ守っていれば、という安易な自己満足主義に陥り、常に新しく、挑戦的である神の言葉に対して、民を盲目にする危険を秘めていた。一つ間違えば、律法もまた、物心崇拝以上の何物でもないものに、変えられていくことをエレミヤは批判する。
-エレミヤ8:8-9「どうしてお前たちは言えようか。我々は賢者といわれる者で主の律法を持っていると。まことに見よ、書記が偽る筆をもって書きそれを偽りとした。賢者は恥を受け、打ちのめされ、捕らえられる。見よ、主の言葉を侮っていながらどんな知恵を持っているというのか」。