江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2024年1月25日祈祷会(申命記5章、十戒の付与)

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1.聞け、イスラエル

 

・民に戒めと掟が与えられる。その付与は、「聞け=シェマ・イスラエル」として為される。神は霊であり、見ることが出来ない故に、神の言葉を「聞け」と命じられる。聞く=聴くは基本である。

-申命記5:1「モーセは、全イスラエルを呼び集めて言った。イスラエルよ、聞け。今日、私は掟と法を語り聞かせる。あなたたちはこれを学び、忠実に守りなさい」。

・その言葉はホレブ=シナイで語られた。聞いた民はみな死んだが、契約は生きており、第二世代である民に語られる。そして、第三世代である私たちも聴く。神の言葉は聞くことにより、力となる。

-申命記5:2-3「我々の神、主は、ホレブで我々と契約を結ばれた。主はこの契約を我々の先祖と結ばれたのではなく、今ここに生きている我々すべてと結ばれた」。

・基本的な戒めは民に直接語られ、その実践である法は、モーセを通して語られる。私たちも目で聖書を読み、耳でその説き明かしを聞く。モーセの役割は、神の言葉を取り次ぎ、それを子どもたちにも伝えるように教えることだ。

-申命記5:30-31「あなたは、彼らのもとに行って、それぞれの天幕に帰れと命じなさい。しかし、あなたはここにとどまり、私と共にいなさい。私は、あなたに戒めと掟と法をすべて語り聞かせる。あなたはそれを彼らに教え、彼らは私が得させる土地においてそれを行う。」

・それは命に関る教えである。神の言葉を聞き、それに従うことは、命をかけた行為であると言われる。

-申命記5:32-33「あなたたちは、あなたたちの神、主が命じられたことを忠実に行い、右にも左にもそれてはならない。あなたたちの神、主が命じられた道をひたすら歩みなさい。そうすれば、あなたたちは命と幸いを得、あなたたちが得る土地に長く生きることができる」。

 

2.十戒

 

・戒めは十戒と呼ばれる。十の大事な戒めがあるからだ。前半は偶像礼拝の禁止である。

-申命記5:6-11「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、私をおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。私は主、あなたの神。私は熱情の神である。私を否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、私を愛し、私の戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない」。

・戒めの中核は安息日規定である。イスラエルはエジプトで奴隷であり、休むことが許されなかった。だから、救われた今は「休め」といわれる。安息日は祝福であり、義務化したときに喜びはなくなる。

-申命記5:12-15「安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない・・・あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである」。

・イスラエルはエジプトで奴隷として苦しみ、休息の日を求め、望んだ。だから、子や奴隷にも休息を与えよと命じられる。

-申命記5:14「あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、牛、驢馬などすべての家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。そうすれば、あなたの男女の奴隷もあなたと同じように休むことができる」。

・従順に対する神の祝福と、不従順に対する神の呪いが記される。しかし、不従順に対する神の怒りは過ぎ去る。神は私たちが滅びることを喜ばれない。旧約は裁きであり、新約は赦しであるとするのは表層的な見方だ。旧約の中にも赦しと喜びが満ち溢れている。

-詩篇30:5-6「主の慈しみに生きる人々よ、主に賛美の歌をうたい、聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。一時、お怒りになっても、命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」。

・後半の中核は「貪るな」である。神からの離反が貪りを招き、貪りから殺人や姦淫や盗みが生じる。

-申命記5:16-21「あなたの父母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生き、幸いを得る。殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。隣人に関して偽証してはならない。あなたの隣人の妻を欲してはならない。隣人の家、畑、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のものを一切欲しがってはならない」。

・貪りの罪の実態は、偶像崇拝の罪だ。主のみを愛せよ、他の神に迷うな。十戒の根本は第一戒だ。

-エフェソ5:5「すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい」。

 

3.もう一つの十戒を見る(出エジプト20章)

 

・十戒は申命記5章と出エジプト記20章の両書に記される。両者は微妙に異なる。以下、出エジプト記20章の規定を見ていく。十戒の最初の戒めは、「あなたには、私をおいてほかに神があってはならない」。原文では「あなたは私の前に他の神々があってはならない」。私があなたを奴隷の家から解放した。神々と称せられるものは多くあるだろうが、あなたにとっては私以外の神はいない。あなたが私以外の神と関係を持つことはありえないという神の呼びかけの言葉を聞く。エジプトから救い出して下さった神に対する感謝が、「私は他の神を崇めることはしません」という誓約に導く。

・第二の戒めは「あなたはいかなる像も造ってはならない」という偶像礼拝の禁止である。異教の神は人間の造った像に宿り、人間の構築した神殿や聖所に現れる神であり、それは人間あっての神だ。しかし、聖書の神は人格において、人間と出会われる方だ。「世は被造物をかたどった像を造り、それを神として拝むが、それは神などではありえない」。

・第三戒は「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」。神は天地を造り、イスラエルを選び、受け入れら、自らの名を、「あってあるもの」と啓示された(出エジプト記3:14-15)。古代においては「名を知るものは、その力をつかむ、神の名を知るならば神を動かし得る」と考えられていた故に、神名を唱えて人間を支配しようとする呪術が生まれる。人間の名を呼ぶ神への服従と信頼がこの戒めの精神だ。

・第四戒は「安息日を心に留め、これを聖別せよ」である。安息日はあくまでも他の日から区別する日(安息日=ヘブル語シャーバット、シャバース=中止する、区別する)であり、日常労働からの休息と解放の日である。安息日は隣人をも解放する日となるゆえに「あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も休め」(20:10)と命じられている。

・第五戒~第十戒の戒めは、人間に対する戒めである。「両親を敬え。殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。隣人に関して偽証してはならない。隣人の家を欲してはならない」(出エジプト記20:13-17)。「殺すな」は誤訳であり、原文では「あなたが殺すはずがない」となっている。「人は神にかたどって造られたから」(創世記9:6)、相手を殺すことは創造の神への反逆になる。「奴隷状態から解放され、救済にあずかって、今生かされているあなたが、人を殺すことなどあり得ない」との意味となる。

・第七戒は「姦淫してはならない」。ここでも禁止命令ではなく、「あなたが姦淫するはずがないではないか」と語られている。神は人を男と女に創造され、男女の交わりは結婚という形で積極的に肯定される。その神の命じた結婚の秩序を乱すものとして、姦淫が戒められている。

・第八戒は「盗んではならない」。神は人間が働くことを通して必要な糧を得るように定められた。盗みは労働の大切さを無視し、神が与えたものをないがしろにする行為ゆえに禁じられている。アモスやエレミアは貧しい人々に分かち与えようとしない金持ちたちを糾弾する。「全ては神から与えられたもの」ということを認識する時、貧富の格差の放置は、「盗むな」という戒めの違反になる。

・第九戒は「隣人に関して偽証してはならない」。法廷においての真実証明は二人以上の証人を必要とした。公の場において隣人としての義務と責任を果たせと命じられている。第十戒は「隣人の家を欲してはならない」。具体的には「隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを欲してはならない」と言われている。貪りとはみだりに欲しがること、それは生きるのに必要なものを与えて下さる神への感謝を忘れた罪となる。この「貪るな」という禁止命令が、「愛せよ」に能動命令に変わる時、隣人との関係が変化して行く。

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