1.エレミヤとイスラエル
・エレミヤが召命を受けた前626年は、世界の覇者アッシリアの国力が衰退し、植民地ユダでは脱アッシリアの動きが強まり、ヨシヤ王はアッシリアに占領された北王国の旧領回復を行い、国内は繁栄した。しかし国土は復興しても、人々は相変わらず異教の神々を拝み、社会正義は後退している。エレミヤはこのままでは神の裁きが北からの侵略として下ると預言する。
-エレミヤ4:6-8「私は北から災いを大いなる破壊をもたらす。獅子はその茂みを後にして上り、諸国の民を滅ぼす者は出陣した。あなたの国を荒廃させるため、彼は自分の国を出た。あなたの町々は滅ぼされ、住む者はいなくなる。それ故に、粗布をまとい、嘆き、泣き叫べ。主の激しい怒りは我々を去らない」。
・エレミヤは祖国が滅びる幻を見た。それ故に彼は緊迫の中で、悔い改めを民に求めた。
-エレミヤ4:23-26「私は見た。見よ、大地は混沌とし、空には光がなかった。私は見た。見よ、山は揺れ動き、すべての丘は震えていた。私は見た。見よ、人はうせ、空の鳥はことごとく逃げ去っていた。私は見た。見よ、実り豊かな地は荒れ野に変わり、町々はことごとく、主の御前に、主の激しい怒りによって打ち倒されていた」。
・「北からの災い」については、スキタイ族の侵略が預言された。紀元前7世紀半ばごろ、約半世紀にわたって当時の世界に秩序と繁栄をもたらしていたアッシリアの支配もかげりを見せ、新興勢力の進出に脅かされるようになる。メソポタミア南部には、新バビロン帝国が起こり、ペルシャの北側にはメディア王国が台頭していた。またコーカサスの北から侵入して、世界を荒らしまわった騎馬民族であるスキタイ人はアッシリアに入り、メディアにも侵入し、あるいはエジプトを目指し、シリア・パレスチナにまで略奪の遠征を行なった。エレミヤの「北からの災い」に関する預言は、このスキタイ人の乱暴な攻撃と略奪の噂を聞いて、ユダとエルサレムの人々に警告を発するために行なわれたのではないかと考えられている。
・しかしスキタイ族の侵略はなかった。エレミヤは人々から嘲笑され、亡国の徒とののしられた。国内は繁栄し、他国からの侵略の兆しもない中での預言は人々からの嘲笑を招いただけだった。
-エレミヤ15:10「私は災いだ。わが母よ、どうして私を産んだのか。国中で私は争いの絶えぬ男、いさかいの絶えぬ男とされている。私は誰の債権者になったことも、誰の債務者になったこともないのに、誰もが私を呪う」。
・その中でエレミヤは預言を続ける。1-6章はエレミヤ初期の預言であり、エレミヤは罪を認めて悔い改めよと民に語る。主なる神を捨てて、土着神バアルや外国の神々を慕うイスラエルをエレミヤは姦淫を犯した妻に例える。
-エレミヤ3:1-2「もし人がその妻を出し、彼女が彼のもとを去って他の男のものとなれば、前の夫は彼女のもとに戻るだろうか。その地は汚れてしまうではないか。お前は多くの男と淫行にふけったのに、私に戻ろうと言うのかと主は言われる。目を上げて裸の山々を見よ、お前が男に抱かれなかった所があろうか。荒れ野でアラビア人が座っているように、お前は道端に座って彼らを待つ。淫行の悪によってお前はこの地を汚した」。
2.姦淫の妻に帰れと呼びかける神
・北イスラエル王国が罪のゆえに滅ぼされた(アッシリアにより)、それでも自分の罪を認めない南ユダ王国の人々の頑迷さをエレミヤは告発する。
-エレミヤ3:6-8「背信の女イスラエルのしたことを見たか。彼女は高い山の上、茂る木の下のどこにでも行って淫行にふけった。彼女がこのようなことをした後にもなお、私は言った『私に立ち帰れ』と。しかし、彼女は立ち帰らなかった。その姉妹である裏切りの女ユダはそれを見た。背信の女イスラエルが姦淫したのを見て、私は彼女を離別し離縁状を渡した。しかし、裏切りの女であるその姉妹ユダは恐れるどころか、その淫行を続けた」。
・神は罪のゆえに滅ぼされた北イスラエルさえも惜しんで、彼らが悔い改めればアッシリアから戻すと言われる。赦しの条件は悔い改めるだけだ。人がどのような罪を犯しても、悔い改めれば赦される。
-エレミヤ3:12-13「背信の女イスラエルよ、立ち帰れと主は言われる。私はお前に怒りの顔を向けない。私は慈しみ深く、とこしえに怒り続ける者ではないと主は言われる。ただ、お前の犯した罪を認めよ」。
・エレミヤの言葉は続く。神が滅びた北イスラエルをさえ憐れまれるように、神はユダを憐れまれる。イスラエルでは姦淫は石打の刑に処せられる。その姦淫した妻に、「帰れ」と呼びかけられる。
-エレミヤ3:21「裸の山々に声が聞こえる、イスラエルの子らの嘆き訴える声が。彼らはその道を曲げ、主なる神を忘れたからだ。『背信の子らよ、立ち帰れ。私は背いたお前たちをいやす』。『我々はあなたのもとに参ります。あなたこそ我々の主なる神です』」。
・しかし人は最後の裁きを見ない限り、悔い改めることはしない。だから裁きなしに救いはない。
-エレミヤ3:24-25「我々の若い時から、恥ずべきバアルが食い尽くしてきました、先祖たちが労して得たものをその羊、牛、息子、娘らを。我々は恥の中に横たわり、辱めに覆われています。我々は主なる神に罪を犯しました。我々も、先祖も、若いときから今日に至るまで、主なる神の御声に聞き従いませんでした」。
3.エレミヤ年表(前期)「聖書大辞典」教文館による
・エレミヤの召命はヨシヤ王の13年(前626年)である。当時、北イスラエルは既にアッシリアに滅ぼされ、南ユダもアッシリアの支配下にあった。しかし、アッシリアは次第に勢力を失くし、胎頭してきたバビロンと南の大国エジプトとの覇権争いの中に新しい秩序が始まる、世界史の転換期であった。エレミヤはその中にあって、「神の裁きがユダに与えられる」と預言し、実際にユダ王国の滅亡を見る。愛する祖国を救うために立たされ、最終的には祖国滅亡を見た悲哀の預言者だ。
・神は懲らしめのためにアッシリアをユダヤに送り、北王国を崩壊させ、南王国を植民地とさせたのに、まだ罪を認めない。お前たちは私が送った預言者たちを殺して、正しい声を聞こうとはしなかった(前王マナセ時代には多くの預言者たちが虐殺され、イザヤもこの時に鋸で挽かれて殉教したと伝えられる)。
・エレミヤが預言を始めたのは前626年、エレミヤ書1-6章は彼の初期預言、ヨシヤ王(在位前622-609年)時代の預言である。イスラエルはアッシリアの圧政から解放され、人々は自由と繁栄を楽しんでいた。その時代にエレミヤは罪による審き、滅亡を預言し始める。晴天の中での嵐の預言であり、誰も聞こうとはしなかった。エレミヤはヨシヤ王の申命記改革を支持し、王国の将来に希望を持った。しかし、ヨシヤ王はBC609年にエジプトとの戦いに敗れ、ユダヤはエジプトの支配下に置かれる。
・預言者は現在ではなく、将来を見る。まだ戦乱の兆しもない時に、国の滅亡を幻に見る。そこに預言者の悲劇が生れ、人々はエレミヤを「大ぼら吹き、災いの預言者」として嘲笑した。洪水を信じない人々がノアを嘲笑したようにである。現代では地震予知の科学者が大ぼら吹き、災いの預言者として嘲笑される。
エレミヤ年表(初期)
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BC722-北イスラエル、アッシリアにより滅亡(王下17・6)。
BC696-マナセ王即位、55年間王位(王下21・1)。
BC641-アモン即位、2年間王位、やがて宮廷革命で殺される(王下21・23)。
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BC639-ヨシヤ、8歳で即位、31年間王位(王下21・24、22・1)。
BC626-エレミヤ召命、20歳(エレ1・5~10)。
BC625-バビロンのナボポラサル王登場。
BC622-ヨシヤ宗教革命(申命記改革)、エレミヤ支持(エレ11・1~5、列下23・3)。
BC612-アッシリアの首都ニネベ陥落。
BC609-メギドの戦い、ヨシヤ王エジプト王ネコに敗れ戦死(王下23・29~30)。アッシリア滅亡。
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BC609-ヨアハズ王(シャルム)即位するも、2ヶ月で、エジプト王ネコに廃せられ、エジプトに連行される(エレ22・10~11、王下23・33)。