1.イスラエルへの祝福
・28章には、イスラエルに与えられる祝福と呪いが宣告される。イスラエルが主に従い、戒めを守るならば祝福が、背くならば呪いが与えられる。前半は祝福の宣言だ。
-申命記28:1-2「もし、あなたがあなたの神、主の御声によく聞き従い、今日私が命じる戒めをことごとく忠実に守るならば、あなたの神、主は、あなたを地上のあらゆる国民にはるかにまさったものとしてくださる。あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう。」。
・28.3以下に祝福の約束が具体的に展開される。
-申命記28:3-6「あなたは町にいても祝福され、野にいても祝福される。あなたの身から生まれる子も土地の実りも、家畜の産むもの、すなわち牛の子や羊の子も祝福され、籠もこね鉢も祝福される。あなたは入るときも祝福され、出て行くときも祝福される」。
・それは物理的な、現世的な祝福である。あなた方の国土は敵から防衛され、穀物は豊かに実ると約束される。申命記はバビロン捕囚の中で編纂された。だから彼らは苦難からの解放を求める。
-申命記28:7-9「主は、あなたに立ち向かう敵を目の前で撃ち破られる。敵は一つの道から攻めて来るが、あなたの前に敗れて七つの道に逃げ去る。主は、あなたのために、あなたの穀倉に対しても、あなたの手の働きすべてに対しても祝福を定められ、あなたの神、主が与えられる土地であなたを祝福される。もし、あなたがあなたの神、主の戒めを守り、その道に従って歩むならば、主はお誓いになったとおり、あなたを聖なる民とされる」。
・だから約束を守れと民に命じられる。
-申命記28:13-14「私が今日、忠実に守るように命じるあなたの神、主の戒めにあなたが聞き従うならば、主はあなたを頭とし、決して尾とはされない。あなたは常に上に立ち、決して下になることはないであろう。あなたは、今日私が命じるすべての言葉から離れて左右にそれ、他の神々に従い仕えてはならない」。
2.イスラエルへの呪い
・しかし契約を守らなければあなた方は呪われると申命記は語る。15節以下は呪いの宣告である。
-申命記28:15-19「しかし、もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、今日私が命じるすべての戒めと掟を忠実に守らないならば、これらの呪いはことごとくあなたに臨み、実現するであろう。あなたは町にいても呪われ、野にいても呪われる。籠もこね鉢も呪われ、あなたの身から生まれる子も土地の実りも、牛の子も羊の子も呪われる。あなたは入るときも呪われ、出て行くときも呪われる」。
・申命記は数百年にわたって書き継がれ、最終の完成はバビロン捕囚時とされる。神との契約、戒めを守らなかった故に国を滅ぼされた、その後悔の思いが28章に出ている。
-申命記28:36-45「主は、あなたをあなたの立てた王と共に、あなたも先祖も知らない国に行かせられる。あなたはそこで、木や石で造られた他の神々に仕えるようになる。主があなたを追いやられるすべての民の間で、あなたは驚き、物笑いの種、嘲りの的となる。畑に多くの種を携え出ても、いなごに食い尽くされて、わずかの収穫しか得られない。ぶどう畑を作って手を入れても、虫に実を食われてしまい、収穫はなく、ぶどう酒を飲むことはできない。オリーブの木があなたの領地の至るところにあっても、実は落ちてしまい、体に塗る油は採れない。あなたに息子や娘が生まれても、捕らわれて行き、あなたのものではなくなる。あなたのどの木も土地の実りも、害虫に取り上げられる。あなたの中に寄留する者は徐々にあなたをしのぐようになり、あなたは次第に低落する・・・あなたの神、主の御声に聞き従わず、命じられた戒めと掟とを守らなかったからである」。
・47節以降はエルサレムが包囲され、滅ぼされた時の思いが反映していると言われている。
-申命記28:47-49「あなたが、すべてに豊かでありながら、心からの喜びと幸せに溢れてあなたの神、主に仕えないので、あなたは主の差し向けられる敵に仕え、飢えと渇きに悩まされ、裸にされて、すべてに事欠くようになる。敵はあなたに鉄の首枷をはめ、ついに滅びに至らせる。主は遠く地の果てから一つの国民を、その言葉を聞いたこともない国民を、鷲が飛びかかるようにあなたに差し向けられる」。
・50節以降はバビロンによるエルサレムの包囲と占領の歴史が描かれる。
-申命記28:50-53「その民は尊大で、老人を顧みず、幼い子を憐れまず、家畜の産むものや土地の実りを食い尽くし、ついにあなたは死に絶える。あなたのために穀物も新しいぶどう酒もオリーブ油も、牛の子も羊の子も、何一つ残さず、ついにあなたを滅ぼす。彼らはすべての町であなたを攻め囲み、あなたが全土に築いて頼みとしてきた高くて堅固な城壁をついには崩してしまう。彼らは、あなたの神、主があなたに与えられた全土のすべての町を攻め囲む。あなたは敵に包囲され、追いつめられた困窮のゆえに、あなたの神、主が与えられた、あなたの身から生まれた子、息子、娘らの肉をさえ食べるようになる」。
・エルサレム包囲時、飢餓のために、人々が自分たちの赤子さえも食べてしまった悲惨が「哀歌」に報告されている。
-哀歌2:20-22「主よ、目を留めてよく見てください。これほど懲らしめられた者がありましょうか。女がその胎の実を、育てた子を食い物にしているのです。祭司や預言者が主の聖所で殺されているのです。街では老人も子供も地に倒れ伏し、おとめも若者も剣にかかって死にました。あなたは、ついに怒り、殺し、屠って容赦されませんでした・・・主が怒りを発したこの日に、逃げのびた者も生き残った者もなく、私が養い育てた子らはことごとく敵に滅ぼされてしまいました」。
・アブラハムへの祝福に始まった歴史が敵の占領と捕囚の呪いへと落ちて行く。旧約は民の堕落の歴史、呪いの歴史である。その呪いの極限として民は捕囚の地に奴隷として送られ、底の底まで落ちる。
-申命記28:62-68「あなたたちは空の星のように多かったが、あなたの神、主の御声に聞き従わなかったから、わずかな者しか生き残らない・・・あなたたちは、あなたが入って行って得る土地から引き抜かれる。主は地の果てから果てに至るまで、すべての民の間にあなたを散らされる・・・『あなたは二度と見ることはない』とかつて私が言った道を通って、主はあなたを船でエジプトに送り返される。そこでは、あなたたちが自分の身を男女の奴隷として敵に売ろうとしても、買ってくれる者はいない」。
3.バビロン捕囚の現実の中で、未来を希望する
・紀元前598年、バビロニアはエルサレムに侵攻し、エホヤキン王をはじめ3,023人の者がバビロニアに連れて行かれた(エレミヤ52:28)その中には、上級官吏や貴族、専門技術者(特に要塞建築家)、また預言者エゼキエルも含まれていた。ユダ本国においては、ネブカデネザルが、ヨシヤの末息子でエホヤキンの叔父にあたるマッタニヤを王に任命し、これをゼデキヤと改名させた。しかしゼデキヤはエジプトの支援を背景に、バビロニアのネブカデネザル王に抵抗し、朝貢を中止、臣属関係を破棄した。これに対してネブカデネザルは、ゼデキヤの第九年(前590年)にエルサレムを包囲した。救助を約束したエジプトのパロ・ホフラは軍隊をエルサレムに送って一時バビロニア軍の包囲を解かせたが、エジプト軍は助けるだけの力をもっていなかった。
・エルサレムは兵糧攻めにあい、ついにゼデキヤの第11年(前586年)に、城壁に突破口があけられて、バビロニア軍に侵入された。ゼデキヤはエリコでバビロニア軍に捕らえられ、ネブカデネザルはゼデキヤの目の前で彼の息子たちを殺し、ゼデキヤの両眼をえぐって、鎖につないでバビロンに送った。エルサレム征服の一カ月後、ネブカデネザルの命令によって、神殿とエルサレムの町に火がつけられて、エルサレムは壊滅した。神殿の炎上と共に、恐らくその中に納められていた古い十二部族連合の聖物であった「契約の箱」も焼失した。
・ネブカデネザルは、ユダの国家としての独立を最終的に奪い、これを属州としてバビロニア帝国に編入した。エルサレム陥落は、イスラエルの人々にとっては決定的な出来事であった。四百年続いたダビデの王国が終焉しただけでなく、不滅だと信じられていた神の都が破壊され、神の住まいと信じられていた神殿も破壊された。預言者たちは、神に対する不服従のゆえに神の罰が下されると威嚇してきたが、この預言は成就した。この出来事を目の当りに見た申命記的歴史家は、こういう結果に至らせたのはイスラエルの人々が絶えず神に逆らってきたからであるという視点からイスラエルの歴史を叙述した(ヨシュア記から列王記までのいわゆる「申命記的歴史書」)。
・申命記的歴史は、最後に捕囚となっていたエホヤキンが牢獄から釈放され、バビロニア王の厚遇を受けるという記事で終わっており、将来に希望を残している。国は滅びた。王宮は焼け、神殿も消失した。その中で人々はバビロンに捕囚となった人々に、回復の望みを託した。列王記はバビロンで書かれている。
-列王記下25:27「ユダの王ヨヤキンが捕囚となって三十七年目の第十二の月の二十七日に、バビロンの王エビル・メロダクは、その即位の年にユダの王ヨヤキンに情けをかけ、彼を出獄させた」。