1.試練の中で、主の命に従う
・カデシ・バルネアで約束の地に入ることをためらった民は、不信の報いとして荒野に追い返される。民は38年間、荒野を放浪し、償いの期間が過ぎて、再び、約束の地に向かうことを許される。
-申命記2:1-3「我々は向きを変え、主が私に告げられたように、葦の海の道を通って荒れ野に向かって行き、長い間セイルの山地を巡った。主は私に言われた。『あなたたちは既に久しくこの山地を巡った。北に向かって行きなさい』」。
・主は放浪の間も民を守られた。試練の時も共にいてくださった。
-申命記2:7「あなたの神、主は、あなたの手の業をすべて祝福し、この広大な荒れ野の旅路を守り、この四十年の間、あなたの神、主はあなたと共におられたので、あなたは何一つ不足しなかった」。
・民は旧世代の者が死に絶え、新世代が育つまで、約束の地に向かうことは出来なかった。
-申命記2:13-15「我々はゼレド川を渡ったが、カデシュ・バルネアを出発してからゼレド川を渡るまで、三十八年かかった。その間に、主が彼らに誓われたとおり、前の世代の戦闘員は陣営に一人もいなくなった。主の御手が彼らに向けられ、陣営に混乱が引き起こされ、彼らは死に絶えたのである」。
・犯した罪は赦されるが、償いは果たさなければならない。これは大事なことであり、忘れてはいけない。
-サムエル記下12:13-14「ダビデはナタンに言った。『私は主に罪を犯した』。ナタンはダビデに言った。『その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ』」。
2.滅ぼし尽くせという主の命令をどう聞くか
・ヘシュボンとバシャンの民は滅ぼし尽くせと命じられ、民はそれに従う。いわゆる聖絶である。
-申命記2:33-35「我々の神、主が彼を我々に渡されたので、我々はシホンとその子らを含む全軍を撃ち破った。我々は町を一つ残らず占領し、町全体、男も女も子供も滅ぼし尽くして一人も残さず、家畜だけを略奪した」。
・軍事的に見れば、それは当然の行為であり、古代においては、それが常識であった。
-民数記33:51-55「ヨルダン川を渡って、カナンの土地に入るときは、あなたたちの前から、その土地の住民をすべて追い払い、すべての石像と鋳像を粉砕し、異教の祭壇をことごとく破壊しなさい。・・・もし、その土地の住民をあなたたちの前から追い払わないならば、残しておいた者たちは、あなたたちの目に突き刺さるとげ、脇腹に刺さる茨となって、あなたたちが住む土地であなたたちを悩ますであろう」。
・神は憐れみの神であり、全人類の神であるのに、その神が何故、異民族を滅ぼし尽くせと言われるのか。それは宗教的純化、異教礼拝根絶のための必要悪としてある。ただ聖絶が命じられたのはカナン入植のこの時のみだ。
-申命記7:2-5「あなたが彼らを撃つ時は、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。彼らと縁組みをし、あなたの娘をその息子に嫁がせたり、娘をあなたの息子の嫁に迎えたりしてはならない。あなたの息子を引き離して私に背かせ、彼らはついに他の神々に仕えるようになり、主の怒りがあなたたちに対して燃え、主はあなたを速やかに滅ぼされるからである。あなたのなすべきことは、彼らの祭壇を倒し、石柱を砕き、アシェラの像を粉々にし、偶像を火で焼き払うことである」。
・聖絶の対象は異民族のみでなく、自国民にも向けられた。
-申命記13:14-16「あなたの中からならず者が現れて、お前たちの知らなかった他の神々に従い、これに仕えようではないかと言って、その町の住民を迷わせているということを聞いたならば・・・それが確かな事実であり、そのようないとうべきことがあなたたちの中で行われたのであれば、その町の住民を剣にかけて殺し、町もそこにあるすべてのものも滅ぼし尽くし、家畜も剣にかけねばならない」。
・悪人を滅ぼすのが神の御心ではない。聖絶とは特殊な歴史状況の中で行われたものであり、一般化してはいけないことを銘記すべきである。
-エゼキエル33:11「私は悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか」。
3.聖絶は正しいのか
・ヨシュア記を始め、旧約聖書には、繰り返し聖絶の記事が出てくる。旧約における戦争はイスラエルを守るための防衛戦争であった。聖絶は必要悪として許容された。それは今回のイスラエル-ガザとの戦争を正当化するのだろうか。イスラエルは今回の戦争を国の存続をかけた「防衛戦争」と認識している。ウクライナ戦争も防衛戦争として許容できるのだろうか。
-ヨシュア記10:40-42「ヨシュアは、山地、ネゲブ、シェフェラ、傾斜地を含む全域を征服し、その王たちを一人も残さず、息ある者をことごとく滅ぼし尽くした。イスラエルの神、主の命じられた通りであった・・・ヨシュアがただ一回の出撃でこれらの地域を占領し、すべての王を捕らえることができたのは、イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたからである」。
・そこにおいては、「滅ぼし尽せ」(聖絶)との神の命令が出てくる。考古学的検証では、聖絶は宗教的理念であり、実際にはなかったとされる。聖絶は歴史的出来事ではないことに留意する必要がある。
-サムエル記上15:2-3「万軍の主はこう言われる。イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を、私は罰することにした。行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、駱駝も驢馬も打ち殺せ。容赦してはならない。」
・イエスは旧約の伝統を否定し、「敵を愛せ」という絶対平和主義を唱えられた。
-マタイ5:43-44「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、私は言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」。
・初代教会はイエスの絶対的平和主義に従い、ユダヤ戦争においてはエルサレムから逃れ、シリアでの伝道活動を始めた。西南学院・須藤伊知郎氏は、マタイ教会の成立について分析する。
-須藤伊知郎「新約聖書解釈の手引き」から「ユダヤ戦争を生き延びたマタイ教会の中心メンバーは、その破局を透徹した信仰の目で、偏狭な自民族中心主義(ユダヤ人国粋主義者)と、軍事力で覇を唱えようとする帝国主義(ローマ帝国)の破綻を捕らえている。『平和を実現する人々は、幸いである』、『剣を取る者は皆、剣で滅びる』等のイエスの言葉を伝えたのは、帝国の支配に痛めつけられた戦争難民たちであった。マタイ共同体の人々は、戦争はもう二度としないと誓い、敵を愛し迫害する者のために祈ること、これこそが平和を実践し、創っていく唯一の現実的な道であると信じ、行動していたのである」。
・しかし、キリスト教がローマ帝国により国教(支配者)となった時、教会は戦争には「正しい戦争もある」との聖戦論を唱え始めた。
-石川明人・「キリスト教と戦争」から「アウグスティヌスもトマス・アクィナスも正戦を肯定していた。ルターもカルヴァンも、条件付きで武力行使は認めていた。「アウグスブルク信仰告白」や「ウェストミンスター信仰告白」は、正しい戦争、合法的な戦争はある、という前提で書かれている。イエスの教えを文字通りに読めば、確かに非暴力主義・平和主義であると認めざるを得ないのに、現実社会では戦争を認めざるを得ない部分がある」。
・日本でも憲法9条は自衛権を容認するとされる。しかし私たちは自衛戦争を含めて、全ての戦争は悪であるとのイエスの立場に戻りたい。国境なき医師団に参加され、多くの紛争地で救護活動をして来た、看護師の白川優子さんの言葉は印象的だ。
-2022年6月21日朝日新聞論座から「私が見てきた戦争とは、権力者による陣取り合戦、政治戦略、そんなものではない。血と涙と叫び声にまみれながら、未来を奪われていく一般市民の姿、それが、私が見てきた戦争だ。戦争がなぜ悪いのか。それは人間の未来を破壊するからだ・・・戦争を経験した歴史を持つ私たち日本人は、このことを想像するのは難しくはないはずである。2022年、いまでも同じ地球上で戦争が勃発し、人々の未来が奪われ続けている」。
・カール・バルトは戦争の愚かさ、反聖書性を明らかにしたが、彼もまた国家から自由になることは出来なかった。「戦争はいけない、しかし自分の祖国が敵に侵略された時は、この限りではない」と彼は述べる。
-「ある民族と国家が他の国家により、非常緊急事態に追い込まれ、その存立や独立が脅かされるという究極的なことが起こった時、戦争は肯定されることもある。例えば、スイスの独立・中立・領土不可侵等が犯された場合はそれに該当するであろう」。
・イエスは私たちに「平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)と励まされたが、これは人の力では実現不可能な教えではないか。終末が来るまでは戦争はなくならない。