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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年2月2日祈祷会(詩編136編、「恵み深い主に感謝せよ」)   

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1、創造の主をほめ讃えよ

 

・詩編136編は135編を引き継ぎ、万物を創造し、歴史を支配される神に感謝を表す詩だ。詩編は135編より、さらに力強く表現されている。その特徴は、「慈しみはとこしえに」が繰り返され、それが中心主題になっている。バビロン捕囚期以後に作詞され、過ぎ越しの祭で歌われたと考えられている。詩篇は三連の感謝の詩で始まる。

-詩編136:1-3「恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえに。神の中の神に感謝せよ。慈しみはとこしえに。主の中の主に感謝せよ、慈しみはとこしえに。」

・ここにある「慈愛」はヘブル語「ヘセド」である。ヘセドは旧約聖書全体で245回用いられ、そのうち詩篇が127回である。詩篇では常に人に対する慈愛が語られ、他者への共感・共鳴・同情を前提にする(月本昭男・詩篇注解Ⅰ)。また「神の中の神」は「エロヘー・ハ・エロヒーム」であらゆる神に勝る「まことの神」を表現する(月本昭男・詩篇注解Ⅴ)。「主の中の主」ハアドネ-・ハ・アドニーム」、まことの主を示す。ヘブル語では神は「エロヒーム」、主は「アドナイ」である。

・136編は礼拝用に編集さている。礼拝リーダーが前半を歌い、会衆が『主の慈しみはとこしえに』と後半を唱和する。4節~9節は創世記1章と同じく、天地を造られた神のみ業を讃える。

-詩編136:4-9「ただ一人、驚くべきみ業を行う方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。英知をもって天を作った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。大地を水の上に広げた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。大きな光を造った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。昼をつかさどる太陽を造った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。夜をつかさどる月と星を造った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」

・10-15節は歴史を導く神への賛美である。人間的には不可能であった出エジプトの出来事が、神により実現したことを賛美する。神は、人の歴史の中に臨在し、関わられ、出エジプトの奇跡を起こされた。

-詩編136:10-15「エジプトの初子を討った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。イスラエルをそこから導き出した方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。力強い手と腕を伸ばして導き出した方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。葦の海を二つに分けた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。イスラエルにその中を通らせた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。ファラオとその軍勢を、葦の海に投げ込んだ方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」

 

2、荒野から導き出された神に感謝せよ

 

・16節以降は荒野を導かれた神を想起する。申命記の影響下にある。

-申命記8:2-5「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。」。

・イスラエルの民は神の加護により荒野を導かれた。

-詩編136:16「イスラエルの民に荒野を行かせた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」

・17-22節はカナンへの進入と定着を導かれた神を、思い起こした感謝だ。イスラエルの歴史において実際に民の先頭に立ち、働かれた神の恵みと慈しみがいかに大きかったかを歌う。

-詩編136:17-22「強大な王たちを撃った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。力ある王たちを滅ぼした方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。アモリ人の王シホンを滅ぼした方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。バシャンの王オグを滅ぼした方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。彼らの土地を嗣業として与えた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。僕イスラエルの嗣業とした方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」

・23-25節はバビロン捕囚から解放された感謝を歌う。23節「私たちが低くされた時」は、戦いに敗退し、外国の補囚とされたことを思い起こし、その屈辱の日々も神は見捨てなかったと告白している。

-詩編136:23-25「低くされた私たちを、御心にとどめた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。敵から私たちを奪い返した方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。すべて肉なるものに糧を与える方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」

・26節は、過去に経験した神のみ業を心に刻みつけておかねばならないと歌う。苦境の時こそ、神の恩寵が滲み出る。

-詩編136:26「天にいます神に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」

 

3.詩篇136編の黙想

 

・詩編136編は、世界を創造した神が、イスラエルを導く慈しみの神であったことを感謝する。真理は経験して知るほかに無い。苦難も、時には死の陰の谷に追い込まれるようなことでも、経験して初めてわかる。そこを通り、経験しなければならないとしたら、それは神よりの試練なのであろう。

-詩編119:75「主よ、あなたの裁きの正しいことを、私は知っています。私を苦しめられたのは、あなたのまことのゆえです。」

・パウロは、苦難は神による試練だと言い切っている。

-第二コリント4:7-9「私たちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかになるために。私たちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」。

・神は人を苦難から解放するだけではなく、苦難のうちに起こる出来ごとに打倒されない力を神から与えられていると信仰者は信じる。神を信じる者には、このような逆説を信頼できる。

-ヘブル12:11-12「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい」。

・詩篇注解者月本昭男は本詩注解の最後に述べる。

-月本昭男「21世紀に生きる私たちは、本詩のように、歴史と自然に神の業を見て取り、それを素直に讃えられるだろうか。歴史に神の意思とその導きを洞察するには、人類はあまりにも多くの過ちを重ねてきた。被造物すべてを支える神を讃えようとすれば、私たちは自然の呻きに耳を塞ぎ、絶滅が危惧される生き物の存在に目をつむらなければならないだろう。それでもなお創造と歴史の神を讃美しうるとすれば、私たちはどこに眼差しを向けねばならないのか」。

・パウロは語る「被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものです」(8:20)。被造物、神の創造されたこの世界が、人間の罪によって、虚無の中でうめいているとパウロは語る。人間の欲望が森林を乱開発し、地球規模で砂漠化を進行させ、大地から掘り出された鉱物や石油が大地を汚染し、世界各地で公害や大気汚染が起きている。炭素エネルギーの過剰使用は地球を温暖化させ、異常気象を招いている。コロナウィルスはもともとコウモリに宿るウィルスだが、森林が減り、動物と人間の距離が近接したために、人間に感染したという。人間の果てしない欲望、罪が自然を破壊し、その結果、人間を苦しめている。このような時代に私たちは何をすべきなのだろう。

-エレミヤ12:4「いつまで、この地は乾き、野の青草もすべて枯れたままなのか。そこに住む者らの悪が、鳥や獣を絶やしてしまった」。

・神学者の由木康はローマ書注解の中で述べる。「キリストの十字架死は、私たちのための免疫注射である。罪という病毒に侵された世界に、罪のワクチンであるキリストが入り込んで、その毒を取り去ってしまわれた」(由木康「神の前に立つ人間」p119)。ワクチン接種がウィルスに対して私たちを守るように、キリストの十字架の死を私たちが救いとして受け入れた時、私たちは悪に対して免疫を持つ存在に変えられる。

・「コロナウィルスからの手紙」は意味深い。ヴィヴィアン・リーチは語る。

「私はあなたを罰するために生まれたのではありません。私はあなたの目を覚ますために生まれたのです。地球は助けを求めて叫びました。大洪水、燃え盛る火事、猛烈なハリケーン、恐ろしい竜巻、でもあなたは耳を傾けなかった。あなたはただ自分の生活を続けていた。どれだけの憎しみがそこにあろうと、毎日何人が殺されようと、地球があなたに話そうとしていることを気にかけることより、最新のiPhoneを手に入れることの方が大切だった。でも今、私はここにいます。そして、私はあなたに熱を与え、呼吸障害を与え、弱さを与えました。そして今、あなたには自分の人生で大切なものは何かを考える時間が出来ました」(ヴィヴィアン・リーチ「コロナウィルスからの手紙」より)。

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