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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年1月26日祈祷会(詩篇135編、主のみ名は永遠に)

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1.自然と歴史を通して導かれる神

 

・詩篇135編は第二神殿時代の典礼歌であろう。祭司が礼拝に集まった民衆に、「主を賛美せよ」と呼びかける。詩編の冒頭と最後はハレルヤが歌われる。ハレルヤとは「ヤハウェー(主)を賛美(ハレルー)せよ=ハレル・ヤハ」の意味という(月本昭男・詩篇の信仰と思想)

-詩篇135:1-3「ハレルヤ。賛美せよ、主の御名を、賛美せよ、主の僕らよ。主の家に、私たちの神の家の庭に居並ぶ人々よ。主を賛美せよ、恵み深い主を。喜ばしい御名をほめ歌え」。

・それに呼応して人々が歌い始める「主はヤコブを御自分の民に選び、イスラエルを御自分の宝とされた」。

-詩篇135:4-5「主はヤコブを御自分のために選び、イスラエルを御自分の宝とされた。私は確かに知った、主は大いなる方。私たちの主は、どの神にもまさって大いなる方」。

・主は天地を創造され、保持される。当時の人々は自然の中に神の息吹を感じた。

-詩篇135:6-7「天において、地において、海とすべての深淵において、主は何事をも御旨のままに行われる。地の果てに雨雲を湧き上がらせ、稲妻を放って雨を降らせ、風を倉から送り出される」。

・主は私たちをエジプトから導き出し、カナンの地を嗣業の地として与えられたと詩人は賛美を続ける。

-詩篇135:8-12「主はエジプトの初子をことごとく人の子も家畜の子も撃ち、エジプト中にしるしと奇跡を送られた。ファラオとその家臣すべてに対して。主は多くの国を撃ち、強大な王らを倒された。アモリ人の王シホン、バシャンの王オグを、カナンの王国をことごとく。彼らの領地を嗣業として、御自分の民イスラエルに与えられた」。

・主のみ名は永遠にと讃美される。14節は申命記32:36からの引用だ。

-詩篇135:13-14「主よ、御名はとこしえに。主よ、御名の記念は代々に。主は御自分の民の裁きを行い、僕らを力づけられる」。

・異邦の神々は偶像の神だ。彼らは話すことも見ることも聞くこともできない。しかし私たちの主は違う。この箇所は詩篇イザヤ44章からの引用である。この詩篇の年代は捕囚帰還後の第二神殿時代と推測される。

-詩篇135:15-18「国々の偶像は金や銀にすぎず、人間の手が造ったもの。口があっても話せず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず、鼻と口には息が通わない。偶像を造り、それに依り頼む者は皆、偶像と同じようになる」。

・最後に賛美せよとの大合唱で詩篇135編は締め括られる。短い中で四度も「主を讃えよ」と繰り返される。

-詩篇135:19-21「イスラエルの家よ、主を讃えよ。アロンの家よ、主を讃えよ。レビの家よ、主を讃えよ。主を畏れる人よ、主を讃えよ。シオンから、主を讃えよ、エルサレムにいます主を。ハレルヤ」。

 

2.捕囚後も神への信仰を維持できたのは何故だろうか

 

・詩篇135編は天地を創造し、エジプトから救い、カナンの地を嗣業として与えられた神を賛美する。しかし第二神殿時代、ユダヤは異邦人の支配下にある。彼らは主を恨むのが当然の環境にあるのに、主を賛美する。他方現代人はアウシュビッツや広島を通じて「神などいない」と思い始めている。何が両者を分けたのか、イスラエルの民は預言者を通して、苦難を主からの試練と受け取ることが出来た。

-哀歌3:37-38「誰が『あれ』といってあらしめえようか。主が命じられることではないか。災いも、幸いも、いと高き神の命令によるものではないか」。

・詩篇135編の詩人は自然の中に神の息吹を感じている。しかし、現代人は風や雨や稲妻の起こるメカニズムを知っている。自然は神の表象ではなくなった。その結果、自然への畏敬の念が薄れ、そのことが今回の東北大震災の被害を拡大した。日本列島は常に地震と噴火と津波と台風のリスクにさらされている。天災は列島住民にとって不可避である。しかし、東北大震災では原子力発電所の被災とそれに伴う放射能汚染を回避できなかった。被害を大きくしたのは人災だ。人間は自ら制御できないものを制御できると過信した。

-ティリッヒ・地の基震える「人間は地の基を震い動かす力を創造的な目的のために、進歩のために、平和と幸福のために用いることができると考えてきた。人間は何故神の創造の業を継承できないのか、何故神になってはいけないのかと問いかけてきた・・・そして人間はその力をワルシャワ、広島、ベルリンで用いてきた。その結果、何が起きたのか」。

・現代人は単純に神を信じることができなくなった。詩篇135編はその私たちに向かって「主を信ぜよ」、「主を讃えよ」と呼びかける。讃えることができない状況下で詩人は神に出会っている。エレミヤはエルサレム滅亡の只中で土地を買うように命じられ、従った。従う時に神の偉大な業に出会う。

-エレミヤ32:21-25「あなたは・・・あなたの民イスラエルをエジプトの国から導き出され・・・この土地を彼らに賜りました・・・ところが、彼らは・・・あなたの声に聞き従わず・・・あなたは彼らにこの災いをくだされました・・・間もなくこの都は剣、飢饉、疫病のゆえに、攻め囲んでいるカルデア人の手に落ちようとしています・・・それにもかかわらず、主なる神よ、あなたは私に銀で畑を買い、証人を立てよと言われました。この都がカルデア人の手に落ちようとしているこのときに、です」。

 

3.詩篇135編の黙想(第二イザヤとの関連の深さについて)

 

・月本昭男は詩篇注解の中で、「本詩と第二イザヤ書とは密接に関係している」と語る。第一に「第二イザヤと呼ばれる捕囚末期の匿名の預言者は、歴史における救済の出来事(捕囚からの解放)と、神ヤハウェの創造の業を重ね合わせて語った。その思想を詩篇135編は色濃く受けている」と。

-イザヤ42:5-7「主である神はこう言われる。神は天を創造して、これを広げ、地とそこに生ずるものを繰り広げ、その上に住む人々に息を与え、そこを歩く者に霊を与えられる。主である私は、恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った。民の契約、諸国の光として、あなたを形づくり、あなたを立てた。見ることのできない目を開き、捕らわれ人をその枷から、闇に住む人をその牢獄から救い出すために」。

・第二に神ヤハウェの唯一性を鮮明に掲げ、「他に神はいない」と繰り返したのもこの預言者であった。

-イザヤ44:6-8「イスラエルの王である主、イスラエルを贖う万軍の主は、こう言われる。私は初めであり、終わりである。私をおいて神はない。だれか、私に並ぶ者がいるなら、声をあげ、発言し、私と競ってみよ・・・恐れるな、おびえるな。既に私はあなたに聞かせ、告げてきたではないか。あなたたちは私の証人ではないか。私をおいて神があろうか、岩があろうか。私はそれを知らない」。

・第二イザヤは職人の手の業に過ぎない偶像とその偶像に頼る者たちへの批判を繰り返す。詩篇135編もそれにならう(135:15-18)

-イザヤ44:15-17「木は薪になるもの。人はその一部を取って体を温め、一部を燃やしてパンを焼き、その木で神を造ってそれにひれ伏し、木像に仕立ててそれを拝むのか。また、木材の半分を燃やして火にし、肉を食べようとしてその半分の上であぶり、食べ飽きて身が温まると『ああ、温かい、炎が見える』などと言う。残りの木で神を、自分のための偶像を造り、ひれ伏して拝み、祈って言う。『お救いください、あなたはわたしの神』と」。

・月本は最後に語る「捕囚末期に第二イザヤが告げた唯一の神、創造と歴史の総合、徹底した偶像排除などの神概念が詩篇135編に見られることは、イザヤの思想が、第二神殿時代のエルサレムの祭司、レビ人の間に継承されたことを示している」。

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