1.アグルの言葉~自己の限界を知る知者アグル
・箴言1-29章はソロモンの箴言とされ、多くの格言が編集されていた。最後の30-31章は賢者アグル、賢者レクエルの言葉として、古代の伝説的な知者の言葉が収録されている。最初にアグルは、「人間の智恵では神を理解できない」ことを素直に告白する。
-箴言30:1-4「ヤケの子アグルの言葉。託宣。この人は言う、神よ、私は疲れた。神よ、私は疲れ果てた。まことに、私はだれよりも粗野で、人間としての分別もない。知恵を教えられたこともなく、聖なる方を知ることもできない。天に昇り、また降った者は誰か。その手の内に風を集め、その衣に水を包むものは誰か。地の果てを定めたものは誰か。その名は何というのか。その子の名は何というのか。あなたは知っているのか」。
・人は神を知ることは出来ない。人は天地を見極める事はできない。「神は天にあり、人は地にある」、自分の無知であることを知ることこそ智恵の初めだとヨブ記も語る。
-ヨブ38:1-4「主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは。男らしく、腰に帯をせよ。私はお前に尋ねる、私に答えてみよ。私が大地を据えたとき、お前はどこにいたのか。知っていたというなら、理解していることを言ってみよ」。
・人は自分が無知であることを認めた時、謙遜になる。核廃棄物は半減期間が数万年に及ぶものもあり、現代の科学では処理できない。政府は高レベル放射性廃棄物の地下廃棄を推進しているが、その安全性は保てないと日本学術会議は警告する。それなのに原発を稼働させる事により、核廃棄物を産出し続ける。処理が出来ない廃棄物を出す原発を稼働させるべきではない。
-箴言30:5-6「神の言われることはすべて清い。身を寄せればそれは盾となる。御言葉に付け加えようとするな。責められて、偽る者と断罪されることのないように」。
・2023.12.3にドバイで開かれた国連気候変動枠組み条約COP28にて、アメリカ政府は気温の上昇を1.5度に抑えるためとして、2050年までに世界の原子力発電所の発電容量を3倍に増やすことを目指すとする宣言を発表し、日本を含む20か国以上が賛同した。これに対して環境NGOが声明を発表し「原発は不安定で危険な上に、経済合理性にも欠ける電源で、世界のリーダーたちは、近年の原子力産業の失敗に学んでいない。気候危機に立ち向かうには一刻も早い化石燃料の廃止が必要だ」と批判する。福島原発の廃炉作業さえ10年たっても見通しが立たないのに、さらに原発を増設するのは何故だろう。お金と安全のバランスが狂っている。原子力発電は「人の分野」ではなく、「神の分野だ」との智恵が必要だ。
- アグルの祈り~必要なものを与え給え
・箴言30:7以下のアグルの祈りは有名だ。人は飽き足りれば「神などいらない」とうそぶき、不足すれば「盗みを働きかねない」存在だ。人の本質を見つめた祈りだ。ある牧師は自戒の意味を込めて、書斎の壁にこの祈りを掲げているという。
-箴言30:7-9「二つのことをあなたに願います。私が死ぬまで、それを拒まないでください。虚しいもの、偽りの言葉を、私から遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせず、私のために定められたパンで、私を養ってください。飽き足りれば、裏切り、主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き、私の神の御名を汚しかねません」。
・トルストイは、「人にはどれだけの土地が必要か」という寓話を書いた。結論は、人は自分を葬るだけの土地があれば良いというものであった。アブラハムは約束の地に招かれたが、そこに領地を与えられたわけではなく、生前は寄留者、旅人に過ぎなかった。土地が与えられなかったにも拘わらず、彼ははるかにそれを望み見て喜んだ。イスラエルが約束の地を領有するのは、それから500年後のモーセの時である。
-ヘブル11:13「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです」。
・「必要かつ十分なものをお与え下さい」という祈りは、主の祈りにも共通する。今日の糧で十分なのだ。明日の糧、必要以上のものはいらないのだ。
-マタイ6:11-13「私たちに必要な糧を今日与えてください。私たちの負い目を赦してください、私たちも自分に負い目のある人を赦しましたように。私たちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください」。
・テモテも同じことを語る。私たちは、何も持たずに世に生まれ、世を去る時は何も持って行くことができない存在だ。私たちは寄留者なのだ。
-第一テモテ6:6-8「信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。なぜならば、私たちは、何も持たずに世に生まれ、世を去る時は何も持って行くことができないからです。食べる物と着る物があれば、私たちはそれで満足すべきです」。
3.アグルの格言~数え歌
・10節以下は断片的な格言が数え歌の形で残されている。最初に悪人の4つの型が歌われる。
-箴言30:11-14「父を呪い、母を祝福しない世代、自分を清いものと見なし、自分の汚物を洗い落とさぬ世代、目つきは高慢で、まなざしの驕った世代、歯は剣、牙は刃物の世代。それは貧しい人を食らい尽くして土地を奪い、乏しい人を食らい尽くして命を奪う」。
・飽くことを知らない人々、何事にも満足しない人々がいる。世には要求ばかりする人々がいる。
-箴言30:15-17「蛭の娘は二人。その名は『与えよ』と『与えよ』。飽くことを知らぬものは三つ。十分だと言わぬものは四つ。陰府、不妊の胎、水に飽いたことのない土地、決して十分だと言わない火。父を嘲笑い、母への従順を侮る者の目は、谷の烏がえぐり出し、鷲の雛がついばむ」。
・人間は富を無制限に求めるが、富には両面性がある「富は罪ではなく責任である。もし富が人を高慢にするしか役立たず、己一人を豊かにするだけのものであれば、その富はその人にとって滅びになる・・・しかし、人がその富を、他人を助け、他人を慰めるために用いるのであれば、彼の財産が減るに従い、彼の心は豊かになる」(ウィリアム・バークレー)。富の限界について私たちは知るべきだ。
-第二テモテ6:17-19「この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、私たちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと」
・18節からは神秘的なものが4つ語られる。男女が惹かれ合うのもまた神秘である。
-箴言30:18-19「私にとって、驚くべきことが三つ、知りえぬことが四つ。天にある鷲の道、岩の上の蛇の道、大海の中の船の道、男がおとめに向かう道」。
・21節からは「この世にあってほしくないもの」が4つ挙げられる。
-箴言30:21-23「三つのことに大地は震え、四つのことに耐ええない。奴隷が王となること、神を知らぬ者がパンに飽き足りること、憎むべき女が夫を持つこと、はしためが女主人を継ぐこと」。
・24節からは小さくとも賢い動物が4つ挙げられる。
-箴言30:24-28「この地上に小さなものが四つある。それは知恵者中の知恵者だ。蟻の一族は力はないが、夏の間にパンを備える。岩狸の一族は強大ではないが、その住みかを岩壁に構えている。いなごには王はないが、隊を組んで一斉に出動する。やもりは手で捕まえられるが、王の宮殿に住んでいる」。
・29節からは堂々たる動物が4つ挙げられる。
-箴言30:29-31「足取りの堂々としているものが三つ、堂々と歩くものが四つある。獣の中の雄、決して退かない獅子、腰に帯した男、そして雄山羊、だれにも手向かいさせない王」。
・33節は名言だ。怒りから争いが生まれる。
-箴言30:32-33「増長して恥知らずになり、悪だくみをしているなら、手で口を覆え。乳脂を絞るとバターが出てくる。鼻を絞ると血が出てくる。怒りを絞ると争いが出てくる」。
・「怒りを絞ると争いが出てくる」、ヤコブが教えることもそうだ。現代人も学ぶ必要がある。
-ヤコブ4:1-3「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです」。
・自分の限界をわきまえ、できることを為し、できないことは待つ。その知恵が必要だ。
-ラインホルド・ニーバーの祈り「神よ、変えることのできない事柄については、それを受け入れる冷静さを、変えるべき事柄については、それを変えるだけの勇気を。そしてその両者を見分ける知恵を与えたまえ」(高橋義文訳)