1.品位は金銀に優る
・箴言22章前半は箴言第二集の終わりであり、二行格言が集められている。最初に語られるのは、「品位は金銀に優る」との教えである。
-箴言22:1「名誉は多くの富よりも望ましく、品位は金銀にまさる」。
・続いて、「謙遜な者には富と誉れと命が伴う」と箴言記者は述べる。
-箴言22:4-5「主を畏れて身を低くすれば、富も名誉も命も従って来る。曲がった道には茨と罠。そこから遠ざかる人は自分の魂を守る」。
・しかし、世の中では「金持ちが貧乏人を支配し、債務者は奴隷になる」という現実がある。箴言はそれを糾弾する。
-箴言22:7-8「金持ちが貧乏な者を支配する。借りる者は貸す者の奴隷となる。悪を蒔く者は災いを刈り入れる。鞭は傲慢を断つ」。
・その上で箴言は、「金持ちと貧乏人が出会う、主はどちらも造られた」と述べる。競争の結果、勝者と敗者が生まれるのはやむを得ないが、主は両者に「出会えよ」と命じられる。
-箴言22:2「金持ちと貧乏な人が出会う。主はそのどちらも造られた」。
・神は貧者に対し特別の配慮を求められる。何故ならば、イスラエルもかつてはエジプトで奴隷であったのに、主がそれを救われたからだ。この言葉の激しさを私たちも覚える必要がある。
-出エジプト22:20-22「寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。もし、あなたが彼を苦しめ、彼が私に向かって叫ぶ場合は、私は必ずその叫びを聞く」。
・現代においては、神の意志を代行するシステムが社会保障制度だ。現代日本には320万人の貧困児童がいる。その解決を国に委ねるばかりではなく、教会も聖書の具体化として関心を持つ必要がある。貧困の解消のために何をするかは、神学の課題である。
-国立社会保障人口問題研究所・阿部彩氏「2012年の子どもの貧困率は16/3%、子どもの貧困を改善するには、ワーキングプアの問題など、親の労働環境の改善が重要だが、問題が大きすぎて時間がかかる。次善の策として、母子家庭や乳幼児のいる世帯への現金給付が有効だ。母子家庭の貧困率は5割を超えている。子どもの貧困対策のメリットを2010年に試算した。A君が20歳から65歳まで正社員として就労した場合、支払う税金・社会保険料は4500万~5100万円。逆に同期間、生活保護を受けると総額5000万~6000万円となる。つまり、1人の子どもを貧困から救えば1億円の便益になる。少子化対策で子の数を増やすより、貧困対策で幸せな子の数を増やす方が、国益になる」。
2.若者の歩むべき道の初めに教育を
・「三つ子の魂、百まで」と言われるように、人間の人格形成において幼児期は重要な時期だ。箴言も「若いうちに教育を」と教える。
-箴言22:6「若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう」。
・若者は「無知であるゆえに、諭しの鞭が必要だ」とも語られる。
-箴言22:15「若者の心には無知がつきもの。これを遠ざけるのは諭しの鞭」。
・申命記は若いうちから子どもたちに聖書を教えよと命じる。
-申命記6:4-7「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日私が命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい」。
・私たちはこれを怠ってきた。その結果、信仰の継承がうまく行っていない。小羊科を含めた教会学校の活性化が、教会の課題だ。子どもたちに箴言を教えるのも一つかもしれない。
-箴言22:8-10「悪を蒔く者は災いを刈り入れる。鞭は傲慢を断つ。寛大な人は祝福を受ける、自分のパンをさいて弱い人に与えるから。不遜な者を追い出せば、いさかいも去る。争いも嘲笑もやむ」。
3.賢人の言葉
・箴言は22章17節から第三集「賢人の言葉」が始まる。これは官吏や祭司の子弟等を教育する宮廷学校で教えたものが基本になっていると言う。
-箴言22:17-21「耳を傾けて賢人たちの言葉を聞け。私の知識に心を向けよ。それをあなたの腹に納め、一つ残らず唇に備えておけば喜びを得る。あなたが主に信頼する者となるように、今日、あなたに教えを与えよう。私の意見と知識に従って三十句、あなたのために書きつけようではないか。真理とまことの言葉をあなたに知らせるために、まことの言葉をあなたの使者に持ち帰らせよう」。
・最初に語られるのは貧者への配慮である。治世者は社会の公平のために配慮することが基本である。また悪しき者と交わるなとも戒められる。
-箴言22:22-25「弱い人を搾取するな、弱いのをよいことにして。貧しい人を城門で踏みにじってはならない。主は彼らに代わって争い、彼らの命を奪う者の命を、奪われるであろう。怒りやすい者の友になるな。激しやすい者と交わるな。彼らの道に親しんで、あなたの魂を罠に落としてはならない」。
・彼らは保証人となって経済的危機に陥るなと戒められ、土地の争いを隣人と行うなと命じられる。
-箴言22:26-28「手を打って誓うな、負債の保証をするな。償うための物があなたになければ、敷いている寝床まで取り上げられるであろう。昔からの地境を移してはならない、先祖の定めたものなのだから」。
・古代イスラエルでは、土地は嗣業の地であり、売買は基本的に禁じられ、仮に困窮して土地を売る場合でも常に買戻しが可能であった。土地こそ家族の生活を支える基盤であったからだ。
-申命記19:14「あなたの神、主があなたに与えて得させられる土地で、すなわちあなたが受け継ぐ嗣業の土地で、最初の人々が定めたあなたの隣人との地境を動かしてはならない」。
・預言者も繰り返し、富の集中・貧富の格差拡大を戒めて来た。
-イザヤ5:8-9「災いだ、家に家を連ね、畑に畑を加える者は。お前たちは余地を残さぬまでに、この地を独り占めにしている。万軍の主は私の耳に言われた。この多くの家、大きな美しい家は、必ず荒れ果てて住む者がなくなる」。
・経済人類学者カール・ポランニーは資本主義経済を、「悪魔の挽き臼」に譬えた。近代になって市場経済が資本主義に包みこまれていく時、交易の対象になるべきではない「労働」、「土地」、「貨幣」が商品化したからだ。18世紀のイギリスでは、リバプールやマンチェスターで技術革新と近代工業が生まれたが、それは農村部から多くの労働者を導入することによって成り立った。かれらはエンクロージャー(土地の囲い込み)によって土地を奪われ、身一つで近代工場になだれ込んで来る。土地を離れた労働者は現金収入によって生活をする、非熟練労働者になっていく。これはその後の産業社会の基本となっていった。しかしポランニーは、このような産業社会の成立こそが、悪しき「大転換」であり、そこからつねに「失業」と「貧困」が起こり、社会はそれに苦悩すると考えた(中谷巌「資本主義は何故自壊したのか」)。
・この格差拡大を克服するのは聖書から与えられる知恵だ。マタイは「この小さき者にしたのは、私にしたのだ」というイエスの言葉を伝える。
-マタイ25:35-40「『お前たちは、私が飢えていた時に食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸の時に着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれたからだ』。すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつ私たちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか』。そこで、王は答える。『はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである』」。