江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年1月12日祈祷会(詩篇133編、主にある交わりの喜ばしさ)

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1.共同体の一致が破壊されている中で

 

・詩篇133編は都上りの歌の一つである。「都上りの歌」はバビロン捕囚により離散の憂き目にあった民が、再びエルサレム神殿に参詣出来る喜びを歌った連歌である。

-詩篇133:1「都に上る歌、ダビデの詩。見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」。

・133編の主題は神の家の回復である。油がアロン(祭司)のひげに滴るまでに豊かに注がれる。ヘルモンの露が乾いた大地に注がれて豊かな作物の実りをもたらす。そこに詩人は神の家に集う人々への主の祝福を見る。

-詩篇133:2-3「かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り、衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り、ヘルモンにおく露のように、シオンの山々に滴り落ちる。シオンで、主は布告された、祝福と、とこしえの命を」。

・神の家に共に集うまでには、様々な苦闘があった。バビロンから帰国した人々は神殿の再建に取り掛かるが、現実には利害が交錯し、一つ思いになれなかった。人々は「主がいてくださらなければ何も出来ない」と歌った。

-詩篇127:1「都に上る歌・・・主御自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい。主御自身が守ってくださるのでなければ、町を守る人が目覚めているのもむなしい」。

・エルサレムの再建はなかなか進まない。絶望の中で詩人は「主よ、聞いてください」と歌った。

-詩篇130:1-2「都に上る歌。深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈る私の声に耳を傾けてください」。

・詩人は主がダビデの家を再興すると約束して下さったとの約束に信頼し、歌う。

-詩篇132:10「ダビデはあなたの僕、あなたが油注がれたこの人を、決してお見捨てになりませんように」。

・詩篇の第五巻、都上りの歌について、二子玉川教会・福井誠氏はブログの中で語る。

「都のぼりの歌は各編に変化があって面白い。この詩は、エルサレムに到着し、皆が祭りに集った時の、楽しさ、親しさ、ここちよさを歌ったものなのだろう・・・イスラエルの民は、期待感をもってエルサレムに集まった。その旅の道すがら、彼らは、神の力によって助け出され、また神の力によって乗り越えた自分達の歴史を思い出している(詩篇132)。また自分たちが乗り越えた苦難や悲しみの深さを思い起こしている(詩篇129、130、131)。そして、エルサレムに無事到着した今、同じ道を歩んできた巡礼者と共に、神への感謝に浸っている。「見よ。なんという幸せ、なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって、共に生きることは」(133:1)と」。

 

2.主にある交わりの回復のために

 

・「兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」と歌う詩篇133編にあるのは単なる兄弟の和合の美しさではなく、同胞が一致できない中での一致を慕い求めた歌であろう。かつてダビデは歌った「命のある限り主の家に宿り、その宮で朝を迎えよう」(詩篇27:4)。生活の親密さは共に住み、共に食べることから生まれる。初代教会は持ち物を共有し、共に住み、多くの人が教会の交わりの中に招き入れられた。

-使徒4:32-35「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである」。

・しかしその共同体はやがて崩壊していく。生産をせず消費するだけの共同体は維持できないからだ。

-使徒6:1「弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである」。

・理想と現実の双方を踏まえて、私たちは神の家共同体=教会を形成していく。そこにある理想は、教会は「主が共にいて下さる」場であり、人々を隔てる壁はイエスの十字架を通して取り除かれているという信仰である。

-マタイ18:18-20「あなたがたが地上でつなぐことは天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは天上でも解かれる・・・どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、私の天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」。

・しかし現実の教会には争いがある。主の晩餐をだれに配餐するか、按手を受けていない牧師は礼典を執行できるのか、些細な問題が教会を分裂させている。それは主が喜ばれることではない。教会は正しさを主張する場ではなく、罪の赦しを感謝する場なのだということを覚えたい。

-マタイ7:1-5「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか・・・偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる」。

・教会が罪の赦しを感謝する場であることが理解された時、そこに和解が生じる。

-マタイ5:23-24「あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい」。

 

3.詩篇133編の黙想(兄弟が共にある意味について)

 

・創世記によれば、最初の家族の紛争は兄弟殺しから始まった。

-創世記4:5-8「(主は) カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。主はカインに言われた『どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない』。カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した」。

・イサクの次兄ヤコブは長兄エソウと長子権をめぐって争いあった。

-創世記27:41「エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持って、ヤコブを憎むようになった。そして、心の中で言った。『父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる』」。

・ダビデの息子たちも王位相続をめぐって争った。ソロモンは競合する兄弟たちを殺して王座に就いた。

-列王記上2:24-25「『私を揺るぎないものとして、父ダビデの王座につかせ、お約束どおり私のために家を興された主は生きておられる。アドニヤは今日死なねばならない』。ソロモン王はヨヤダの子ベナヤを送ってアドニヤを討たせたので、アドニヤは死んだ」。

・肉の家族は権力や財産を巡って争い合う。その中で「神の家族を求めよ」と教えられる。

-ローマ12:10-15「兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」。

・違いがある中で、神の家族の一致を求めていくことは、教会の大事な役割だ。

-第一コリント1:10-19「兄弟たち、私たちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。私の兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。あなたがたはめいめい、『私はパウロにつく』『私はアポロに』『私はケファに』『私はキリストに』などと言い合っているとのことです。キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか・・・キリストが私を遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです」。

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