1.岩の上に立つエルサレム
・エルサレムは四方を山に囲まれた岩の大地の上に立てられた自然の要害であった(標高790メートル)。巡礼者はそのエルサレムを見上げて、シオンの山の堅牢さに打たれ、自分たちも神の固い護りの中にあることを実感して歌い始める。
-詩篇125:1-2「都に上る歌。主に依り頼む人は、シオンの山。揺らぐことなく、とこしえに座る。山々はエルサレムを囲み、主は御自分の民を囲んでいてくださる。今も、そしてとこしえに」。
・エルサレムは元来エブス人の町であったが、ダビデがこれを攻略して王国の首都に据えた。ダビデがこの町を首都に選んだのは、四方を山に囲まれ、外敵が侵入しにくい、難攻不落の地であったからだ。
-サムエル記下5:6-10「王とその兵はエルサレムに向かい、その地の住民のエブス人を攻めようとした。エブス人はダビデが町に入ることはできないと思い、ダビデに言った『お前はここに入れまい。目の見えない者、足の不自由な者でも、お前を追い払うことは容易だ』。しかしダビデはシオンの要害を陥れた。これがダビデの町である・・・ダビデはこの要害に住み、それをダビデの町と呼び、ミロから内部まで、周囲に城壁を築いた。ダビデは次第に勢力を増し、万軍の神、主は彼と共におられた」。
・エルサレムの地盤は岩であり、固く立って動かされない。ダビデや後継者たちが「神こそわが岩、わが砦」と呼んだのも、この岩の上に立てられた場所に神がお住いになるという信仰を表したものであろう。
-詩篇46:2-6「神は私たちの避けどころ、私たちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。私たちは決して恐れない、地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも、海の水が騒ぎ、沸き返り、その高ぶるさまに山々が震えるとも・・・神はその中にいまし、都は揺らぐことがない」。
・神の都は主に従う人々に割り当てられた嗣業の地、たとえ一時的に異邦人が支配することがあっても、神はまた都を主の民に取り戻して下さると詩人は歌う。
-詩篇125:3「主に従う人に割り当てられた地に、主に逆らう者の笏が置かれることのないように。主に従う人が悪に手を伸ばすことのないように」。
2.そのエルサレムが滅んでも
・現実のエルサレムは異邦人の支配下にあった。バビロニアが滅ぼされてもペルシャが為政者として都を支配している。この詩が書かれたのはネヘミヤ時代、バビロン捕囚から解放されて国の再建に励んでいた時代であろうと推測されている。厳しい現実の中で、詩人はいつか異邦人が追放され、エルサレムが再び主の民の都になる日を待望している。
-詩篇125:4-5「主よ、良い人、心のまっすぐな人を、幸せにしてください。よこしまな自分の道にそれて行く者を、主よ、悪を行う者と共に追い払ってください。イスラエルの上に平和がありますように」。
・詩人は「イスラエルの上に平和がありますように」と祈った。しかしエルサレムの平和は永続しなかった。イエスはオリーブ山からエルサレムを見て、「ああエルサレム」と嘆かれた。預言者たちが繰り返し悔い改めを求めたのに彼らは改めず、今また、最後の預言者である自分を殺そうとしているエルサレムに対する嘆きであった。
-ルカ13:34-35「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決して私を見ることがない」。
・エルサレムは紀元70年にローマによって破壊され、滅亡する。どのような強固な岩も人間の罪を防御する事は出来なかった。ルカ19章にはエルサレム滅亡を眼前に見たルカの嘆きが語られている。
-ルカ19:41-44「エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた『もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである』」。
・神の平和は「義」の上に立てられる。義とは道徳的な正しさではなく、自分が絶対者なる神に生かされているという信仰である。だから彼は病気になっても、家族に問題が生じても、また経済的な困窮の中にあっても動揺しない。神の護りの中に生かされていると信じるゆえだ。だから財産を捨てよと言われれば捨てて従う。
-マルコ10:21-22「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた『あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、私に従いなさい』。その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである」。
3.エルサレムの歴史の中で
・エルサレムは自然の要害であった。しかしどのような要害も多くの軍勢の前には陥落する。紀元前500年代、バビロニア軍は1年2カ月をかけてエルサレムを包囲し、陥落させた。
-列王記下25:1-4「ゼデキヤの治世第九年の第十の月の十日に、バビロンの王ネブカドネツァルは全軍を率いてエルサレムに到着し、陣を敷き、周りに堡塁を築いた。都は包囲され、ゼデキヤ王の第十一年に至った。その月の九日に都の中で飢えが厳しくなり、国の民の食糧が尽き、都の一角が破られた。カルデア人が都を取り巻いていたが、戦士たちは皆、夜中に王の園に近い二つの城壁の間にある門を通って逃げ出した」。
・エルサレムの人びとは侵入してきた敵兵に殺され、死んで行った。
-哀歌2:20-22「主よ、目を留めてよく見てください。これほど懲らしめられた者がありましょうか。女がその胎の実を、育てた子を食い物にしているのです。祭司や預言者が主の聖所で殺されているのです。街では老人も子供も地に倒れ伏し、おとめも若者も剣にかかって死にました。あなたは、ついに怒り、殺し、屠って容赦されませんでした。祭りの日のように声をあげて脅かす者らを呼び、私を包囲させられました。主が怒りを発したこの日に逃げのびた者も生き残った者もなく、私が養い育てた子らは、ことごとく敵に滅ぼされてしまいました」。
・人々は国を守るためにエジプトに頼り、軍備を増強し、城壁を堅固にした。しかしエルサレムを守られる方は神であり、エジプトではない。その信頼が途絶えた時、エルサレムは滅びた。
-イザヤ31:1-3「災いだ、助けを求めてエジプトに下り、馬を支えとする者は。彼らは戦車の数が多く、騎兵の数がおびただしいことを頼りとし、イスラエルの聖なる方を仰がず、主を尋ね求めようとしない・・・エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない。主が御手を伸ばされると、助けを与える者はつまずき、助けを受けている者は倒れ、皆共に滅びる」。
・新約時代にも悲劇は繰り返された。イエス一行はエルサレムに近づき、都が見えた時、イエスは感極まって涙され、エルサレムのために嘆かれた(ルカ19:41-42)。そしてやがて来るエルサレム滅亡を預言された(ルカ19:43-44)。エルサレム滅亡はイエス死後40年後である。紀元66年、時のローマ総督が神殿から金を強奪したのを知ったユダヤ人は武力で立ち上がり、ユダヤ戦争が始まった。最初はユダヤ人側が優勢だったが、次第に劣勢となり、70年にエルサレムは、三つの塔と西側の城壁(嘆きの壁)だけを残して破壊され、百万人以上の犠牲者が出た。その後ユダヤ人はディアスポラ、離散の民となる。イエスが預言された「神殿崩壊」は現実となった。
-ルカ21:20-24「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近いことを悟りなさい。その時、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都に中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである・・・この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである。人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国へ連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。」
・イエスはエルサレムを「山の上にある町」と形容された。
-マタイ5:14-16「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
・植民地マサチューセッツ湾岸州の初代総督に選ばれたウィンスロップは、アメリカ植民の目的は、「丘の上の町(エルサレム)を新大陸に立てると説教した(1630年)。
-ウィンスロップ説教から「私たち10名が1000名の敵に対抗するとき、また神が私たちを誉れと栄光のものとし、後に人々がこれから建設される植民地について「主がニューイングランド(新しき英国)の植民地のようにつくられた」と言うようになる時、イスラエルの神が私たちの間におられることを知るであろう。そのために我々は、全ての人々の目が注がれる「丘の上の町」とならなければならない」。
・歴代大統領も「アメリカは丘の上にある町」と述べる。
-ジョン・F・ケネディ大統領就任演説「すべての人々の目はまさに私たちに注がれている。政府の全ての機関は、連邦、州、各自治体の全てのレベルにおいて「丘の上の町」とならなければならない。その町を構成しそこに住む者は、大いなる信頼と大いなる責任を備えていなければならない。なぜなら、我々が船出しようとする1961年の航海は、かつてのアルベラ号(ウィンスロップの乗っていた船)による1630年の航海に劣らない厳しいものだからである」。